月へ向かう船

〜はじめの一言〜
理子ちゃんが帰国する前のお話です。そろそろSeason2が書きたくなってきました。
興味のある方はこの曲の歌詞をしらべてみてね。
BGM:Diana Krall Fly Me to the Moon

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『神谷ってば、寄り道にどれだけかけるのさ?』

PCの画面の上で、カーソルがチカチカしている。Skype のチャットウィンドウでは時差もものともせずに藤堂がメッセージを打ち込んでくる。

2年と半分。住み慣れた町から荷物は送った。もともと、家具もついた部屋だったし、そう多くない荷物はとっくに日本についているだろう。

理子は、延々帰ってこいという藤堂のメールをいつか楽しみに受け取りながら、過ごした町を離れる決心をしたのは斎藤のメールだった。

いつも短いメールや、ほとんど挨拶だけの電話でも戻ってこいとは一言も言わなかったのに。

 

『俺が心配だからそろそろ帰ってこい』

「ふふ」

理子は思い出し笑いをしてしまう。本人は一言も言わなかったけれど、藤堂のメールでは、病院関係の知り合いの紹介で理子に会わせたい女性がいるらしい。平たく言えば婚約するようだ。
自分に紹介してからでないと、先に進めないと考えているのか、本当に理子が心配なのか半々というところだろう。

そうして、住みなれた部屋を引き払って、理子は日本に帰る前にN.Y.に短期の滞在をしていた。

今の理子は、クラシックだけでなく、なんでも歌う。仕事で歌わないのはオペラと演歌や民謡くらいだろう。しばらく前からジャズにはま り、日本に帰る前にどうしても来たくて、N.Y..のB&Bに滞在して、JAZZのレッスンや知り合いの紹介でJAZZバーで飛び入りとして少し 歌わせてもらったりしている。

今夜も日本時間に合わせているために行きつけのJAZZバーにノートPCを持ち込んで軽く食事をとりながら開演を待っている。

『ちょっと?!神谷?寝てるの?』

チカチカと画面上で催促される。グラスを片手に片手でぽち、ぽち、とキーを打つ。

『寝てるかって?JAZZバーにPC持ち込んでるのよ?』

『そんなのわかんないよ!ねぇ、いつ帰ってくるのさ?飛行機のチケットだって期限あるじゃん!』

「相変わらずだなぁ、もう」

そう言うと、もう一度今度はグラスを置いて両手でキーを打った。

『分かってる。近いうちに帰るってば。そろそろ始まっちゃうからまたね』

『絶対ま』

藤堂の返事が打ち終わる前に、接続を切ってPCをバックにしまう。カウンターの中に声を掛けてバックを預かってもらった。
ようやく落ち着いて、飲める。

そう思いながら、グラスを手にすると、溶けかけた氷がからん、と音を立てる。

「隣、いいですか?」

日本語!

振り返った理子の前に、洒落たスーツを着た総司が立っていた。呆気にとられた理子が反応できないでいると、返事を待たずに隣に座った総司が、ビールを頼んでいる。

「あ、の」
「仕事」

なんて話しかけていいのかわからなくて、言葉が出てこないでいると総司が短く言った。理子は、は、と眼を閉じて頭を軽く振った。

「どうしてここが?」
「たまたまですよ。……っていうのは嘘かな。藤堂さんと斎藤さんにちょっと」

理子は、久しぶりに会った総司に自分の心臓が早鐘のようで息が苦しくなりそうだった。
グラスを一気に飲み干すと、お代りを頼む。

「そんな飲み方、よくないですよ?」
「だって。そうでしょう?」

―― こんなサプライズ、飲まずにはいられない

総司に会ったのは、もう3年近い前なのだ。過去と向き合って、そうして一方的に逃げるように日本を離れて。
それでも1日も夢に見ない日はなかったというのに。その総司がいきなり目の前に現われて平静でいろという方が難しい。

もう、冷静でいられると思ったのに。
こんなにも、どきどきして、まるで十代のいや、あの頃の自分のようだ。

あれほど心の奥底に沈めたと思っていた過去の自分があっさりと自分に重なる。

「リコ、歌うかい?」

本番前の前座の時間に歌うかとカウンター越しに聞かれて、理子が今は歌えない、という前に、総司が横から口を出した。

「飛び入りでピアノを弾いてもいいかい?」
「弾けるならいいとも」

あっさりと許可をもらった総司が理子に手を差し出した。

「1曲どうです?私が弾いてもいいなら」
「あ、ええ。何を?」

動揺したまま、ほとんど片言の会話しかまだできていないというのに、歌えるのかと理子は心配したものの、今は話すよりもいいかもしれない、と思った。

 

―― Fly Me to the Moon

 

それを聞いていた黒人の店員が、にやりと笑っていい選曲だ、といってバンドに伝えにいく。理子の手をとって、ステージに上がると、バックバンドに軽く手をあげて合図を送ると、すぐにリズムが刻まれた。

初めて聞いた総司のピアノは、思いのほか滑らかでベルベットのような艶やかさと琥珀色のウィスキー、いやバーボンのようで、理子はまるで酒の香と味わいに酔うように歌った。

ピアノによりかかり、さすがに正面から総司を見ることはできないまでも、曲の歌詞を歌いながら、くすりと笑みを浮かべて一人のシンガーとして歌う。

 

私を月に連れて行って。

 

心のどこかで、やられたなぁと思う。今の総司はこんな洒落たことができるくらい野暮ではないということだろうか。

歌い上げると、拍手と客の男性からのウィンクや軽いキスが飛んでくる。片手をあげて応えると、不意に腰に手をまわされた。後ろから総司が手をまわして挨拶をすると、そのまま手を引かれてステージを降りた。

カウンターのもとの席に戻ると、バーテンが奢りだといって二人に一杯を置いて行く。

「一橋さん、お上手なんですね。とても趣味とは思えないです」
「そうでもないです。JAZZは吉村さんのほうが向いてますからね」

さらりと応えて、総司は奢りだというグラスに手を伸ばす。
チン、とセイのグラスに軽く当てると、くいっと一口飲んだ。そして、理子の顔を眺めた。

じっと隣から見つめられるだけで頬が熱くなってくる。すう、と息をすうと、グラスに手を伸ばして、理子は両手で包みこんだ。

「お元気そうですね」

気の利いたこともいえなくて、やっとでてきた言葉がそれだったことに、理子は自分で情けなくなる。優しい、優しい笑みを浮かべた顔がかつての記憶に重なって、以前に会った時以上に理子の中のセイを揺り起こす。

「元気、だったかな?まあ、なんとか。貴女は?神谷さん」

耳に響く、“神谷さん”という声に、理子は堪らずぎゅっと目を瞑った。カタカタと手にしたグラスの中で氷がぶつかる音がする。
総司は特にせかす様子もなく、そんな理子を見つめ続けている。

「神谷さん、日本にもどってくるんでしょう?」

総司の問いかけにようやく、理子は頷きを返した。頷くのが精一杯で、総司の顔をまともに見ることもできないでいると、そっとその頬に総司が触れた。
はっと、顔を向けた理子の視線をとらえて、総司がこの上ない笑みを浮かべた。

「やっとこっちをみてくれましたね」
「あ、の……」

総司はテーブルの下から一輪の白いバラを理子に差し出した。理子はそれを受け取ると、バラに目を落としてありがとうございます、と小さくつぶやいた。

「神谷さん。貴女に伝えたくて来たんです」
「えっ?」

理子が再び顔を上げると、ああ、と笑った。

「仕事は本当ですよ。でも、ここに貴女を探しに来たのは伝えたいことがあったからですよ。貴女が日本に戻ってくるなら、と思って」
「なんです……か?」

セイの頬に手を伸ばして、優しくなぞりながら総司は言った。

「今、貴女はこちらに誰か好きな人、います?」

いきなり話がとんで、理子は思わず正直に首を横に振った。

「じゃあ、歳也さん、いや土方さんは?」

黙ったまま、再び首を横に振る。総司は撫でていた手を頬に押し当てた。

「それは、あの人の傍にいなかったからじゃないですか?今生で、あの人の傍にいたら好きになるかもしれませんよ?」

理子は総司が何を言おうとしているのかわからなくて、目を見開いたまま、総司を見つめた。

「貴女が、誰を好きになっても構いません。私は、何度生まれ変わっても、貴女を見つけて、貴女を愛します」

いきなりそんなことを言い出した総司の手を理子は振り払った。

「い、いきなり何をいいだすんですか?そんなの……だって、今の私のことも知らないのに」
「知りませんよ。でもわかるんです。何度生まれ変わっての貴女の魂は貴女だし、私は私なんです。そういうものらしいですよ。生まれ変わってもだいたい、周りに生まれる関係者は同じで、多少立場が変わっても、出会う運命の人は出会うんですって」

そういうと、総司は理子の耳にふれて、そこに揺れていたピアスを外した。片耳からピアスが外されて、理子がそこに手を伸ばすと、その手を総司が掴んだ。

「神谷さん」

くいっとその手を総司は引き寄せて、ピアスを外した耳元に口づけと囁きを残した。

 

―― 貴女を愛してますよ

 

かあっと頬を染めた理子が腕を振り払うと、総司は立ち上がった。

「もういかないと。明日の朝のフライトなんです。楽しかったです」
「あ、あの。そのピアス」
「日本で返します。今度は歳也さんと、藤堂さんと、正々堂々と闘うって話をしてるんで」
「はぁ?って、藤堂さん、そんなこと一言も言ってなかったのに!」

可笑しそうに総司が笑って、軽く、理子の赤くなった頬にキスした。

「だって、正々堂々と、ですもん」
「じゃあ、ここに沖田先生がいるのは……!」

 

―― しまった!

うっかり、その名前を呼んでしまって、理子は口を押さえた。総司は聞かなかったふりをして、答えを返した。

「正々堂々と、抜け駆けしたんです。それは私だけじゃありませんけどね?」

総司がそう言いながら理子の後ろに視線を向けると、理子もそれにつられて後ろを振り返った驚いた。
そこには、歳也と藤堂が少し離れた席に座っている。

「やだっっ!!」

思わず赤くなった頬を押さえて理子が叫んだ。歳也はバツが悪そうに、藤堂は当たり前だと言わんばかりに片手を振った。

「なんで?!藤堂さん、さっきチャットで話したじゃない!」
「同じ場所にいてチャットしちゃいけないわけ?だいたい、この二人が仕事にかこつけて会いに来るのを野放しにできると思う?」

そういうと、藤堂は立ち上がって理子の隣にくると、総司がキスした場所を袖口で拭った。

「油断も隙もない!話だけって言ったじゃん!」
「話だけじゃないですか。それは挨拶代わりですよ」

飄々と総司が答えると、それを完全に無視して藤堂は後を振り返った。

「ちょっと、そこの年長の人!ここまで来ていおいて格好つけたってしょうがないじゃん!なんか言わなくていいわけ?!もう帰るけど!」

藤堂がそう言うと、歳也が飲んでいた酒をぐいっとあおった。

「阿呆、こんなの酒でも飲まなきゃやってられるか。ったく。帰ってきたら連絡よこせよ」
「はぃ?なんで私が連絡しなくちゃいけないんです?」

呆れたように理子は言い返した。なんなのだ、この男たちはいきなり現われて言いたいことを言って。
だんだん怒りがこみあげてくる。

「なんなんです?もう……!」

藤堂を押しのけて、歩み寄った歳也が理子の反対側のピアスを外して、耳に触れる感覚に思わず上がった理子の手をひいてその手にキスした。

「ちょっと!!二人とも何やってんのさ!!」

理子が呆気にとられていると、藤堂が代わりにキレた。そのまま理子をぎゅうっと抱きしめる。

「藤堂さん!」
「あ、てめぇ!」

「もう!!離して!」

理子がぶちっと切れて、カウンターの中に声をかけると預けていたバックを受取って、店を飛び出した。
後に残った男三人は、バーテンからフラれたねぇと冷やかされながら、店を後にした。

 

仕事だという総司と、同じ時期にワシントンまで向かうという歳也に、抜け駆けは許さないと、理子のいる場所を教える代りに、藤堂がすべての旅費を二人に負担させてい一緒についてきたのだ。
仕事の二人だけに、行程は弾丸ツアー並みだけど、理子の顔を見られただけでも三人はそれでよかった。
一応、初めの交渉権を主張した総司に今回は譲ったものの、歳也も藤堂も正々堂々とやらが気に入って面白がっていた。

「ホテルにもどってもそんなに飲めないからね!二人とも寝坊しないでよー。俺、起こさないからね」

仕切り役の藤堂がそう言いながら、前を歩く理子を見守る。男三人で泊まるホテルは理子が泊まるB&Bのすぐそばである。男三人は楽しそうに笑った。

理子は、笑い声を背後に聞きながら、携帯を取り出した。

どうせあの三人が帰るフライトならすぐにわかる。航空会社に空きを確認すると、自分の席の予約を告げた。

 

―― 荷造り、しなくちゃ

理子のなかで、温かい何かを感じる。理子は自分の中のセイにむかって、久しぶり、と呟いた。

 

– 終 –