縁の下の隠し事 3

〜はじめのつぶやき〜
少し遡って、新婚時代の挑発シリーズです。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

翌朝、屯所に着いてすぐ、セイは土方の元へと向かった。幹部棟の廊下を歩いていると、ちょうど副長室から出てきた隊士がいる。

「おはようございます。神谷さん」
「おはようございます。副長は中に?」
「副長でしたら、外出されていますが」

土方の予定をセイが知らなかったのかと驚く隊士に、こちらもまたそんな話はついぞ知らなかったセイが叫んだ。

「えぇ~!?」
「お急ぎのご用事だったんですか?しばらくは、日中不在にするとおっしゃられてましたが……」
「日中、不在?!」
「ええ。何かあれば部屋に報告を書き置いておくように、また何かの場合はいずれかの組長か、局長の判断を仰ぐようにとご指示が出てますが……」

そんな話は全く聞いてない。幹部会はセイも出ているのだが幹部会ではそんな話は欠片も出ていなかった。困り顔のセイに同情したのか、隊士が細かく説明しながら、通達が張り出されていると教えてくれた。

「どこに?!」
「いつもの大部屋ですけど」
「ありがとうございます……」

がっくりと肩を落としたセイは、大部屋を見に行くことなく診療所へと戻って行った。
何も知らない隊士がセイに嘘をつくことはないだろうし、土方がそうすると言ったのであれば、そうなのだろう。今更それを疑うべくもないが、それでは【しばらく】とは一体いつまでの【しばらく】なのだろう。

このままでは、総司に不審に思われることは間違いないし、その時には総司には言うなと言われていることを言っていいものなのかどうか、まだ夫婦になって慣れない事の多いセイには判断に迷う。
隊士としてでも迷う答えを、不慣れな新妻のセイが判断できるはずもない。

「どうしよう……」

渡り廊下の端に立ち止まったセイは、困り切って思わず呟いてしまった。
何か理由があるのだろうが、その理由を推し量れるほど今のセイは、情報を持たない。幹部会に出ていたとしても、以前のようにあれこれといろんなところに顔をだし、細かな話を拾い上げていた時とは違うのだ。

―― やっぱり、これからはとにかく、何かあった時に情報を掴んでおけるようにしよう

頭の回転は悪くないセイだけに、今、土方がいつ戻るかなど考えても仕方がないし、張り番が山崎ならば、セイと総司の会話を耳にしたとしても、ある程度いいようにしてくれるに違いない。
とにかく情報を集めて、なぜ、土方がこんなことを始めたのかを探ることにした。

診療所の体制はだいぶ出来上がってきて、日頃の指示系統もしっかりしてきた。セイはもともと、自分が手伝う側、下の立場が長くて、誰かに任せる、指示をするということには慣れていななかったが、それもどうにか様になってきた。
これまでなら、引っ越しや大掃除など、陣頭指揮を執ることはできても、それはあくまで現場の中でのことだったと痛感することが多い。

「神谷さん。今日は不足している薬の補充と、またたくさん、古着が集まったので選別して、ボロと着替えとに分けていきます」
「はい。お願いします。私は小部屋にいますね」

そういうと、セイは小部屋に移って、自分の仕事を始めた。まだまだ試行錯誤の繰り返しで今は、手が空いている限り、屯所内の祐筆のようなことをしていた。
土方の手伝いをするうちに、人の筆跡をまねることもうまくなったし、書類を整えることも多いだけに書式にも詳しくなった。

「こういう時だけは鬼副長にこき使われるのも、なんていえばいいんだろ。怪我の功名?」

文机を前にして小部屋に一人、ぶつぶつと呟くセイであった。
とりあえず、土方が日中不在なのであれば、当然、代行するのは一番隊組長からが順当である。それならしばらくは屯所に泊まる日が続くのだと思ったこともセイの気を軽くしたといえた。

昼を過ぎて夕方近くまで、落ち着いた一日で何事もなく、書き仕事をずいぶん片付けることができた。
夕刻、ひと段落つけたセイが診療所に顔を見せると、ちょうど三番隊の隊士が腹具合が悪いと顔を出したところだった。

「なんだか、ここんところ腹具合が悪くてどうにもかなわん。何か薬をもらえないか?」
「わかりました。まずはここに横になってもらえますか?」

そういうと、小者たちが場所を作って、隊士が横になった。セイが様子を聞き取りながら、着物の上から少しずつ腹を押さえていく。

「どのくらい前からです?」
「そうだなぁ。もう四、五日になるかなぁ」
「今、三番隊はお忙しいんでしたっけ」

屯所全体としては、かなり落ち着いているところだが、三番隊はあの斉藤の組である。特命として動いていないとも限らない。
横になった隊士は片手を額に当てて、うーん、と唸った。

「斉藤先生がお忙しいのはいつものことだけど、俺たちは……。あ、そういえば、神谷は聞いてるか?」
「何がです?……あ、この辺固いですねぇ。消化の良いものをとるようにしてくださいね。粥とか饂飩とか」
「うん、だからさ。沖田先生とお前の家のあたりは、必ず巡察路に組み込まれてただろ?局長や参謀の家もそうだけど、何かあったらってことでさ」

近藤や伊東、それに原田など、幹部の家の周りは巡察路に組み込まれるようになっていた。それは新撰組の看板を掲げている者の身内を守るためには仕方のないことかもしれない。だが、総司とセイの家だけは、日中、セイが一人で家にいることも少ないし、セイ自身はそこまでしなくても、と思っていたのだ。

「それが、この前から外れたんだよ。どの巡察にも入ってないんだ。その代りじゃないんだろうけど、しばらくの間、必ず一隊は屯所に待機するように言われてる」
「へぇ……。知りませんでした。お腹は下してます?」

下腹の両脇を押さえると、腹がごろごろと鳴った気がして、セイは指先で下腹の具合を見ながら問いかけた。だが、頭の中では全く違うことを考えている。

巡察路から急に外された家。
屯所に常に待機する一隊。

これは、いつ何があるかわからない動きがあるということだ。
隊士から離れると、セイは手を洗って小者を振り返り、いくつか指示を出して、三日分の薬を整えさせた。

「これを飲んで、腹を冷やさないように。それでもよくならなかったらまた診せに来てください」
「承知。お前、すっかり医者だな」

以前は同じ隊士として接してきたセイがすっかり女医となっている姿に、なぜだか照れくさそうな顔をした隊士は、礼を言って隊部屋へと帰って行った。

後片付けを小者に頼むと、セイは再び小部屋に戻った。
この部屋を、たまり場のようにしていた原田や永倉、藤堂、そして斉藤もこのところあまり顔を見せなかった気がする。セイが落ち着いてきたから、わざわざ顔を出して面倒を見なくてもよくなってきたからだろうと勝手に思っていたが、もし、そうではなかったのだとしたら。

―― なんだろう?

土方の言い方では総司は何も知らないようだが、もしかしたらほかの誰かは事情を知ってるのかもしれない。思い立ったが吉日とばかりにセイは、立ち上がって小部屋から直接、外に出る方の障子をあけた。

「うわっ」
「おおっと」

ちょうど階段を上がってきた総司と、飛び出したセイが危うくぶつかりそうになった。互いに避けると、セイが転げ落ちそうになって、それを片腕ひとつで総司が支える。

「危ないな。どうしたんです?そんなに急いで」
「はぁ、驚いた。沖田先生こそ、どうされたんです?」

総司の腕にしがみついて、何とか滑り落ちずに済んだセイは、どきどきする胸を押さえてため息をついた。こんな時に急に目の前に総司が現れるとは心臓に悪い。
どうしたといわれた総司が困ったような顔でぽり、と頬を掻いた。

「どうされたって……。もう夕方ですからそろそろ帰ろうかと思いまして。何か忙しいところでした?」
「えっ。だって、副長は」
「ああ」

土方が不在ではないかというセイに、総司は笑って頷いた。

「朝、屯所についてすぐに呼ばれましたよ。日中、不在のことが多くなるけど、夕方はちゃんと帰れって。永倉さんと藤堂さんに夕方以降は頼んであるそうです」

もちろん、原田はおまさがいるために、特に何もない場合は夕方になったら帰っていいことになっているらしい。

「えぇぇ……」

セイは、思わずそんなぁ、と小さくつぶやいてから、今度は総司にどうしました?と顔を覗き込まれる羽目になった。

– 続く –