残り香と折れない羽 29

〜はじめのお詫び〜
ようやく終わりが見えてきました。長々お付き合いくださいましてありがとうございます。あと少しです。
ご期待にそえないかもしれないですが、ドロドロしてます。

BGM:

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新井は、その日は監察方の部屋において、山崎達の責めによって、洗いざらい白状する羽目になった。とはいえ、新井がしたことといえば噂を流したことと、武田と浅野を監視していたこと、浅野を唆したことくらいである。

伊東一派の動きについては、聞く方もあえて触れなかった。

そして、しばしの蔵籠めの上、別な任務を与えられることになった。

 

 

浅野は屯所を飛び出して行ったっきり、行方がわからない。
武田は外出を届け出て馴染みの妓のところへ向かった。とても、屯所にはいられなかった。明日から自分はどうすべきかを考えるにも、とにかくその場から離れたかったのだ。
この武田には監察方の見張りが既についていた。

 

小部屋の中を片付けてから、温め直してもらった夕餉をとったセイは、深いため息をついた。
一区切りがついたので、部屋には総司しかいない。斎藤はもとより、原田と永倉にも起こったことは伝わっているはずだ。近藤には土方が告げただろう。

セイが小部屋を片づけるのを手伝った総司は、セイがいいと遠慮するものをわざわざ賄い方へ足を運び、セイの膳を温かいものにしてもらってきた。副長室の総司の膳はすでに食べ終えていたし、どうせ誰かが下げに行くはずだ。

「どうしました?ため息なんてついて」
「あ、いえ……。雨、降り出しましたね」

夕刻から強くなった風は雨雲を運んできたらしい。いつの間にか、ぱらぱらと雨がふりだしていた。

「雨がふると急に涼しくなっていきますよね。夏ももう終わりという感じがして」
「どうせ、総司さまは月見のお団子のことでも考えられるのではないですか?」
「もちろんですよ!秋は他にもいろいろ美味しいものが沢山ありますからねぇ」

セイが明らかにため息の理由を答えずに、話を変えたことは総司にも分かっていたが、そのまま話に乗った。くすっと笑いあうと、セイは自分の膳を下げに賄い所に行った。遅くなったことと、わざわざ手をかけてもらったことの礼をいうと、なんでもないことだと言って、熱い茶を二人分入れてくれた。

セイはそのお茶を持って、小部屋に戻った。

セイの文机の向かい合うあたりに、刀の手入れの道具を広げた総司が座っていた。邪魔にならないように、文机の上に茶を置いた。

普段使っていない方の刀を手にしている総司を見て、それが他意あってのことではないと分かっていても、ぞくり、とした。

「セイ?貴女は先に休んでていいんですよ。夕べもあまり眠れなかったでしょう?明日はゆっくり家に帰りましょうね」

穏やかな声で告げる総司の顔に鬼の貌がほんの僅かに覗いた。明日ゆっくり家に帰る。ということは明日にはすべてカタをつけるということだ。

「あの……」

セイには、浅野がセイを襲った相手だとは思えなかった。浅野と対峙した時、襲われた時の、噴き出すような殺気ではなくどろどろした怒りのようなものがまったく感じられなかった。それよりはいかにも怯えた小動物のような、そんな感じがしたのだ。
そうなると、消去法で残るのは武田ということになる。確かに武田であれば、腕も立つし、覚書を求めるだけの理由も思い当たらなくもない。
熱い湯のみを手にしたまま、まとまらない考えを口にすることもできなくて、そのまま黙ってしまった。

「なんですよぅ?言いかけたままで」
「いえ。すみません。総司様も昨夜はほとんどお休みになれなかったでしょうから、早めにお休みください」
「ええ。ありがとう。これを片づけたら隣から布団を持ってきます。貴女は先にお休みなさい」

セイの分の布団だけ下ろしてあった。いつもなら総司を待つところではあったが、ひどく心が疲れていて、総司を待つともいえずに、セイは布団を広げた。隣の部屋に移り、袴だけを脱ぐときちんと畳んで、部屋の隅に置いた。

小部屋に戻ると、総司の傍で手をついて、すみません、お先に休ませていただきます、と頭を下げた。

「はい、どうぞ。ゆっくりおやすみなさい」

静かに布団の間に身を滑り込ませると、横になったまま総司の姿を眺めた。灯りを反射する刀のきらめきが目に焼き付いて、目を閉じても瞼の向こう側でいつまでもきらりとした光を放っていた。

 

刀の手入れを終えて、隣から布団を運んできた総司は、自分も羽織や袴を脱いで、そのまま横になった。

「う……ん……」

隣で眠るセイが、苦しげに眉を顰めている。あれから、セイの眠る姿を見ていると、よくうなされる様になっていた。
いつかの晩のように、セイの口がわずかに動いてごめんなさい、と言っている。
片肘をついて、セイの寝顔を見ていると、涙が零れ落ちている。
ずっと、泣けずにいるセイが、こうしてうなされている夢の中で泣いていることに、総司は心が痛んだ。もっと素直に、吐き出してしまってもいいものを、と思う。

「こんな風に貴女を泣かせるなんて……」

本当は関わったすべての者を許せないと思っていた。自分を律していなければ、怒りにまかせて今日だって浅野を斬っていただろう。

 

それも明日になれば。

 

指先で、セイの涙を拭いながら総司はその考えにくっと嗤った。降り続ける雨が、逃げた男をさらに追い詰めるものであることを祈りながら。

 

 

 

屯所を飛び出したまま、雨に濡れて市中から外れた田圃道に向かった浅野は、竹藪の中に農夫たちの休憩用の小屋を見つけた。住むためのものではないにしても、雨をしのいで一晩を過ごすくらいはできそうだった。

小屋の中にあった、蓑と筵にくるまって、雨にぬれないように懐にしまった冊子を確かめるように胸の上から押さえた。
誰が書いたものであれ、これを明日、佐倉に渡せば。

それだけを夢に見て浅野は、うとうとと眠りに入った。

追われるものの意識なのか。

朝もまだ明けきらないうちに農作業にやってきた農夫が小屋をがらりと開けると、その音に飛び起きた浅野は相手が誰であるかを確かめることもなく、刀を抜いた。脳天から振り下ろされた刀が農夫を一撃のもとに斬り殺した。浅野は、農夫の着物で刀と手を拭くと、大事そうに懐から冊子を取り出して脇に置いた。それから小屋の隅に組んであった瓶の水で、顔や手を洗い清めた。

身を整えると、農夫が背負ってきた籠から転がり出た握り飯らしき、包みを取り上げた。はたして、農夫の昼の弁当だったのだろう握り飯を見て、浅野は躊躇わずに口にした。

浅野の心には、武田と同じように、なぜ自分がこんな目に、という思いが溢れていた。こんな粗末な小屋で、辻斬りの如く農夫を襲い、粗末な握り飯で腹を満たしている。

ほんの少し前までは、士官を目前にした隊士の一人として、温かい寝床や用意された膳、認められた待遇。

どこで道を違えてしまったのだろうか。いや、まだ自分は取り戻せる。

 

握り飯を食べ終えると、農夫の腰から竹の水筒を奪い、ぐびりと飲んだ。薄い味の茶らしきものだったが、なんでもよかった。それから横に置いていた冊子を懐に大事にしまうと、刀を差して小屋を出た。
間もなく昼を過ぎて、約束の刻間が来る。少しばかり早くても茶屋についていたかった浅野は、重い足を引きずるように約束の茶屋に向かった。

 

 

– 続く –