枯葉が舞うから 1

〜はじめの一言〜
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一人に慣れる事。それがこれほどまでに大きかったのかと今になって思う。

―― だからってどうしたいってことはないんだけどさ

藤堂は未だになれない新しい屯所の中で一人で庭を眺めていた。
今までなら、原田なり、永倉なりが通りかかって飲みに誘うでも、将棋をさすでもなんやかやと賑やかに過ごしていた。だが、今はひどく静かな気がする。

隊士達、というべきか、同士達ははるかに少なくて、かつての藤堂が率いていた八番隊とほとんど変わらないくらいだ。そのほとんどは、伊東がもともと江戸から連れてきた者達で、決して仲が悪いとかそういった話ではないのだが、やはりどこかが違っていた。

「そっかぁ。今日は斉藤さんもいないんだった」

非番になった斉藤がどこへ行くのかは知らない。唯一と言っていいほど、伊東派ではない斉藤がいなければ、持て余した暇もつぶしようがなくなって、外出を告げるとあてもなく市中へと歩き出した。

同門の義理と、勧誘に応えてはるばる京までやってきたこと。その恩義に報いるために近藤達から離れたことに後悔は今もない。
離れてこそ初めてわかること、そしてわかっていると思い込んでいたことにも気づかされる不安。

―― 今も変わってないよね?

幕臣になったと言っても、今も志は同じだと信じているからこそ離れても変わらないと思っていた。
だが、少しずつ離れたのは屯所の距離だけでなく、志の距離でもあるような気がして、藤堂は何かを探しているかのように町を歩く。

―― お悠ちゃん、どうしているかな

仕事の事を忘れたくて思うことは、限られてくる。今でも一番思い出すのはお悠の事だ。肌を合わせる事さえなく、目の前から消えたからこそ、記憶の中ではきれいなままでいつまでも忘れ難いのかもしれない。
ほんの一瞬、触れただけの口付けと、互いに抱きしめあった事だけが記憶の中に残っている。

「そう言えば、俺、笑った顔みたことないのかもしれないなぁ」

だからこそ、セイの笑顔に惹かれるのかもしれない。お悠を想っていても、なんのこだわりもなくセイを好きだと思えたのは、絶対に自分を振り返る ことのないこと。そして、だからこそ惹かれたのであって、もし、セイが、お悠のように女として目の前にいたとしても、本当に惹かれただろうか。

腕を組んで袖口に両手を差し入れた姿で、ぶらりぶらりと町を歩く。
二度と会う事のない女と、絶対に振り向くことのない女。

だからこそ、二人とも何の憂いもなく安心して心から想うことができる。

―― そりゃあね。俺も男だからさ

出来る事なら、目の前にいてほしい、この腕の中にいてほしい。そう思わないわけではない。だが、それはお悠に教えられた。
それまでも、幾度も目にしてきて、身に沁みついていたつもりだった現実だ。

いつどうなるともしれない身。
それを片時も忘れたことなどないはずだったが、惚れた相手にとって、その事実がどれだけ重いのかと言うことを。

藤堂の身近には、原田の妻、おまさのような女や、お考のようなそれでも傍にいるという女達がいたから、どこかでお悠もそう思ってくれるのではないかと思っていたのかもしれない。
今になれば、原田も家には決して汚れた着物を持って帰らない事や出動した後は必ず屯所で風呂に入り、身を清めてから家に帰っていた。

あれは、血生臭い世界を知らないおまさへの気遣いだったのかと思う。

「……淋しい、のかな。俺」

それでも平気だったのは、武士だから、男だからだと思っていたが、近藤達への疑念や、不安に襲われた今、初めて気づく。

ぶち。

「おっと」

切れた鼻緒で躓いた足を止めた藤堂の耳に、小さなつぶやきが耳に入った。

「あ」

屈み込もうとしていた藤堂が、そのまま中腰で振り返るとそこにはセイがこちらを見ていた。
藤堂の足元を見たセイはすぐに歩み寄ってくると懐から手拭いを取り出す。その端を、びっと噛み切ると、細長く割いた。

「少しこちらに寄っていただけますか?」

往来の真ん中で鼻緒をすげるのはさすがにどうかと思い、どこかの店の板塀の近くまで藤堂を促すと、セイはそのまま屈み込んだ。小柄を取り出し て、鼻緒を止めていた糸を切ると切れ端を捻って小さな穴にねじ込んだ。小柄の先を巧みに使って、すげ終わると、裏側できれいに端を切って、小柄を収めた。

「お待たせしました。藤堂先生」
「うん。ありがとう。まだそう呼んでくれるんだね」

もう同じ隊ではないのだから『先生』なんて呼ぶ必要はないのに、と言いたかったのに、なんだか突き放したような物言いになってしまった。慌てて手を上げる。

「ごっ、ごめん!あの、違うんだよ。別に、その、なんていうか嬉しくて。……まだ先生なんて呼んでくれるんだって思ったからさ」
「当たり前じゃないですか。そんなの。そりゃ、伊東先生はもう参謀じゃないので、参謀なんてお呼びできませんけど」
「うん。そうなんだけど、さ。そうだよね。いくら京の町って言っても会うことくらいあるよね」

落ち着かない姿で、ごし、と手のひらを腰のあたりで拭った。手のひらの妙な汗を拭うと、手を握ったり開いたりを繰り返す。

「その……、もしよかったらお茶でも飲まない?あ、もちろん、時間があったらなんだけどさ。土方さんのお使いかなんかかな?」
「いえ……」

少し、勝手な真似をしてどうかと思ったが、こんなことくらいで叱られるならそれはそれで構うものかと思い直して、セイは頷いた。

「大丈夫です。私も久しぶりにお会いできて嬉しいので」
「ほんとに?よかった!、あ、えっと、よかったって言っても、その、へんなことじゃないんだけど」
「わかってます」

初めてにこっと笑ったセイに、落ち着きのなかった藤堂もえへへ、と笑った。

「通り沿いの店とかじゃだめだよね」

そういうと、近くの店を思い浮かべて困った顔をした藤堂にセイが頷くと、こちらへ、と先に立った。飲み屋の類いは詳しくても甘味や料理屋にはあまり詳しくない。そんな藤堂をいざなってセイは落ち着いて小さな料理屋へと向かった。

表の通りが見える座敷に通された藤堂とセイは、向かい合って腰を下ろした。

「藤堂先生はお酒の方がよろしいんですよね?」
「あ、いや。神谷は?」
「先生が飲まれるなら少しだけ」

まだ昼前に酒というのも自分だけではないので、結局、茶と少しの料理を頼み、再び黙り込んだ。

「あの、おかわりありませんでしたか」

沈黙に耐えかねた訳でもないが、 他に何を言っていいのかわからなくてセイはそのくらいしか思いつかなかった。顔を上げた藤堂は、ぱぁっと笑みを浮かべた。

「あ、うん。俺は全然かわりないよ。そっちは……、神谷は変わりない?」

変わりないかと聞かれれば、中村たちの一件や、幕臣になった事も変わりがあったことにはなる。それをどういえばいいかわからなくなって、神谷は、と言い換える。セイもその意図を汲んで、一つ頷いた。

「一番隊からは外れて、医薬方を任せていただきました。でも皆、副長に報告するぞって言わないと、調子にのって大変ですよ」
「あはは!そりゃーそうだよ。俺だって」

きっと、同じだった。

何気なく、思わず口にしそうになったところで藤堂の顔が固まって、言葉が止まる。ゆっくりとその顔には申し訳なさそうな色が広がっていく。それ を見たセイも、藤堂が今どういう状況に置かれているのかわからないが、隊にいればという話をどうしても避けられない自分が不甲斐無くて、唇を噛み締めた。

– 続く –