残り香と折れない羽 30

〜はじめのお詫び〜
勧善懲悪っぽく、ばさーっと爽快にはいかなくてすみません。

BGM:

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茶屋に現れた浅野の面妖な姿に、店の者は一瞬たじろいだが、何も言わず離れに案内した。
そこそこ名の在る店では、いわくがありそうな客を通すために隠し部屋が備え付けられた部屋が存在する。その隠し部屋から見張ることで、店側は問題を避けて、当局に通報するなり、被害を最小限にするのだ。
この店の離れもそうした部屋の一つであった。浅野を通した後、酒肴を運んできた女中が離れの庭に続く障子をあけて、浅野の身から漂う臭気を少しでも薄めようと風を入れた。
浅野は汚れた筵と農夫の返り血で異様な臭気を漂わせていた。

運ばれてきた酒を飲みながら、苛々と佐倉が訪れるのを待った。

 

隠し部屋の中には、すでに店に来ていた土方が様子を伺っている。

 

しかし、待てど暮らせど佐倉は現れなかった。手を打って、女中を呼ぶと、何か知らせは来ていないかと尋ねると、おずおずと、これを、と言って文を差し出してきた。

立ち上がった浅野は、文をむしり取ると急いで中を開いた。

『浅野薫 殿

某の調べうるところによれば、そこもとの手に入れし覚書はすでに新撰組を裏切ったものの手による作り事であると判明し候。またそこもとが新撰組より脱走し、追捕される身の上になりしことも、当方では一切関わりなき事ゆえ、過日の語りしことはなかったことにさせていただく。
よって、再びそこもとにお目にかかることはないと思われるが、無事に逃げおおせても拙者は一切与り知らぬことと心得られよ。

佐倉鉄之進 』

「な……なぜだ……っ!!!」

文を何度も読み返しながら、ぶるぶると震えだした浅野に恐れをなしたのか、女中は急いで奥へ逃げて行った。

 

 

 

浅野が茶屋に現れる一刻ほど前、屯所では、原田と永倉が先に屯所を出て茶屋に向かい、そこから遅れること半刻後に浅野が現れるはずの茶屋へ土方と総司が向かった。

屯所を出る前に、隊士部屋で支度をしていた総司に、セイは自分も連れて行ってくれと頼んでいた。

「沖田先生、お願いします。私もお供させてください!」
「駄目です」
「どうしてですか!私にも最後まで始末をつけさせてください!お願いします」

どうしても残されることが嫌で、セイは総司に食い下がった。自分も関わった当事者なのだ。最後まで見届けたいと願うことがいけないことだとは思えなかった。
しかし、総司はそれを許さなかった。懐紙を懐にいれて、刀を腰に差した総司にセイは取りすがった。

事情はわからないものの、昨夜の騒ぎの後である。一番隊の者たちは、セイが自分が納得するようにしたいのだろうということは理解できた。
だが、いつもにまして頑なに総司が許さないため、間に割って入ることもできずにおろおろと二人を遠巻きに眺めていた。

「お願いします!沖田先生」

総司の羽織を掴んでまでセイは頼みこんだ。総司はその腕を掴みあげると、セイの頬ぱぁんと殴った。加減はしたのだろうが、殴られた勢いで倒れ込んだセイを見もせずに、一番隊の隊士達に命じた。

「この人を診療所に連れて行って部屋から出さないでください。泣こうが喚こうが放っておいて構いませんから」

そういうと、背を向けて総司は副長室へ向かった。
今のセイをかろうじて支えているのは、神谷としての心で、それさえももう限界に来ていることは十分に分かっていた。だから、そんなセイを連れて行くことなどできない。

「お待たせしました」

副長室から出てきた土方が、片頬を上げた。

「ひと騒ぎしたようだな」
「……ついて来るといって聞かないものですから」
「お前も……苦労するな。帰ったら嫁の面倒はちゃんとみてやれよ」
「分かってますよ」

そういうと、土方と共に、屯所を出て茶屋へ向かった。

 

 

 

「く……そ、俺がなぜこんな……」
「小藩といえど公用方の人間が明らかに裏切り者として薩摩藩に接触を図っている人を身の内に引き込むはずがないでしょう」

女中が去った後から現れたのは総司だった。
はっと、浅野が部屋の奥へ後ずさる。総司の後ろには土方が続いて現れた。じり、と後ろに下がった浅野は、開け放たれた離れの奥庭から外へ逃げようと身を翻した。
その目の前に、原田と永倉が姿を見せる。

庭の木戸の前と、生垣の奥に現れた二人をみて、再び振り返った。総司が静かに刀を抜いた。

「どんな理由があったにせよ、こうなってはどうなるか分かっていますね?」

まるで普通に話しかけるように、笑みを浮かべながら浅野に近寄っていく。刀を抜いたのは総司だけなのをみて、浅野は一縷の望みをかけて庭へ走りこんだ。

 

庭先に浅野が走り出るのを待って、総司はひゅっと刀を振った。生垣の向こうを目指した浅野の膝の裏の腱が両方とも断ち切られた。

「ぎゃぁぁ」

喚き声をあげて地面に転がった浅野の腕の筋を今度は斬った。だらりと腕が垂れ下り、刀に手を伸ばすこともできなくなる。

「総司」

背後から土方の声がかかった。振り返りもせずに、総司が答える。

「すみません、土方さん。手元が狂いました」

これだけ正確に狙って、足と腕の腱を切っておいて、総司は平然と言った。そして今度は浅野の片耳を斬り飛ばした。

「ぎゃああああっ」

転げまわる浅野を前に、原田と永倉がさすがに止めに入ろうとした。このままにしておけば、どれほど総司が切り刻むか知れたものではないと思ったのか。それよりも早く、土方が刀を抜いた。
総司よりも先に、転げまわる浅野の腹をけり上げると、うつぶせに転がった背中を袈裟掛けに斬った。

「土方さん」

はっきりと不愉快そうに総司が振り返った。土方は刀を懐紙で拭って納めた。

「総司。俺はお前を鬼にしたが、単なる人斬りにした覚えはない」

総司の中に溢れんばかりになっていた黒い感情をそのまま土方の言葉が斬り裂いた。
刀を払い懐紙で拭うと、総司は刀を収めた。斬り裂かれた感情は、行き場をなくして総司を苛立たせていた。

木戸を開けると、何人か連れてきた隊士達が浅野の遺体を運び出した。土方は茶屋に庭先を汚した詫びと部屋の代金を多めに支払った。

それから土方は総司達を伴って、近くの揚屋へ入った。

 

– 続く –