風のように 花のように 12

〜はじめのつぶやき〜
怖い夢を何度もみるんですよねぇ
BGM:清木場俊介  愛してる
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しばらくして、目を覚ました理子は、単なる貧血だろうということで、看護婦に言われるままに血液検査のための血を取られた。レントゲンもとるという。他に咳や熱などの症状が出ていれば、痰の検査もするらしい。

理子は、体温計を渡されて、口頭での問診のほかに熱を測ったが平熱だった。北沢はすでに検査を終えて、再びマスクをして待合にいた。
北沢は時々、廊下の方へ出て行って携帯で連絡を取っている。

「はい。じゃあ、これ持ってレントゲン室の前に行ってくださいね」

理子にテキパキとカルテらしきものを渡すと看護婦が検査室から廊下へと押し出した。レントゲン室の方向を向かせて説明をする。

「はい、じゃあ、こういくとありますから。ねっ。ほら、大丈夫よ!」

ばしん、と背中を叩かれて理子はたたらを踏んだ。はい、はい、といちいち会話を区切るのは職業病なのかな、とぼんやり思う。

廊下に出ていた北沢が急ぎ足で追いついてきて、理子とともにレントゲン室へ向かう。優先的に対応してもらえるのか、日中で空き気味なのか、人が少なかった。

「驚いちゃいましたよね。でも、大丈夫ですよ。一橋さんも、きっとすぐに治りますよ」

何かと理子に声をかけてくるが、北沢の言葉はほとんど理子の耳には届いていなかった。指先の血の気が引いたまま、なかなか戻ってはこない。

過去の病気で、今はそんなことはないのだとすっかり思い込んでいた。だが、事実は違う。今でもかかる人も多く、そして今は薬がある。きちんと治療すれば治るのだと、頭では、一般常識では知っている。

名前を呼ばれてレントゲンを終えると、大きな待合へ戻った。

「そろそろなんだけどな……」

理子を座らせた北沢がきょろきょろとあたりを見回していると、長身にスーツ姿の男が額に汗を滲ませて現れた。受付で渡されたのか、つけたばかりらしいマスクをしている。

「あの!沖田さんですか?」

急いでスーツの男の前に飛び出した北沢が呼び止めた。怪訝な顔で立ち止まった歳也に早口で説明した。
よほど急いできたのだろう。目の前に現れた北沢に歳也は反応するのに若干の間があった。

「あ、ああ。はい」
「すみません。急にお声を掛けさせていただいて。私、ソーレ音楽事務所の北沢と申します。神谷さんの……」
「ああ。わかりました。沖田歳也です。検査が先ですね?」

頷くとそれを見ていた須田も気が付いて近づいてきた。頭を下げると、自己紹介をして簡単な説明を繰り返した。すでに連絡をしてある内容とほとんど変わらなかったが、理子の様子をちらりと見て頷いた。

「ご迷惑おかけします。費用の方は学校の方で」
「わかりました。とにかく、検査を済ませたら、彼女は私の方で連れて帰ります。よろしいでしょうか」

須田と北沢に向かって問いかけると須田はすぐに頷いて、学校は臨時休校なことを伝える。北沢は手帳を見た。

「ちょっと予定が立ちませんよね。とりあえず1週間は仕事の方、調整します。それからあとはまたご相談させてください」
「わかりました」

歳也は理子に声をかけるより先に、須田について検査に回った。採血とレントゲンに回り、結果を待つ間に理子の方は先に結果が出た。陰性である。

「北沢さんと神谷さんは陰性ですね。よかったです」

須田もほっと胸を撫で下ろした。潜伏期間の問題もあるため、薬が処方されることになる。手続きはすべて須田が行い、薬まで手配してきた。
北沢と理子の分をそれぞれに届けると、須田はほかの遅れてきた関係者の対応に回った。北沢は須田に理子を頼むと報告と仕事のために急いで戻って行った。

薬を受け取った理子は、カバンを抱えたままソファに沈み込んでいた。須田は、歳也が戻ってくるまでは、と理子の隣に座っていた。
他の関係者はほとんど今日の分は終了しており、あとはどうしても都合がつかなくて後日になった者が、この後遅れてくる時間がわかっている者ばかりだ。

「須田さん」
「はい」
「一橋さんに面会できますか?」

どきっとして須田は理子を振り返った。一橋と理子のことはよくわかっている。看護婦の許可がいるだろうが会えないわけではない。

だが。

「神谷さん」
「はい」
「面会は今日はちょっと……」
「どうして駄目なんですか?」

ゆっくりと須田の方へと向き直った理子が焦点が合っているようであっていない顔をしている。須田にとっては理子がどうしてそこまで動揺するのかわからないために、何とも言い難い顔で俯いてしまった。

「お待たせしました。結果が出ましたよ、須田さん」
「あ、沖田さん。いかがでしたか」
「陰性です。私も当面は薬をということに」
「そうですか!ひとまず安心しました。どうぞ、伝票を私に。すべてご用意してまいります」

清算用のカルテと処方箋を歳也はそのまま須田に渡した。須田が会計の方へと立ち去ると、歳也が理子を見下ろした。ピリピリする空気が、理子の精神状態を表している。

口をひらきかけて、結局何も言わずに歳也は理子の隣に腰を下ろした。
実は、その前に須田からちらりと話を聞いたところ、総司が入院なのはわかったが、理子を面会には連れてこない様にと言っていたらしい。倒れた様子からしても、面会にくるなと言っているとは言いにくい、と言っていたのだ。

―― あいつらしいと言えばらしいが……。しかもちゃんと事前に俺に預けていくあたりが性質が悪いな

それもあって歳也に預けたのだろうが、どうにも難しい。

歳也が隣に座ったことはわかっているのだろうが、いつまでも須田が座っていた方を向いたまま動かなかった。しばらくして、須田が薬の袋を手に戻ってきた。

「お待たせしました」
「わざわざすみません。じゃあ、詳しくはまたご連絡をお願いします。神谷さんは私の方で預かりますから、今日はこのまま連れて帰っても?」
「ええ。北沢さんもよろしくと言って先に帰られましたし」

意味ありげな視線での会話でなんとなく、面会の件が話題に出たのだとは分かる。歳也はあえてそれには触れずに理子に手を差し出した。

「神谷」
「嫌です」
「まずは家に送る。俺も一緒にいるから帰れ」
「嫌です」

もう置いていかれるのは。

今は不治の病ではない。そんなことは十分にわかってる。
それでもその病名を聞けば血の気が引いてしまう。座っている椅子のシートを左手でぎゅっと掴む。

「絶対嫌」
「神谷。今は、帰って自分の分の薬を飲め」

ぎゅっと目を瞑ってから、今にも泣きそうな顔で歳也を見上げた。あえてその場でマスクを外した歳也は、穏やかに微笑んで手を差し出した。

「神谷。大丈夫だ」
「……はい」

絞り出すように頷いて、理子は歳也の手を掴んだ。それを見ていた須田は、ほっと安心して、理子達が通りやすいように少しだけ体をよけた。
立ち上がった理子を抱きかかえるようにして歳也は病院の入口へと連れて行く。こんな風に手を繋いで歩くとは、と重い気持ちでタクシーへと理子を連れて歩いた。

 

– 続く –