風のように 花のように 10

〜はじめのつぶやき〜
乗り越えるために、繰り返す記憶が必要なのかもしれません。
BGM:Metis  ずっとそばに
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数日過ぎても全く変わり映えのない日の朝、こほっと喉の奥で咳を飲み込んだ総司は、理子より遅れて家を出た。密かに身近なビジネスホテルを探しており、手には荷物を持っていた。

間違いならばいい。だが、不安が的中した場合、しばらく理子の傍にはいられなくなる。

いよいよもって自分の中の不安を確かなものにして覚悟しなければならなかった。

症状は違う。

近藤達もそうだったが、人はその定命の間に、生死をかけるような何かがあるとしたら自分の判断は間違いないだろう。後は、自分にできるのは違っていてほしいと願うことだけだ。

いつも通り、まず先に学校に顔を出した瞬間、いつもと空気が違うのを肌で感じた。
何が、ではない。どこが、でもない。

「あ、一橋先生。おはようございます。大変ですよ」

スタッフルームのドアを開いた瞬間、いつも何かと話しかけてくるギター科の講師が近寄ってくる。青ざめた顔でほかの講師たちも頷いた。

「生徒の中で風邪が長引いている子が板じゃないですか。高校の方で検査したら、結核だっていうんですよ。そこから、一緒にここに通っている子もかかっていることがわかって、今スタッフも検査になるとか、しばらく休講にするとか協議中なんですよ」

―― やはり

マスクをしてはいたが、総司は講師から一歩後ろに下がった。

「それ、私のレッスンも受けている生徒ですね?」
「一橋さん?」
「詳しいことは事務のほうですか?」
「いや、今会議室の方で……」

手にしていた鞄をスタッフルームの端において、総司は担任教師達と事務のスタッフを中心に会議が開かれているという一階上の部屋に向かった。
講師達と専任の教師達とは扱いが違う。こんこん、とノックすると中から講師達を取りまとめているスタッフが顔を覗かせた。

「一橋さん。もうすぐ終わるところなんです。話を聞きましたか?」
「ええ」
「今、対応を話し合ってますが、スタッフも講師も皆、条件は一緒です。全員、病院で検査を受けていただき、もし感染していた場合は、学校側で全額サポートという形を取る予定です」

学校側が初めは講師の方で感染した者がいた場合は援助という方針をうちだしてきたが、この学校の講師も教師も、生徒からすれば同じ先生である。須田 は事務方の取りまとめをしてくれている男性で、こういう場合には非常に頼りになる。講師にも同等の待遇ををいって、ちょうど押し切ったところだった。

「須田さん、生徒さんは?」

他のクラスにもかかった者はいたが、総司のクラスではいつも話しかけていた女生徒二名がそうだった。心配する総司に須田がしっかりした顔で力強く頷いた。

「どのくらいで退院できるかはわかりませんが、今のところ、二、三か月の入院で済みそうです。大丈夫ですよ。大昔じゃありません!今はちゃんと治療すれば治るんですから、生徒達はまだ若いですからね」

須田の言葉にほっとした総司は、両手を上げた。

「須田さん。検査はすぐに?」
「ええ。全員、この後病院に向かっていただきます」
「そうですか。わかりました。待ちましょう」

大人しく引き下がったが、総司にはもう答えが見えている気がした。ただ、今は少しでもその時間をより有効に使う事を考える。廊下の端まで行くと、懐から携帯を取り出した。

こんな時、かける相手など本当は決まっているはずだった。だが、携帯を開いたところで総司の手は止まった。

自分は大丈夫だ。落ち着いている。須田ではないが、今はきちんと治療をすれば治るものだ。でも、わかっていたとしても理子は違うだろう。

アドレス帳の中をカーソルが行き来した挙句に、通話ボタンを押した。

「もしもし」
「なんだ?」
「おはようございます。今、少しよろしいですか?」
「ああ」

電話の向こうの声が、予想外の時間にかかってきた電話に少しだけ驚いている。

「歳也さん。お願いがあります」
「なんだよ?いきなり」
「しばらくの間、理子のことをお願いしたいんですけど」
「はぁ?何言ってんだ、お前……。何があった?」

急な申し出に呆れた声を上げた歳也の声が途中から変わった。何かを感じたのか、電話越しに伝わる雰囲気に歳也がデスクから立ち上がる。

「何があった。言え」
「ちょっと風邪をこじらせたみたいで」
「ふざけんな」
「……ごめんなさい。回りくどい話をしても仕方ありませんね。学校で生徒に結核にかかった子が何人か出ました。生徒達にはもうすぐに連絡はしてありますが、職員はこれから全員、病院に行って検査を受けます」

淡々と告げた総司の言葉に電話の向こうで息を飲む気配がする。その動揺を表に出さない処は今も同じだなと思うと、おかしくて、総司がくすりと笑った。

「……何がおかしい」
「いや、歳也さんはやっぱり歳三さんだなぁと思ったんですよ」
「お前っ!」

電話の向こうでぎゃんぎゃんと怒鳴っている歳也に思わず、耳から電話を離す。少ししておさまった頃を狙って、電話を握りなおした。

「言いたいことは後で聞きます。そんなに時間がないので、お願いします」
「……!本気か」

前世をわかっていてなお、また自分に理子を頼むのか、と聞いた歳也にきっぱりと総司が答えた。

「ええ。本気です。そして、今度はお願いするだけです。絶対、理子は渡しませんから」
「あ……っ!あったりまえだろっぅが!!」
「それにね、たぶん間違いはないと思ってますけど、もしかしたら違うかもしれませんし」
「おまっ!!だったら確かめてから言え!!それに!!そういうことは斉藤の方が適役だろうが」

それは確かにそうで、今の斉藤は理子の兄代わりでもあり、医者でもある。理子を任せるなら斉藤だろうと思うのだが、総司は歳也にかけた。

「わかってますよね?私は歳也さんにお願いしたいんです」
「この……、お前昔以上に腹立つ奴になりやがって」
「絶対譲れませんから、当り前です。それに……」

―― あの人は絶対泣くので

当り前だと言いそうになった歳也は、結局何も言えなくなってため息だけで黙り込んだ。そんな歳也が本当にらしいと思いながら、淡々と総司は最悪の場合を考えて荷物を持って出たこと、斉藤達への連絡も一緒に頼んだ。

理子には、どのみち学校側から連絡が行くはずだ。となると、直接連絡が行くよりも事務所に先に行くだろう。

「お前、直接あいつに連絡してやれよ」
「駄目ですよ。私から連絡したらあの人絶対パニックになっちゃいますもん」
「それでも連絡してやれ。自分の口からちゃんと」

わかっていて歳也に頼む総司に、それでも真剣にこんなことを言う。

「そういう人だから貴方にお願いするんですよ。歳也さん。よろしくお願いします」

会議が終ったらしく、ドアが開いて須田だけでなくほかの教師達も一斉に廊下に出てくる。じゃあ、といってさっさと携帯を閉じた総司は、須田についてスタッフルームへと向かった。

 

– 続く –