阿修羅の手 9

〜はじめのつぶやき〜
先生、頼もしい旦那様だと思われているかもしれませんが。根は変わってませんよ

BGM:JAZZ
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きゅっきゅっと小気味いい音が蕪の浅漬けを頬張った総司の口元から聞こえてきて、その嬉しそうな顔に斉藤とセイの視線が集まった。

「なんです?何か私の顔についてます?」

まじまじと見つめてくる二人を見返した総司は、きょとんとした顔で箸を止めた。
斉藤とセイにとっては、総司が妙に落ち着いているのが意外だったのだ。てっきり、怒るか厳しく話を否定されるかの二つに一つくらいだと思っていたのにそうではないのが不思議だったのだ。

「いや……。あんたの反応が思いがけなかったのでな」

―― この単純な脳みそがいくらか成長して複雑に働くようになったということか?

内心では至極、失礼極まりないことを考えていた斉藤はそろそろ、刻限を気にしなければいけなかった。気になる話を放置して帰るのも後ろ髪をひかれる話だと思っていると、総司がセイの方へ顔を向けた。

「じゃあ……。だいたい予想はついてますけど、神谷さんが副長か、局長か、またはお二人に話したことってなんです?」

改めて聞かれると、もっと違う話し方をしようと思っていたこともすっかりどこかへ行ってしまう。どう話したものかと迷っていたが、言いづらい話はさっさと話してしまうに限ると、腹を決めてセイは口を開いた。

「局長と副長にご相談したのは、隊士の稽古時間とは別に、しばらく勘を取り戻す間、ひそかに稽古をお願いできないかという話です。沖田先生にもご相談しようかと思っていましたが、できれば隊士達の前ではあまり……」
「新人隊士に舐められることや、私に庇ってもらっているとかそういう話がでるからですか?」
「いえ!そんなことは、……。いえ、それもなくはないです」

もやもやしたおさまりのつかない思いのいくつかを見とがめられたように急にセイがしゅん、と小さくなる。決して総司はそれが悪いともいいとも言ってはいないが、どこかで後ろめたさがあるからだろうか。

ちらりと斉藤が総司の顔をみるが、こちらは淡々として、箸を動かしており、あっという間に膳の上を空にしてしまった。

「ご馳走様でした」

箸をおいて、手を合わせた総司は、ふう、と息を吐くと茶を手にして一すすりする。

「すみません……」
「何を謝るんです?」

すっかり萎れてしまったセイがぽつりと謝ると、きょとんとした顔で総司が目を瞬いた。本当にわかっていないのか、わかっていて空とぼけているのかわからないが、斉藤はもともとセイの味方をする気だったために、珍しく間に割って入った。

「つまり、俺ならばそんな風には思わんが、見ようによってはあんたをないがしろにしたようにも見えるし、信頼していないようにも見える。それを謝っているんだろう」

そうなんですか?と、わざわざセイに確認するところからして、総司もわかっていて話を振っているらしい。さすがにそこまで勘の悪い男ではないはずだ。

腹の底が見えない昼行燈の出方をさて、とみていると、ふうん、としばらく唸った挙句にうん、と頷いた。

「いいんじゃないですか?斉藤さんが稽古をつけてくださるなら願ってもないことでしょうし、近藤さんや土方さんが息抜きに相手をしてくれるなら、それもありがたいことですし」
「……あんたはそれでいいのか?」
「なにかいけないことでもありましたっけ」

けろっとして答える総司をみて、よほど意外だったのか、セイが目を白黒させながら斉藤に確認の目を向けてくる。俺に聞くな、と内心では思っていたが、斉藤自身も確かに意外だった。

セイのことは過保護すぎるくらい過保護なくせに、ほかの隊士以上に突き放して、厳しかったのがこの男である。

それは、夫婦になってからも変わることがなかったはずだが、この対応はどうしたというのだろう。

「いけないことはないと思うが、てっきりあんたが反対すると思っていたのだ」
「反対……、ですか」

ふっと苦笑いを浮かべた総司は、深く息を吸い込んだ。

「だって、止めても、どうやってでもまわりまで巻き込んで、絶対に貫き通すでしょう?反対したって仕方がないじゃないですか」
「それは、まあ……」

うやむやの顔で斉藤もつい頷いてしまう。昔からセイには、こういう無茶を通してしまう、不思議なところがあったのは、常に傍にいて、面倒や時に、被害を被ってきた総司と斉藤だからだろう。

「それに……。いや、神谷さんが仕事に戻りたいといった時に、色々と覚悟はしたんですよ」
「え?それって……」

まったく思いがけないのか、セイが目を丸くしていると、総司が今度こそ、嫌味なくふわりと笑った。

いつも目先のことだけで精一杯のセイが、今でこそ少し先のことまで考えるようになったが、総司や、近藤や土方はもっと先のことまで色々と考え、話し合っていた。

やはりどういっても、男ばかりの屯所において、たとえ総司の嫁だと今は知れていてめでたさも加わってはいても、これほど大所帯になった今では、そう 思わない者も当然いる。総司への嫌がらせや、セイが単純に気に食わないということだけでなく、近藤や土方の面目を潰すつもりでセイや、寿樹を害するものが いないとも限らない。

それでなくても、常に間者が紛れ込む可能性があることを考えれば、セイが仕事も戻ることはよいことよりも不安や危険の方がはるかに多かった。

「それは確かに」

その時、案だしに一枚かんでいた斉藤も頷く。あの時は、斉藤も否定的な意見を口にした方だった。

だが、近藤も土方も、丹念にひとつひとつ、懸念事項を洗いだして、比較し、問題点を潰していったのだ。家にいればどうか、仕事をしていればどうか。常にそれを比較し、どちらがいいのかどうすれば最善策を立てられるのか。

「だから、神谷さんはもう屯所に寿樹を連れてこないつもりかもしれませんが、そういうことになるかもしれないと考えていたんです」
「……ご存じだったんですか」

皆に移っては困ると、お里の家に預かってもらうようにしていたが、もうとうによくなっている。それなのに、お里の家に預けに行くセイに総司は何も言っていなかった。

寿樹をお里の家に預けるようになって、セイはつくづく思ったのだ。

やはりここは鬼の住処なのだと。自分自身さえ守れない、寿樹やお里や正一のようなものが片隅とはいえ、うろうろしていていい場所ではない。そう思ったからこそ、屯所に戻してはいけない。

そう思っていたのだ。

「あなたがどうしても屯所に寿樹を置きたくないというならまた別の手立てを考えるだけですが、近藤さんも土方さんもとうにその覚悟はしています。もしお里さんや、正一に何かあったら、後悔するのはあの人たちも一緒ですからね」
「……私は、私なら、鍛えなおせば、かろうじて時間を稼ぐくらいはできます。でもお里さんや正一や……、寿樹に何かあったらと思うと」
「その時、あなたが彼らを守る気がないなら、仕事も辞めるべきですね」

―― なるほど。そういうことか

近藤が、今回、珍しく話の持って行き方が間違っていると怒ったことも、土方が珍しくセイの話を聞き、斉藤を寄越したことも、ようやく筋が見えてきた。腕を組んだ斉藤は、相変わらずなのは自分を含めて、皆一緒だなと思う。

 

 

– 続く –