灯台

〜はじめの一言〜
サノパチコンビはバイプレーヤーだよね。
BGM:絢香 夢を味方に
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「元気か?」

 

旅慣れたラフな姿に、肩から下げているのはカメラバックとほんのわずかの身の回りの物を詰めたバック。
そんな姿で理子のもとを訪れたのは原田だった。

日本をでてから、理子が暮らす街に現れたのは一年半も過ぎたころだろうか。

不意に理子のもとに現れた原田は、仕事のついでに立ち寄ったのだという。翌日の夕方には次のフライトで仕事先に向かうらしい。

相手が原田ならば、と理子はアパートメントに泊まるように言った。理子が借りている部屋は、少し広めで、原田が泊まっていくくらいはもちろんできる。わざわざ立ち寄って、1泊のためにホテルをとることもない。原田も、あっさりとその招待をうけて、理子の部屋に向かった。

 

理子が練習用にしているピアノを置いている部屋を提供することにして、部屋に落ち着くと、原田はまじまじと理子の顔をみた。

「元気そうでよかったよ。もっと、なんつーか荒んでるかと思ってたんだ」
「どうしてです?そんなわけないでしょ?」

私、幸せですもん。

そういうと、慌てて買いだした食材で、原田のために腕を振るう。
その姿には、以前、藤堂や山南が心配していた昏い闇は微塵も見られなかった。

次々と、原田のために料理を並べて、あれこれと話は弾んだ。今の理子の仕事や友人のこと、原田の仕事先での出来事。

理子にとっても、楽しい一時だった。なぜとか、よけいなことを聞かない原田の気遣いと、久しぶりの日本語での会話が楽しかった。
散々食べて、飲んだ原田がもう寝ると言い出したので、部屋に案内し、ソファベッドを用意した。

着替えもせずに横になった原田に、軽く上から掛けてやると、眠ったのかと思っていた原田が、低い声で話しかけた。

「なあ、神谷。お前さあ、自由に生きていいんだぞ」
「原田さん?」

聞き返した理子は、そばにあるピアノの椅子をひいて、そのまま座った。

「俺らがなんで昔を覚えてるかなんざ、俺達にだってわかるわけもねえ。でも、俺はやりたいことをやって満足して死にてぇ」
「昔は違いましたか……?」

昔のことについては、これまでほとんど口を開かなかった原田が初めて口を開いたのだ。始めて聞いた、昔の原田の声に、理子は静かに問いかけた。

「いんや。昔は昔で、やれるだけのことはやったんだと思うさ。でもなあ。俺には女房も子供いたうえで、随分勝手気ままに生きたと思う。だから昔は昔だ。だがな」

目を閉じたまま、昔よくやっていたように頭の後ろで腕を組んで原田は淡々と語った。

「お前や、平助や山南さんたちが昔を覚えていようが、結局、過去はかえらんねぇんだよ。その分も、しっかり生きるしかできねぇんだ。俺はそう思う」

やがてゆっくりと目を開くと、理子を見た。

「俺が何でフリーカメラマンやってるかわかるか?」

理子が首を振ると、へらっと笑ってそうだよなぁ、とつぶやいた。そして、枕もとに置いていたカメラを手に取った。

「これさ、実は八さんのなんだ。八さん、いや杉村さんにも実は俺は会ってんだ」
「えっ、だって、まさか……。そんなこと今まで一言も」
「誰にも言ってねぇ」

どうして、と口を開きかけた理子に、原田が告げた。

「今の名前は杉村さんってぇんだ。俺の先輩カメラマンで、俺の目の前で死んじまったんだよ」

それは、数年前。原田と杉村が組んで、中東を回っていた時のことだ。フリーのカメラマン同士、しかも気が会うのは昔も今も一緒で、二人はよく組んで仕事をしていた。
その時も、同じように、戦場の様子と、戦場で暮らす、普通の人々を撮ることが仕事だった。

あっという間に、普通の路地が最前線になる。二人とも防弾チョッキは当然着ていた。

それでも戦場になった街で防弾チョッキなど気休めでしかない。

さすがにまずい、と思った。
ぱん、ぱんっと続く乾いた銃声を聞きながら、後退する人ごみにまぎれて、逃げる最中、流れた弾はかつて永倉という男だった者の命をあっさりと奪い去った。

日本人が巻き込まれたということで、ニュースにもなり、たくさん取り上げられた。

なぜそんな所に行ったのかとまで叩かれた。ジャーナリストであっても、無責任だという声や多くの非難にさらされた原田は、一切を噤んだ。

「杉村さんは、俺にとっては先輩であり、仲間であり、大事な友人だった。すっげぇ色んなこと話したんだぜ。昔だったらどうだったとかさ」

カメラマンである原田と杉村は、戦うことをやめない者たちにそれが、どれほど虚しいことなのかということを伝えるためにカメラを手にした。

「杉村さんの意思を継ぐためにも、俺は戦場を回るのをやめたんだ。代わりに、普通の人たちを撮ることにした。普通に生きて、死ぬことの意味を撮るためにな」

理子の目に涙が溢れてくる。まるでそれは理子の歌にも似ている、と思った。
普通に誰かを愛し、慈しむこと。今ならそんな普通のことが難しかった時代を知っている自分達だからこそ、命の意味を誰より知る。

「お前は今の俺にとって灯台みたいなもんなんだ。昔のあいつらと俺が好き勝手に動き回ってるのを迷わねぇ様に灯りを燈す希望ってぇかさ。だから、お前は昔の神谷にも、昔の総司にも構うこたぁねえ。好きに生きればいい」

―― 俺はそれを言うために来たんだ。

 

理子は、久しぶりに気持ち良く泣いた。日本を出た時に、もう二度と泣かないと決めたのに、流れる涙は、そんな誓いもあるがままに流し去ってくれたようだ。

あるがままでいい。

目を閉じて眠りに落ちた原田を置いて、自分の寝室に入ったセイは、ベットサイドのPCの電源を入れた。今日も藤堂からの着信メールがある。

『帰っておいでよ、神谷』

いつも同じタイトル。

ふふっと理子は笑った。泣きながら、笑える自分が嬉しくて、また涙がこぼれる。

 

生きている今に感謝しよう。自分が在る今に感謝しよう。
どんなに暗い夜も明けぬ朝はないのだから。

 

 

– 終 –