天にあらば 24

〜はじめのつぶやき〜
本当の優しさは一番深いところにある。
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斉藤とセイが朝餉を取り終えた後、雲居の部屋へ向かうと雲居がまだ床から出られずにいた。隣室には土方と総司が控えている。そちらに視線だけ送ったセイは、すぐに雲居の傍について声をかけた。

「雲居様。おはようございます。神谷です。ご気分がすぐれないようですね」
「神谷殿……。だるくて……何も欲しくないの」

覗き込んだ雲居の顔色はひどく悪い。そっとセイが手首を押さえると脈もだいぶ弱い気がする。
怖がらないように穏やかに額に手を当てて、様子を見た。

「大丈夫ですよ。お疲れになったのと寒さのためにお体が冷えたのでしょう。温かいものを用意しますので、少しだけ出立時間を調整してもらいますね」

かさねには部屋をもっと暖めてくれるように頼み、湯を用意してくれるように頼んだ。立ち上がると隣の部屋に入り、控えていた土方達の元へと近づいた。
声を落として土方が口を開いた。

「わかってる。どのくらいかかる?」
「せめて一刻は遅らせていただけないでしょうか」
「わからんが、とにかくやってみる。お前は雲居様へついていろ。斉藤、総司、後を頼むぞ」

早い時間から隣の部屋で状況を見ていただけに、土方はすぐに立って部屋を出て行った。心配そうな顔で総司が囁く。

「かなり早い時間にはお目覚めのようでしたが、声を控えていらっしゃったので私達もこちらに控えたままだったんです。もっと早く呼びに行っていればよかったですね。……そんなに?」
「いえ……、大丈夫ですよ」

もっと早くに起こしに来てくれていればと思いはするが、土方達も女性の寝室に聞き耳を立てるのも失礼かと思ったのだろう。
はっきりと否定すると、すぐ立ち上がって雲居の下へと戻り、セイは自分の荷物から薬と桜湯を取り出した。

桜は熱い湯を茶碗に注いで塩抜きをしている間に、薬をいくつか整える。昨夜のような薬湯ではなく、丸薬にしたのは飲みやすいようにだ。

白湯にほんのり香りをつける程度まで抜いた桜を茶碗に入れて、再び湯を注ぐ。温度を調整しながら、雲居の枕元までにじり寄った。

「雲居様、少しだけ起き上がれますか?」
「また苦い薬湯なの?」
「いいえ。丸薬にいたしました。桜湯を一緒にお飲みになれば体も温まりますよ」

手を添えて起こした雲居に薬を飲ませると、暖かな湯が少しはほっとさせたらしい。雲居の顔に笑みが少しだけ戻った。

「桜なんてよく持ってきたわね」
「お約束していてようやくお飲みいただけましたね。梅も持ってきてはいますが、桜のほうがお気持ちも華やぐかと思いまして」
「ほんとね。胸の辺りに重石のようにのっていたものが緩んだ気がするわ」

冷え切った雲居の手を握ってさすってやると、大人びていた雲居がひどく儚げに見えた。
かさねは、泣きそうな顔で熱い湯に浸した手拭で雲居の足元を何度も暖めている。結局、半刻だけ遅くした出立になり、その間に土方と総司も朝餉を取ることができた。

セイは、その間にかさねに雲居の駕籠には厚く敷物をひいて、寒くないように温石の手配などを細かく指示しておいた。
初日は、あれほど雲居にべったりとしていた宮様はぱったりと姿を見せなくなっている。まるで雲居のことなど同でもいいのかと思うくらいだった。

 

遅れた出立を取り戻すために、道を急ぎなんとか金山彦神社の近くの宿泊所まで辿りついた頃には、日は暮れてしまっていた。
到着すると、すぐにセイは雲居に付き添って奥へと入り、宮様の乗った駕籠は宿泊所になった奥の離れまで従者と共に入っていった。
今宵は、寺社ではなく、本陣に宿泊のため土方達は屋内の見回りと周囲への警戒に回る。

雲居の調子は、芳しくはなかったが朝ほど悪くもなく、いくらか粥を口にできていた。かさねとセイがつききりで雲居の傍におり、今夜も隣の部屋には土方が控え、斉藤と総司が周囲への警戒に当たった。

夜半。容態の落ち着いた雲居をみて、昨夜もあまり休めていないかさねを休ませることにして、雲居の傍にはセイだけがついていた。

時折、隣の部屋の土方が、様子を伺う気配を送ってくるので、守られていると思えるが、じわじわと狭まってくるような不安感が徐々に強くなってきていた。

きし。

静かだが、確実に起きている気配があちこちでしている中で、すぐ傍の廊下の床が鳴った。 はっと顔を上げたセイは、眠っている雲居を背にして脇差を引き寄せる。

ゆっくりと歩く足音が近づいてきて、雲居の部屋の前で止まった。 当然、隣の部屋の土方も気がついているのだろう。
息を殺して様子を見る。

するっと躊躇いなく開かれた障子の間に、夜着に身を包んだ宮様本人が立っていた。

「?!」

セイには、本人と宮様もどきとの区別がつかなかったために警戒を解くことができない。隣の部屋の襖がわずかに開いて薄暗い中で土方が頷いたのが見えた。
ほうっと息を吐いて脇差から手を離したセイは、その場で頭を下げた。

「少しだけ邪魔をする」

囁くような声でセイに告げた宮様は、部屋の中に入ると雲居が横になっている枕元に近づいてきた。宮様に場所をあけたセイは、先程土方があけた隙間を背にして襖の前に座った。

宮様が手を伸ばして雲居の額にかかる髪を撫ぜる。薄灯りの中で、愛しむ仕草にセイは視線を逸らした。

「すまぬな。雲居」

その声に、セイが目を閉じる。同時に、優しく撫ぜる手と声に目を覚ました雲居が薄っすらと目を開けた。

「……宮様?」
「具合がよくないと聞いた。大事無いか?」
「もちろんですわ。宮様のお子ですもの。少しだけ今は我侭を言っているのですわ。父上と離れたくないと、ね」

嬉しそうに宮様を見上げた雲居が問いかけに答えた。
セイと対面したときとは違う、気遣わしげな様子に雲居は少しだけ甘えた顔を見せたようだ。子供の悪戯を許すように宮様が頷いた。

「そうだな。このような立場にいる父にも母にも一言ものを申したいのであろうな」

穏やかに交わされる会話には、どちらも諦めにも似た悟りが感じられた。
雲居を見つめたまま、振り返らずに宮様がセイに向かって話しかけた。

「さぞ、情けない男にみえるであろうな。神谷」

はっと顔を上げたセイは、首を横に振った。

「そんなことはございません」
「よい。気を遣わずとも。愛しいと思った女子を守ることもできぬ腑甲斐無い男なのだ、私は。このような状態で無理をさせればどうなるかわかっている。だが、私にはそれを止めることもできぬ」

―― このような時代でなければ、そなたを幸せにできたかもしれんな

微かな含み笑いが聞こえて、宮様と雲居が互いに微笑みあっているのがわかった。本当は体を起こしたかったが、無理はできないと堪えた雲居は、にっこりと微笑んだ。

「今でも幸せでございますよ。宮様。あのまま、古い家に囚われて、生きたまま腐っていくような日々を繰り返すよりも、体は辛くとも今のほうが生きていることを実感できますもの」
「だから私はそなたに惹かれるのだ。その強さにな」

顔を伏せたセイは、聞いている自分のほうが辛くて、目を閉じて耳を塞ぎたいくらいだった。初めの二人の様子や、振舞いだけを見ている限りではわからなかった。こんなにもお互いを思っていても共にいる時間さえ、思いのままに振る舞うことが許されない。

武士であればこんな風に思うこともなかったのか、武士であったからどちらの想いも理解できるのか。ただ、清三郎だった頃と違うことは、心のままに泣くことはもうできないということだけだった。

– 続く –