風のように 花のように 13

〜はじめのつぶやき〜
もっとゆっくり落ち着いてかけなくてごめんなさい。
BGM:清木場俊介  愛してる
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互いに無言を通して総司の家まで着くと、歳也は理子を連れて家まで入った。
リビングのテーブルに理子を座らせると勝手知ったるとばかりにキッチンからミネラルウォーターを取り出して、グラスに注ぐとそれを理子の前に差し出した。

「まず、薬を飲め」

じっと黙って動かない理子をそのままにして自分の分のグラスから水を飲む。鞄から取り出した薬を飲み下すと、理子のバックから勝手に同じ薬の袋を取り出して理子の目の前に置いた。

「飲め」

動かない理子にもう一度同じことを繰り返す。能面のように凍りついた表情からは、今、理子が何を思っているのか読み取れなかったが、こうなることも見越して歳也に預けたのだと言いそうな総司の顔が思い浮かぶ。
深いため息をつくと、薬の袋を押し出した。

「飲めないなら口移しでも飲ませるぞ」

ぴく、と理子の方が動いて、ゆっくりと持ち上げられた手が薬の袋に伸びた。しばらく袋に書かれた名前と薬の処方を眺めた後、1回分の量を歳出した理子は、水で流し込んだ。

ほっと、息をついた歳也を顔を上げた理子が見つめた。その眼にはなぜか怒りが籠っている。

「どうしてなんですか?」
「何が」
「どうしても何かの病気にかからなくちゃいけないなら、ほかにいくらだってあるじゃないですか」
「そんなことは俺は知らん。それにそんなことを言えば、完治が難しい病気だったらよかったってのか?馬鹿を言うな。選んで病気になるやつなんかいるか」

テーブルの上で薬の空いた容器を握りこんだ理子の手が強く握りすぎて震える。
確かに、不治の病だったらいいというわけではない。そんなことはわかっている。だが、なぜ同じ病なのだと。
同じことをもう一度味わねばならないというのだ。

「……俺に怒ったって仕方がないだろう。生徒からうつったにせよこういうのは不可抗力って」
「そんなはずない!!」

テーブルの傍に立っていた歳也にたたきつけるように理子が怒鳴った。ぎりっと噛み締めた唇の端が傷むのも構わずに力任せに怒りをぶつけた。
あまりに強く握りこんだために、プラスチックの薬の容器の破片と爪が掌に突き刺さる。飛んだ血を見て、歳也が椅子に腰を下ろしてその手を開かせた。

根気よく、根気よく、ただ淡々と言い聞かせる。

「不可抗力に決まってるだろうが。誰を恨んでも仕方がない。誰だってそれが自分だったかもしれないんだ」
「……違う。絶対。あの時だって……」
「あの時?」

あの時、小花にさえ会わなければ。
あれほど強くあった総司が病になどかかるはずもなかったのだ。

セイは、何度も恨んではいけないと自分に言い聞かせたが、生まれ変わって思い出した時もやはり小花のことは許せなかった。

「あの時だって、そうならない道があったはずなんです。今度だって……。その生徒が早く気づいていたら、講師の仕事なんて始めたりしなかったら。私はこのままでもいいって何度も言ったのに!」

ぱんっ。

歳也はテーブルに肘をついたまま軽く理子の頬を叩いた。怒りに満ちた目で睨み返す理子に、落ち着いた声で話しかける。

「頭を冷やせ、神谷。昔は昔。今は今だろう?誰を恨むようなものでもない。それに、あいつが講師になったのは、お前と一緒になるために男としての責任をどうやって表せるのか考えた結果だろう?お前がそれをそんな風に言うな」
「……違う。違います。私はただ一緒にいられたらそれでよかった。責任なんて……。ううん。私だって、風邪がなかなか治らないって知ってた。気づいてもよかったはずなのに気付かなかった!」

ぼろぼろと途中から泣き出した理子が、再び血が出ている手を握りしめた。嗚咽交じりに喉の奥から絞り出すような声に、歳也が理子の頭を引き寄せると、その胸に拳が打ち付けられた。

「……どうしてっ!!どうして今更っ!!」
「ああ。そうだな」
「なんでっ、なんで先生がっ!!先生じゃなきゃいけないの!!」
「そうだな」
「もうっ、置いて行かれるのは嫌っ!!!」

混乱の中で、頭では分かっていてもどうしようもない記憶と感情に泣いて、歳也にたたきつける理子を頷いて受け止めた。
椅子から滑り落ちて泣き崩れる理子を抱えて、床の上に座り込んだ歳也は理子の頭を撫で続けた。

「そうだな。もうあんな思いを繰り返すのは誰だって嫌だよな」

つい先日、近藤がはねられたと一報を聞いた時、血の気が引く思いだった。置いて行かれるものの気持ちは、胸元で泣き続ける理子と歳也がもっとも近い感情を共有している。
二人とも、常に誰かに置いて行かれる立場だったのだ。

「わかってる。大丈夫だ。同じ運命を辿るわけがない。そうだろう?」

何度も何度も、大丈夫、わかってると繰り返しながら歳也は理子が落ち着くまで、理子を抱え続けた。
総司が思うよりも、理子を打ちのめしているのだと、歳也には理解できた。頭でわかるのとは違うのだ。歳也はまだ男だからましだと言える。
理子は、いや、セイは女だった。
武士であるということで押さえつけていた分も十分に女であり、その狭間で苦しんだからこその最後を辿った。

そして、今はより一層、女なのだ。武士の魂を懐に抱いて死んだ、女の魂を抱えた女。

枯れることのない涙はそのままに、泣き疲れた理子が歳也の膝の上から起き上がった。脱いでもいなかったジャケットのまま、バックに手を伸ばす。

「……先生のところに行きます」
「無駄だ」
「行くんです」
「駄目だ」

玄関に向かって歩き出す理子の腕を掴んで引き戻す。掴まれた腕を振り払おうとしてさらに強い力で掴まれる。苛立った理子は歳也に向かってバックを投げつけた。

「どうして!?」
「無駄だからだ!」

できるならば言いたくはなかった。これ以上、理子が傷つくのは見たくないが仕方がない。床に散らばったバックの中身を踏まないように理子を部屋の中央へと引き戻す。両腕の中に細い体を抱え込んだ。

「お前はあいつには会えない。あいつは面会は全員断ると言ってる」

今にも噛みつきそうな勢いの理子の耳元で、小さな嘘を混ぜる。本当は、理子にだけは会わないと言ったのだ。

『必ず治してもどりますけど、それまで理子にそんな姿を見せたくないんですよ』

だから、連れてくるなと。来ても絶対に合わないと。

「そんなの嘘です」
「嘘じゃない」
「嘘ですっ」

嘘だと言いながらも理子にもわかってしまう。きっと総司は自分にだけは会わないだろう。あの時もそうだったから。
それが総司なりの優しさだとしても、それがどれだけ理子を、そしてセイを傷つけるのか知りもしないで。

歳也が言うとおり、病院に行ったとしても無駄なことは理解していても体が勝手に会いに行こうとする。歳也の腕を振りほどいて玄関へと向かおうとする理子を両腕で引き戻す。

向きを変えて部屋の奥へと理子を押し出して、リビングから玄関へ向かうドアの前に歳也は陣取った。

床の上に座り込んだ理子の口からは ぶつぶつとつぶやく声が聞こえて、明らかにセイと思われる言葉が混ざり始める。混乱がひどくて、歳也は興奮状態の理子をこのままにしておく気にはなれず、ポケットから携帯を取り出した。

 

– 続く –