残り香と折れない羽 32

〜はじめのお詫び〜
あら〜?もうすぐ終わるはずなのに……

BGM:

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「すまないが、武田に関しては当面監視だけだ。もちろん、何か動きがあれば別だがな。お前も何かあれば必ず言って来い」
「分かりました」

乾いた目がぎりぎりで保っている心の在り様を示していて、見ているほうが辛くなる。
はっきりと自覚した上で、土方はセイをその胸に抱え込んだ。濡れた手拭を頬に当てたまま、やんわりと添えられた腕に壊れ物のように包み込まれた。

「神谷。隊にいる奴らで、家庭を持っている奴らは少ないのは分かってるよな?例え馴染みの妓がいたとしても、お前は心の拠り所にになってるんだ」

志は、男としての目指す道であり、武士としての夢でもある。それでも、どんな屈強な男であれ、時に安らぎや癒しを求めることがある。
そんな時、セイがここにいることで家庭や妓がいてもいなくても、セイの笑顔やちょっとした会話やそんなもので安らぎを得ている者達がいるのだ。

「他の奴らは同士でも男だが、お前は違う。お前が苦しんだり、悲しんだりすれば、同じように思う人間は総司だけじゃなくて、他にもいることを忘れるなよ」

―― 俺を含めてな

土方は、自分もヤキがまわったと自嘲気味に思った。一回り以上も年下のしかも弟分の嫁を拠り所にするとは、滑稽もいいところだ。

そんな思いはセイには伝わらなくていい。ただ、いつものお前達に戻ってくれればそれでいい。

抱えたセイの細い肩を感じながら、静かに言い聞かせた。
ようやく、泣くことができたくせに、両手で口元を押さえて嗚咽を押さえ込むセイの頭をぽんぽんと軽く叩く。

「今度のことで総司に申し訳ないとでも思ってるんだろう?だから余計に泣けないなんて馬鹿だ、お前は。お前がそう思っていることも含めて、ちゃんと総司に甘えてやれ。それであいつはまた強くなる。お前が守りたいと思うのと同じようにあいつだってお前を守りたいんだ」

土方の言葉がセイの心に閉じ込めていた想いの中に一石を投じたようだった。

苦しくて、苦しくて、それでも皆が心配して、あれほどまでに総司が自分を気遣ってくれているのに、自分が泣いて落ち込んでなどはできないと思っていた。見ているほうがよほど辛いと思えば、自分は冷静に受け止めることができると思っていた。

溢れた思いは、そのまま涙になって零れていく。

泣いて、目が溶けてしまうくらい泣いて、セイは眠りに落ちた。

泣き疲れて眠ったセイを抱えていた土方は、しばらくして隣にいるであろう男を呼んだ。

「あー……斉藤?」

呼びかけるとすぐに隣室の襖が開いて、斉藤がそこにいた。何も言わなくても、小部屋の中の半間の押入れから布団を引き出すと、土方がセイを抱えて場所を空けたところに床をひいた。そこにそっとセイを寝かせて、ほう、とため息をついた土方にじっとりと恨めしい視線を斉藤が投げた。

「何だ」
「一度ならまだしも、二度目はさすがにあの野暮天も怒ると思いますが! 」
「分かってるなら余計なことを言うなよ?」
「いわないとお思いですか?」

斉藤にしてみれば、一度ならず二度目はさすがに堪りかねた。これまでは慰め役は斉藤の十八番でもあったが、さすがに歳の功には勝てないというのも癪に障る。

じろりと睨みつける斉藤に、土方はニヤッと笑った。

「言わないさ。お前はな」

完全に斉藤の足元を見た発言に、斉藤は内心、アンタを見直しそうになった俺が馬鹿だった!! とこめかみをぴくぴくさせながら睨みつけるのが精一杯だった。

「さて、向こうはどうなったことやら」
「どうなったと申しますと?」

問いかけられて、土方は斉藤に浅野を斬ったときの総司の様子を語った。惨い所業に聞いている斉藤も不快感を漂わせた。土方のものが移ったのか、今度は斉藤がため息をついた。

「二度の行いが知れたら、副長も髷が飛びますよ?」
「そうかもしれないな」

苦笑いを浮かべた土方は、斉藤を誘って立ち上がった。

「お前も少し付き合え」
「酒ですか」
「清めだ」

そういうと、二人は小部屋に隠してある大振りの酒瓶を手にして副長室に向った。

 

翌朝、屯所に戻った三人は、前夜の酒のせいで三人ともひどい二日酔いで診療所で倒れ込んでいた。
一晩泣いて、少しだけ肩の力が抜けたセイは、普段通りに仕事をこなしている。

昼過ぎに、稽古に向かう五番隊を見て、セイは局長室へ向かった。

「どうか、お許しいただけませんか?」

ちょうど土方が席をはずしていた間に、セイは近藤に向かってあることを願い出た。近藤はしばらく考えたのち、セイに許可を出した。

稽古は通常二刻は続けられる。セイは、急いで小部屋に戻ると久しぶりの稽古着に着替えた。
稽古着は清三郎の物だが、着付けを変えて女子風に着た。病間にはまだ三人がごろごろと転がっていたが、セイは声をかけずに診療所に置いてある愛用の刀を手にした。

外を回って道場へ向かう途中、セイの姿を見かけた隊士が慌てて三番隊の隊士部屋へ駆け込んだ。

「さ、斎藤先生!神谷が!」

隊部屋でくつろいでいた斎藤が慌てて立ち上がった。他にも、一番隊の者たちが副長室や局長室に走った。

道場に向かったセイは、稽古中の五番隊に頭を下げて中に入ると、皆の稽古を見ていた武田の元へ向かった。五番隊にもセイと懇意にしている隊士は多い。近頃では、組下の自分たちさえ近づかない武田の元にセイが向かったのを見て皆が驚いて稽古を止めた。

武田自身、セイが現れたことに驚いていた。その武田の前に座ると、セイは丁寧に手をついて頭を下げた。

「稽古中に失礼いたします。武田先生。一手ご指南いただけませんでしょうか?」
「か、神谷、貴様は医師だろうが!」
「ええ。医師ではありますが、隊士でもあります。いざというときのために稽古をしておかねばなりません。なかなかご指南いただく機会に恵まれていませんでしたが、ぜひこの機会に一手お願いできないでしょうか」

にこっと笑ったセイを、五番隊の皆が注目している。仮にも軍事方を務めた武田がセイに指南できないということは、言えるはずもない。町道場の道場破りでもあるまい。

「むぅ。……よかろう。指南致そう」
「ありがとうございます。それでは是非とも真剣でお願いできますでしょうか」
「何?!」
「武田先生や五番隊の皆さんの稽古時間を長々とお邪魔するわけにも参りません。真剣であればその実は竹刀の何倍にもなりましょう」

あくまで教えを請う姿勢を崩さないセイに、報復か?と思いはしてもこの場でそれを言うわけにもいかない。またしても武田は承諾した。

道場の中央でセイと武田は向かい合った。

 

 

– 続く –