陽炎

〜はじめのお詫び〜
リクエストにより、現代編の斎藤さんの幸せを書いてみました
BGM:Celine Dion BECAUSE YOU LOVED ME
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久しぶりの連続した休みに恭子を連れて都内をぶらぶらと歩き、斎藤にしては珍しく自宅まで戻れない距離ではないのに、ゆっくりしたいからと都内 のホテルに部屋をとった。高級ホテルは外国のビジネスマンや来賓も泊まるようなホテルの1室に入ると、広々とした部屋で、ソファに座った斎藤がふーっと息 を吐いた。

「疲れたんじゃない?普段は病院の中ばかりなのに、今日はたくさん外を歩いたから」
「ああ」

デスクの上にバックを置いた恭子は、クローゼットへ向かうと中をあけて備え付けのスリッパを出した。斎藤が座ったソファの横にそれをおいて、楽にして、と言った。

「ビールでも飲みます?」

恭子も歩き疲れただろうに、斎藤のためにと恭子は冷蔵庫からビールとグラスを持ってくる。斎藤の傍でグラスにビールを注いだ恭子に、斎藤が手を差し伸べた。

「カズさん?」
「なぜ、こんなにあちこち歩いたか、変に思ったろうな」

斎藤の名前が呼びにくいだろうと、周囲の仲間たちがつけた愛称を恭子も言うようになっている。斎藤の手に引き寄せられて、恭子は斎藤が座ったソ ファの肘掛のあたりに寄りかかった。レースのカーテンが引かれた窓の外には夜景が広がっている。斎藤はどこか遠くを見ながら、寄り添った恭子に腕を回し た。

「無理に話さなくてもいいの。あなたには、理由があって回ったんでしょう?私は一緒に連れてきてもらっただけで嬉しいからいいの」

斎藤の肩に手を添えて、恭子が静かに微笑んだ。

「すまん」

ぽつりと斎藤が謝ると、恭子は小さく首を振った。遠くを見たまま、斎藤が静かに口を開いた。

「……嘘だと……。その気持ちが悪いと思われるかもしれないが、俺は昔の、いうなれば前世のような記憶がある。今日、歩いたのはその頃に少しばかり縁があるところだ」

今まで他の誰かにこの話をしたことはなかった。もちろん、記憶のある関係者以外には。恭子がどんな反応をするのか、恐れていたともいえる。

「理子は……前世では想いをかけていても敵わない片思いで、それをずっと俺はどこかで引きずって生きてきた。医者になったのも、人の命を生かす方にまわりたかった」

ゆっくりと噛みしめるように話す斎藤に、恭子は黙って聞き入っていた。
変わらず肩に置かれた恭子の手が暖かくて、斎藤の目から一筋の涙が零れた。

「本当に、おかしいと思うだろうな。前世で叶わなかった想いを引きずって生きるとは……。だが、俺はもうあいつに男として何かしてやれることはないと思っている。それよりも兄として、来世までも見守り続けてやりたい……ただ、そんな風に思っている」
「理子さんが本当に、……家族なのね」

そう言った恭子の声には、驚きも憐憫もなかった。

「あなたには、何か大きな秘密があるとずっと感じていたのはそれだったのね。きっと、すごく重くて、辛いのかもしれないけれど、きっとあなたの前世ならできることを最後まで命の限りつくした人だったんだと思うわ」
「そんな大層なものじゃない。ただの……、馬鹿な男だ」

斎藤の中で色々な思いがあるのだろう。なかなか続きを言うことができずにしばらく黙ったままの時間が流れる。グラスの中で泡の弾ける音だけが響いた。
ようやく、平静を取り戻したのか、斎藤は自分の隣に引き寄せていた恭子の顔を見上げた。

「あいつは、もう俺にとっては妹だ。そして、俺が生涯を共に生きてほしいと思うのはお前だ」
「カズさん……!」
「一緒にいてくれるか……こんな俺だが……」

恭子は、斎藤の頭を胸に抱きかかえるようにして、頷いた。

「ずっと……私がいつか、あなたに飽きられるんじゃないかと思っていたの。平凡でこれといった取り柄もないし……」
「違うさ。お前は俺に、明日もまた同じ平凡な毎日が続くと思わせてくれる。当り前の毎日が続くと……な」

斎藤の仕事では、今も守る側に回ったとはいえ、毎日が明日どうなるかわからない中で常に闘い続けている日々だ。そんな斎藤にとって、平凡で、当り前の日常を与えてくれる恭子にどれだけ癒されるだろう。

「あいつが幸せになるまではと思っていたが、もう、一つくらいは先に進んでいてもいいだろうと……」

そう言いながら、斎藤はジャケットの内ポケットからブルーのケースを取り出した。それが何かは見なくてもわかる。

「ありきたりですまん。本当は花でも用意すればいいんだろうが、気がきかないからな、俺は」
「やだ……、普通、こういうのくれるときに謝るなんて……」

掌に乗せられたケースをそっと開くと、マーキーズブリリアントカットといわれる、縦長にカットされたダイヤのリングが収められていた。手に取ると、プラチナの台にイエローダイヤというリングで、両脇に取り巻きのダイヤがいくつか並んでいる。

「カズさん、これ……っ!すごい高そう……」

泣き笑いの顔で恭子が言うと、斎藤は空になったケースをテーブルにおいた。

「その、……気に入らなかったり、サイズが合わなかったら取り替えてくる……」
「いやだ…こんなに素敵なの、気に入らないはずがないじゃない」

自信のなさそうな斎藤に、恭子は笑いながらリングを差し出した。

「はめてくれないの?」
「……~う、式までには練習しておく」
「練習するようなもの?」

笑いだした恭子に、赤くなった斎藤は憮然としてぼそぼそとつぶやいた。

「俺は、こういうものを買うのも、あまりないし、その、自分も身につける習慣はないし、しゃれたことにも疎いし、だから……、後悔、しないか?」

斎藤の、最後の言葉に恭子はソファから滑り下りて、斎藤の膝の上に乗った。斎藤の首に手をまわして、ぎゅっと抱きつくと斎藤の頬にキスをする。

「私、重いでしょう?もっと太るかもしれないし、すごいおばあちゃんになるかもしれないわよ?それに、もしかしたら理子さんを小姑みたいにいじめるかもしれないわよ。後悔しない?」
「お前はそんなことは絶対にしない。しないし、太ってもお前はお前だし、年をとれば俺なんか頑固じじいにしかなれんだろうな」
「でも、私はカズさんと一緒にいたいわ」

その言葉に、斎藤は息がかかるくらい近かった恭子に口付けた。柔らかく、優しく交わされた口付けに、斎藤は温かいものに満たされていく気がした。

「これから、大変だぞ。俺は何をすればいいのかわからんしな。まずはあいつらに報告からだが…」
「沢山、幸せのお裾分けして、理子さんにも早く幸せになってもらいましょ?」
「これからも厄介な妹つきだがよろしく」

手を添えて、膝の上に抱え上げた恭子に斎藤が少しだけおどけた口調で言った。恭子は、自分ではめた指輪を見せながら、頷いた。

「私、一人っ子だから嬉しいわ」

恭子にとって、斎藤はいつか去る人だった。それが、いつの間にか、大事な人だと公言されるようになって、大事な家族である理子に紹介されて、期待してはいけないと思っても、女心としては嬉しかったし、夢も見た。
自分には踏み込めないものがあるのは分かっていても、この人は自分を裏切りはしないだろう、と思う。

これまでのように自分を置いてどこかに行きはしないだろう。

斎藤は自分が与えるばかりだと思っていたが、いつの間にか、恭子に与えられていた。こんな厄介な自分をよく……と思う。

恭子を抱き締める腕に力が入る。

―― あいつらもいつかこの想いをわかればいい

愛しいと思う人と共にあることを。

 

 

– 終 –