天にあらば 12

〜はじめのつぶやき〜
すいません。ある程度は善処したつもりですが、街道、通るルート、日程などは、妄想だとお許しください。

BGM:
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すぐに別な侍女が土方達の分と宮様や雲居達の新しい茶を運んでくる。

「すまんな。我儘につきあわせたようじゃ」
「そんなことはございませぬ。宮様、雲居様におかれましては長旅故、くれぐれも無理をなさいませぬように」

土方が応じる間に、侍女が茶を配り歩く。その姿にセイが視線だけを送る。

「ほほう。どちらが沖田殿かな?」

土方が首を振って総司を見ると、土方の左後に手をついていた総司が頭を下げた。セイの名乗った神谷が、女房名のような通称であることはすでに宮様も雲居も承知している。

「ほうほう。神谷殿の夫君というのはそなたか。なるほどのぅ。では、午後はそなたも輿に同乗されよ」
「宮様……、それでは警護になりませぬ故……」

土方が止めに入ったところで、雲居が茶に手を伸ばした。

「雲居様」
「なに?神谷殿」

本来呼び捨てが当然のところだが、この顔ぶれで一応気を遣ったのか、宮様も雲居も新撰組の者達を殿をつけて呼んでいた。散々輿の中で可愛がられていた雲居がうっとりとした表情のままで、セイを見た。

「お飲み物はその辺りにしておかれた方がよろしゅうございます」
「あら……」

確かに妊婦は手水が近くなる。輿に揺られているだけでは、さらにそうだろう。午後の行程は決まった宿まで進まなければならないため、午前よりは長くなる。そうそう気軽に厠というわけにもいかない。

セイに止められて、うっすら頬を染めた雲居が茶碗から手を離した。すかさず侍女が出立の支度をと雲居を立ち上がらせる。
今日は、春先にしても暖かな日で、外に向いた障子は開け放たれていた。

 

ヒュッ。

 

音がしたのとセイが反応したのとどちらが早かっただろうか。セイは、雲居の足元に手元の茶碗の蓋を転がした。それに気を取られて雲居が屈んだ所に、表から矢が飛んできて、急に屈みこんだ雲居に気を取られた侍女の腕に矢が突き刺さった。

「あぅ!!」
「きゃぁぁぁ!!」
「曲者っ!!」

雲居と侍女を庇うように立ち上がったセイと、土方と斎藤がぱっと立ちあがって抜刀しながら部屋の外へ出たのがほぼ同時だった。総司は宮様を庇うように立ち上がっている。

「あ……う…」
「雲居様はこちらへ!貴女は無理に動かないで!」

セイは自分の体で雲居を庇いながら、侍女の腕に突き刺さった矢を引き抜いた。骨には障りなく、もう少しずれていれば、肌をかすめる程度で済んだだろう。

土方は、周囲へ眼を配るが、矢を射かけたものはすぐに逃げ去ったと見えて人影はない。

「斎藤」

念のため、周囲を見て回るように斎藤に指示すると、すぐに頷いて外へ向かっていった。土方と総司は部屋の障子を閉めて、外からの狙いを定められないように気を配った。

宮様は矢を見た直後は身構えたものの、腹が座っているのか、今は床の間の壁の傍に落ち着いて座っていた。

「宮様、雲居様、お怪我はございませんね?」
「うむ。私は問題ない。雲居、そなたも大事ないな?」
「は、はい……」

青ざめた雲居が急にふらついて、セイの後ろに座り込んだ。セイが腕を伸ばして雲居を支えて座らせた。それから、矢の刺さった侍女の腕を押さえながら、すぐに自分の荷物を引き寄せた。
片腕だけまくりあげて、袖口を押さえているように言うと、消毒に小さな入れ物に入れてきた焼酎で傷口を拭き清める。荷物の中から、傷薬と包帯を取り出すと、傷口の上から薬をあてがって包帯を巻いた。

「深い怪我ではありません。ご安心なさい。すぐに良くなりますから」

そういって、衝撃を受けている侍女を落ち着かせると、気丈にも侍女は大丈夫だと答えた。雲居が震える声で侍女に声をかける。

「大丈夫?私のこと……」
「雲居様がお気になさることはありません。大したことはございませんから」
「ふむ、本当に大事ないか?」

一応、配慮したのか宮様が声をかけると、侍女は怪我をした身だというのに深々と頭を下げた。

「宮様、御前で大変申し訳ございませんでした」
「よい。おいで」

宮様が立ち上がると、侍女を伴って別な一間へ移ってゆく。忘れ去ったように置き去りにされた雲居は、セイの背後に座り込んだまま、キリ、と左の親指の先を噛んだ。

宮様の警護にと土方が部屋を出て行くと、雲居が低い声で呟いた。

「宮様の周りにいる女たちは、皆、お手がついたものばかりよ。今頃……」

つまり、雲居を庇った侍女へご褒美をくだされることだろうという。

部屋に残されたセイと総司は、困った顔で雲居の傍にいた。雲居が腹立ちまぎれに茶に手を伸ばしたところで、セイが慌ててその手に握られた茶碗を叩き落とした。

「神谷殿?何をするの?!」
「申し訳ありません。今、新しいお飲み物をお持ちします」

セイは懐から手拭を取り出すと雲居の手を拭いて、床に零れた茶を拭きとった。なぜかそれを裏返して折りたたみ、懐にしまうと総司の傍をすり抜けざまに、密かに囁いた。

「雲居様には何も触れずにお待ちいただくようお願いします」

セイの囁きに、総司がその肩に片手を置いて了解したことを伝えた。
部屋を出て、小坊主に台所の場所を聞いたセイは新しい湯のみを整えて、先ほど荷物から薬を取り出したついでに持ってきた桜の塩漬けを懐から取り出した。

竹包みを幾重にも開いてその中から桜を二かけほどつまみだして茶碗に入れた。そこに熱い湯を注いで、一度、塩を湯で流す。茶碗をあたためることと、塩抜きを兼ねて流した茶碗に再び湯を注いだ。

自らそれを盆に載せて運ぶ。

怪我をした侍女は、射かけられた矢こそ思いがけなかっただろうが、雲居に運んできた茶碗だけ、明らかに他と区別していた。ただの茶であれば、茶碗はどれも同じものである。
にもかかわらず、差し出した茶を区別した。考えられることは何か入っているということ。

「失礼します」

再び僧坊の一間に戻ると、廊下を見回っている斎藤が頷きを送って来る。上座に雲居が座り、総司が障子を背に控えていた。

「お待たせしました。雲居様」
「待ったわよ。……でも、どうせもっと待たなくちゃ」

宮様の出立まではもうしばらくかかるはず、と言いたいらしい。そこに別な侍女が現れた。

「雲居様、そろそろお支度を」
「えっ、でも……」

大阪から大和へ向かうために奈良街道を進む。いくらゆっくりとした行程とはいえ、そろそろ進まなければならない。

 

 

– 続く –