残り香と折れない羽 9

〜はじめのお詫び〜
すみません。医学的なお話はまったくのでっち上げと思ってくださいまし!

BGM:GLAY 天使のわけまえ
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斎藤は、セイを抱えて南部の元へ急いだ。駕籠を呼ぶことも考えたが、関わる人を増やすことが今はいいとは思えなかった。

門脇の隊士には、副長に怒鳴りつけられていじけているからといって、屯所から見えなくなると、斎藤は足を速めた。
抱えたセイの息が苦しそうで、何が起こったのかはわからないまま、とにかく木屋町の南部の元へ急いだ。

「すみません!南部先生は在宅でしょうか」

駆け込んだ斎藤の声にすぐに奥から南部が顔をのぞかせた。腕に抱えられたセイをみて一瞬、眉をひそめた南部はすぐに体をあけて診察室へと導いた。

「メース!神谷さんです。斎藤先生、どうされたんですか?」

奥の部屋へ声を投げておいて、すぐに脈をとりながら斎藤に尋ねた。
汗を滲ませた斎藤が、土方の部屋でいきなり倒れたセイの様子を伝えた。そこに、松本が現れた。

「なんだ?どうした」

再び斎藤が同じ話を繰り返す。セイの顔をのぞきこんだ松本の顔がすぐに斎藤に部屋を出るように言った。
部屋を出された斎藤は隣の部屋でじっと待った。こんな時に、不在な総司に知らせを送るということは全く考えなかった。
それは斎藤が生粋の武士だからだろう。

 

 

随分、長い時間斎藤は待つことになった。ひそやかな声が隣の部屋で交わされているらしいことは分かったが、二人の医師に任せるしかない。

しばらくしてようやく松本が出てきた。斎藤の目の前に現れた松本の顔が険しい。
斎藤が腰を浮かせると、松本は目の前に座り込んだ。

「おめぇ、何か知ってるか?あいつに何があった」
「何が、と申しますと」
「何でもいい。吐きやがれ」

斎藤は迷った挙句、かいつまんで昨夜のことを話した。だが、セイが言っていないために、殴られたことは知らない。

 

「そうか。わかった。ちょっと待ってろ」

そういうと、松本は再び隣室へ行った。痛みと治療によってかろうじて意識を保っていたセイに、松本が話しかけた。

「セイ、聞こえるか?」

こく、とセイが頷いて、自らの額に浮かんだ汗を手で押さえた。

「お前、その腹の殴られた話はさっき聞いたがな、その後はどうした」
「……私の、隠し戸棚の鍵を、奪う為だったようです。その後は棚を漁った後、すぐに去って行きました」
「自分で今の体の状態がわかってるか?」

セイは首を横に振った。ひどく殴られた、と思っていただけで、殴られた瞬間のようにこれほどの痛みがぶり返すと思っていなかった。

溜息をついた松本は、とにかく眠れ、と言って丸薬をセイの口に入れた。
後ろに控えている南部に視線を送ると、松本は立ち上がって斎藤のいる部屋へ戻った。

「夕べ誰かに殴られたそうだ。隠し戸棚の鍵を奪う為だったらしい」
「なんですと?!しかし、自分が……」

斉藤が戻った時にはセイは大事ない、と答えていた。

―― 自分が戻ってから隣にいた間に襲われたというのか?!

斎藤の中で、目まぐるしく自問が繰り返された。しかし、どう考えても自分が戻ってから隣の気配は変わらず、朝方まで灯りは煌々とついたままだった。

「お前がいない間だろうな。屯所内で誰かが忍びこんできた、その相手に殴られた、ってことはお前さんにも言うにいえなかったんだろう」
「それ故に今、神谷は?」

松本が頷いた。
初めは何が原因かわからなかったが、着物越しに触診していくと、下腹部でセイがひどく痛がった。袴を脱がせて、着物を解くと、下腹部の突かれた場所がひどい色になっている。そして、下腹部全体が腫れているようだ。

南部と松本は、すぐに腹の中の臓物が傷ついているのではないか、と疑った。セイの白くなった顔や、ひきつけ寸前の状態をみて、もし、腹の中に傷ついた臓器からの出血が溜まっているとしたら、ということを考えた。
時折意識がなくなりそうになるセイから状態を聞き取りながら何とか処置を終えると、後は出血が止まり、自身の回復力を待つしかない。
外にできた傷なら縫い合わせることもできるが、内臓では今の技術では難しいのだ。

「とにかく、様子をみるしかねぇ。沖田はいないのか?」
「会津公のお供で下阪しております。戻りは二、三日のうちかと思われますが」
「そうか。そうだったな。今回は日も長くねぇってんで南部も残ってるしな」

そこで松本は黙りこんだ。セイのこの状態は一刻を争う状態ではないにしても、いつどうなるかわかるものではない。体内の血が止まらなければ、それは命にかかわる。

「土方は屯所にいるのか?」
「おりますが……」
「お前、報告に戻ってそれから土方に来るように言ってくれるか」

詳細なら自分が聞く、と斎藤は言いたかった。総司と夫婦になったと言っても、斎藤にとって、セイはセイでしかない。しかし、それを言うことはできなかった。
それに、ここに土方を呼んだ方が報告するにしても安全なのは今の状況を考えれば当然といえる。

「……承知しました。しかし、どこで誰がということは全くわからない状況ですので、重々気をつけてください」

そういうと、斎藤は刀を手に立ち上がった。松本にしても、斎藤がセイを想っていたことは十分わきまえている。しかし、その斎藤にさえ言い難いこともあるのだ。

「すまねぇな。こいつは心配ばかりかける娘ですまん。親の俺からも詫びておくぜ」
「こういうときは、松本法眼が義父でない私の方が気が楽なのかもしれませんな」

斎藤の切り返しに、松本は苦笑いだけを残した。
屯所に戻っていく後姿を見送ると、セイを看ていた南部と代わり、南部には会津公の戻りがいつになるのかを、黒谷へ確認に動いてもらった。

 

それから二刻もたってから土方が松本の元を訪れた。

「それで誰がセイを襲ったのかわかったのか?」
「いや、それは本人からも仔細な状況を聞いていないのでどうにもまだ……」
「そうか。それは仕方がねえな。こいつが黙っていたのが悪いわけだし」

そういうと、松本が土方に向かって頭を下げた。

「俺の不詳の娘が迷惑を掛けてすまねぇ。これはこれなりに、考えてのことだったんだろうが、とんでもねぇ火種を掘り起こしちまったようだな」
「手を挙げてください、松本法眼。これは私も神谷に認めたことですから、お詫びいただくようなことではありません。逆に隊内の取り締まりができていないことでこのような仕儀、お詫びしても足りるものではありません」

松本の謝罪に、土方が詫びた。確かに、覚書を読んだ後、最後の一冊だけは危ないと思った。諸士監察方の山崎と早々に話さねばならない、と思っていた矢先の出来事だ。
それだけに、もっと自分が早く動いていれば、と悔やまれてならない。

「それでな。沖田はいつ戻るんだ?」
「明日か明後日かと思いますが……何か?」

「うむ……俺も武士の仕事の邪魔はしたくねぇんだが……」

そういう松本の顔には、医師としてだけでなく、義父としての痛みが走った。

 

 

– 続く –