薄明 1

〜はじめのお詫び〜
クリスマスシーズンですから、ね。
BGM:ELT きみの て
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「こんばんわ」
「あれぇ。神谷」

久しぶりに店に現れた理子に藤堂が驚いた。ショールとコートを脱いだ理子がカウンターに座った。
にこっと笑ったもののどこか元気がなさそうで、目の前に立ちながらも不思議そうな顔をする。

「久し振りだね。総司の所に引っ越してから初めてじゃない?」
「そ……かな?」
「そうだよ。今までならもっと頻繁に来てくれてたのにさ。今はメールだけじゃん」
「ごめん……」

カウンターの上に手を組んだ理子の前に、いつものように理子の前で好みのカクテルを作りはじめた。

「今日は、藤堂さんに会わないとかなって…」
「え?今日?なん……ああ。そゆこと」

途中まで言いかけて藤堂が納得した。きれいなグラスにカクテルを注ぐと、薄いピンク色のカクテルにミントの葉を乗せた。
コースターをカウンターに滑らせるとその上にグラスを置いた。

「で?今日は一人?」

可愛い小皿にカットしたチーズを乗せて理子の前に差し出す。
理子は、小さく首を横に振った。

「一橋さん、今日は遅いみたいだし」
「一橋さんって一緒に住んでて、その呼び方ってさぁ……」
「一緒に住んでてって……、だって同居させてもらってるだけだもん」

ぼそぼそと小さな声で言った理子の言葉を、藤堂は聞き流さなかった。理子の目の前のカウンターに手をついて、藤堂が身を乗り出した。

「ちょっと!!同居させてもらってるだけって!!!」
「だ、だって……。もうっ、いいじゃない!!一橋さんだって、今日はたぶんデートだもん」
「デート?!誰と!?どういうこと?!」

うう、と小さく唸った理子が、もういいでしょ、と言った。隣のシートに置いたバックをごそごそといじって携帯を取り出す。
身を乗り出した藤堂の眉間に皺がよった。

「今日は藤堂さんに会いに来たんだってば!なんで一橋さんの話なのっ。もうやめようよ」
「だって、そう言われたって今日が特別な日じゃないもん、今の俺にとっては。それよりそっちの話の方が大事じゃないの」

がっちりと食いついてきた藤堂に理子はなかなか口を割らなかった。

「いいのっ。単に同居してるだけなの。一緒にいられればそれでいいんだから」
「一緒にいるだけって、いくつの大人同士の話なのさ!大体それで総司がデートしてるってどういうことだよ」

グラスに手をのばして、ピンクの液体にぺろりと舌を伸ばす。
確かに、いい年をした女性としてもなかなかに話し難いことであるし、ようやく一緒にいられるようになったものの、単なる同居だけでどうしても理子の遠慮や複雑な女心が素直になりきれない。

「大体、付き合ってるとか彼氏とかそういう話したことないもん」
「はぁ?!……あのねぇ、神谷。いくらなんでも今時、中学や高校でもそんなベタな付き合い始ってないよ?言わなくったって、二人はもっと……じゃん!」

さすがに店の中だけあって、途中からうっすら赤くなった藤堂が声を落とした。
理子も店内の客の視線が痛くて、顔を覆ってしまった。

「やめてよ……藤堂さん。もう」
「わかったよ。で、何で総司はどこの誰とデートしてるのさ」
「今日の相手は知らない」
「今日の?!」

再び藤堂の声が大きくなる。
頬杖をついた理子の携帯を握った片方の手を藤堂が掴んだ。

「神谷。ほんとにまじめに聞いてるんだけど?」

―― 場合によっては、俺は総司を殴りにいくよ?

密やかに告げた藤堂のまじめな声に理子が掴まれた腕の上に顔を乗せた。

「黙って……てくれる?」

それを聞いて、理子自身が誰かに話を聞いてほしくて、他の誰にも言いだしかねていたことがわかる。確かにこんな話を敏也や斎藤に言ったら何をするかわからないだろう。
一番安全だと思われた藤堂が複雑な気持ちを抱えて、仕方なくうなずいた。

「場合によるけどね。とにかくどういうこと?」

顔を上げた理子が、目の前のグラスの縁を指先でなぞりながらぼそぼそと話し始めた。

事の起こりは、半月程前に終わった商業施設のイベントで行われたオータムコンサートだった。リハもかなり前から数回行われていたそれは、演奏もボーカルも女性ということで華やかなイベントだった。
しかし、そのイベントの演奏をした女性は理子が苦手にしている演奏家で美人ではあるものの、女性の音楽関係者にはあまり評判の良くない人だった。

ずいぶん理子に対しても当たりがきつくて、しかも、自分が主役だと云わんばかりの演奏で、正直歌う側の理子はリハの度にすっかり疲れきっていた。
それが最後の数回になると急に彼女の態度が変わった。リハに来るにもナチュラルメイクを装っているがその実、ばっちりとした顔で、いかにもこれからデートなのがわかる。
さすがに仕事の手は抜かないものの、明らかに弾き方も変わってきていて、関係者皆が首をひねっていた。

最後のリハの時、楽屋で一緒になった理子は急に彼女に話しかけられた。

「ねえ?貴女、調律師の一橋さんと付き合ってるの?」
「え?何ですか?急に」
「なんかそんな噂聞いたのよね。でもおかしいわよねぇ。彼、昔から来るもの拒まずで決まった彼女のいない人だったのよ?」
「そうですか。私、去年は日本にいなかったし、そんなに詳しくありませんから」

狭い世界だけにこういう噂話もあちこちで耳にする。仕方がないと思っていても、むかむかする気持ちは止められない。
理子は、さも興味などありません、という風情でそっけなく答えた。それが彼女の勘に触ったらしく話はどんどんエスカレートし始めた。

「そうよね、貴女そんなにキャリア長くないのよねぇ。彼、格好いいし、優しいし、彼に付き合ってもらった女はみんな離れられなくなるのよ」
「もてるんですね」
「そうよ。彼と寝たい女は多いのよ。でも、最近は私が相手なの」

もう聞きたくないとばかりに、理子は鏡に向かってメイクを直して、自分の荷物をまとめはじめた。その理子の手を彼女が掴んだ。

「ここしばらくはずっと特定の女だけを相手にすることなかったのに、今は私なの」
「……よかったですね」
「今日も一緒なのよ。貴女も噂どおりに彼を狙ってるなら駄目よ」

付き合いきれないとばかりに彼女から離れた理子は荷物を持って楽屋から出た。

 

– 続く –