風のように 花のように 15

〜はじめのつぶやき〜
心の声を聞いて、戻る場所が必ずあることを。
BGM:清木場俊介  愛してる
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ああ、そうだった、と口の中でつぶやいた理子は、ようやく現実へと戻ってきた。散々、泣いたせいもあるだろうが、今はぽっかりと何かが抜け落ちたように頭の中が真っ白だった。

「まず、上着を脱いでこい。手洗いも忘れるな」
「あ。はい」

素直に従った理子に、子供かよ、と歳也が口の中でつぶやいた。伊達に長い間兄貴分だったわけではない手腕にほっとするのと、複雑な思いがよぎる。
キッチンの中からその様子を見ていた藤堂が歳也をからかい始めた。

「大人げないなぁ。歳三さんは」
「名前が違ってんじゃねぇか?え?平助?」
「ほんと、大人げないのは変わんないよね。いいアニキでもいたいし、男でもいたいなんてずうずうしいっていってんの。俺みたいにいい友達をキープできるならまだしもさ」

買ってきた食材を冷蔵庫にしまうものとそれ以外にわけて、手際よく調理を始める本日のシェフが陽気に笑った。
手を洗いついでに顔を洗ってすっきりした理子が髪を束ねて戻ってくる。その顔を見て、あからさまに歳也がほっと息をついた。斉藤が理子の頭に手を置いてまじまじとその顔を眺めると一つ頷く。

「よし。少しはましな顔になったな」
「……すみません。ご心配かけて。沖田さんもさっきはごめんなさい」

頭を下げた理子に歳也がひらりと手を振った。

「子供の面倒見るのは俺には向いてないんだよ」
「子供ってなんですか!」

歳也と理子のいつもの言い合いにようやく戻り始める。
勝手知ったる、は斉藤も同じ事で、理子に向かって、直に広げられるテーブルはあるか、と問いかけた。
普段、理子と総司が使っているのは、カウンターに寄せた小さなテーブルと椅子を使っているのだが、この人数で飲み食いをするのは無理がある。
慌てて理子は奥の部屋から座卓になるテーブルを運んできた。

「俺がやろう」

理子の手から受け取った斉藤が、普段のテーブルと椅子を部屋の端によけて、代わりに中央へとテーブルを広げた。
何を考えるよりも自然に体が動いて、理子はテーブルを拭くためにキッチンに入る。
腕まくりをした藤堂をみて、脇に置いておいたカフェ風のエプロンを藤堂に差し出した。

「ごめん。気が付かなくて、これ」
「ああ、さんきゅ」

テーブルを拭くための布巾を手にして水道から水を出したところで理子が手を止めた。

彼らがいて、総司が隣にいて。
そんな平和な時間だけが望みだったのだ。

「神谷さぁ。聞いていいかな」

流れる水を見ていて、手を止めてしまった理子に藤堂が話しかけた。理子の隣でエプロンを締めると、再び包丁を手にする。
濡れた布巾を絞って、手の甲で流れた涙を拭った。ずっと鼻をすすって顔を上げる。

「はい。ごめんなさい」
「謝ることじゃないよ」

思わずまた泣いてしまった理子に苦笑いを浮かべる。泣き虫なのは昔から変わらないのも一緒だ。理子がぐし、と鼻を押さえて頭を振ったところを見てから、藤堂が口を開いた。

「んでさ。神谷は何が悲しいの?」
「……えっ」
「怒ってるでもいいよ」

何気なくさらりと言う藤堂に、理子は困惑した顔をちらりと歳也に向けた。病院から戻ってすぐ、泣いて暴れて、言ってはならないことを口にした。
歳也はそれをあえて涼しい顔でするりを明らかにする。。

「小花も、今回うつしてきた生徒も許せないんだとさ」
「沖田さん!」

ずばりと口にされてはさすがに理子も眉間に皺を寄せて歳也を睨んだ。

頭では分かっているのだ。それが間違っていることも、憎まなくてもいいことも頭では分かっていて。
今度は、総司も戻ってきてくれるのだとわかっていても。

その気持ちはどう取り繕っても心の奥底から打ち砕くような痛みと、絶望を思えば斉藤も藤堂も想像するしかない。唯一の理解者の歳也も、同性だから。
余計に腹が立つ。

「ふうん。いいんじゃない?」
「……っ」

ところが、あっさりとした藤堂の答えに、理子が驚いて顔を上げた。テーブルを広げていた斉藤が口元を緩める。

「そうだな。いいんじゃないか?それをあいつにぶつけてやれば」
「斉藤さん?!」
「俺が思うに、昔からあの男は気に食わなかった」

ひどくまじめな顔でいう斉藤に、一瞬、歳也も藤堂も、理子でさえ面喰ってしまった。

「斉藤……。お前、今…そこか?」
「いや、今だろうがなんだろうが、これだけは変わらない。俺は気に入らん!」

決意表明のように力こぶしを握った斉藤をまじまじと理子が見つめた。
キッチンでアボガドとマグロを見事なミルフィーユ状にして、わさび醤油をベースにしたドレッシングをかけていた藤堂が、けらけらと笑った。

「え~。俺、まじめに気に入らないなんて思ってなかったよ。てっきりなんていうの、仲良しでもふざけて言うみたいなもんかとばっかり」
「何を言う。今は多少ましだが、昔は心底あの腹黒ヒラメが気に食わなかったんだぞ」
「……私も、兄上だった斉藤さんは、本気で言ってらっしゃるとは思ってなかったです」

理子でさえ、若干呆れながら布巾と共に取り皿を手に斉藤の傍に行くと、じろりと斉藤は理子を見下ろした。

「あのなぁ。当時、俺は恋敵だぞ?しかもあの野暮天のくせに、格好つけて惚れた女に弱みを見せたがらないし、そのくせ人を乗せてちゃっかりうまいと ころだけは持っていくし、なのに、惚れた女には煮え切らずに、はっきり言ってやることも隠し通すこともできないくせにいつまでもいつまでも引っ張りやがっ て!!」

そこで斉藤が言葉を切ったのは決してそこで言いたいことが終わったからではなくて、息継ぎをせずに言い続けた斉藤の息が切れただけだった。
藤堂が、冷蔵庫からビールの缶を取り出して、二、三本、歳也にむけて放り投げる。

慌てて冷えた缶を受け取った歳也が軽く藤堂をにらみながら、そのうちの一本を斉藤に差し出す。

「斉藤、お前。一応聞くが、お前、酔ってる?」
「酔ってない!」

即答した斉藤は渡されたビールをすぐさまあけて、泡が噴き出すのもものともせずに一気に飲み干した。げふっと炭酸を吐き出した斉藤が床に広げたテーブルの前にどさりと座り込んだ。
首をすくめた歳也がその隣に腰を下ろす。

「俺が思うに。心配させたくないとか何とか、あいつは恰好つけすぎなんだ。今度だって、心配だったらちゃんと話せばいい。入院してたって面会にこさせればいい。一緒に乗り越えるから夫婦というんだ」

この中で唯一の妻帯者である斉藤の言葉に、歳也も藤堂もふむ、と頷いた。
日が暮れ始めて夕焼けと夕闇の境が空に広がり始めて、理子は半分だけカーテンを閉めて半分は窓を開けたままにしておいた。

客用の箸や取り皿などを並べて藤堂が並べ始めた料理を運ぶ。グラスなどなくてもぐびぐびと飲み始めた彼らをみて、理子をグラスを片手に藤堂に首を傾げる。
店でならば当然グラスをだすところだが、今日ばかりはと自分と理子の分だけにして残りのグラスは冷蔵庫に逆戻りさせた。

– 続く –