〜はじめのつぶやき〜
すごく緊張するよねぇ。こんなシーンだったらどうします？
BGM：Metis  ずっとそばに
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玄関を開けて理子を連れて家に入った処でがたがたとした音に気付いて奥から美津が現れた。

「いらっしゃい。さ、上がってちょうだい。お腹は？」
「ちょっと、母さん。何をいきなり」

迎えに出た美津に総司が面食らう。すると、総司の腕を引いた美津がひそっと声を潜めた。

「お父さん、朝から落ち着きないのよ。結局、何にも言わなかったけど、どこまで私が知ってるか気になってるみたいだしね」
「母さん……」

呆れた顔を見せた総司に美津がくすっと笑った。指先でぴん、と総司の鼻先をつつく。

「あのですねぇ」
「何言ってるのよ。何のために私が半年も我慢して黙っていたと思ってるの？あの人は頑固なんだからこのくらいしないとなかなか折れないわよ。さ、神谷さんどうぞ」

呆気にとられていた理子が二人のやり取りを見ていて、思わず笑い出しそうになった。
美津の表情が、総司が時々悪戯をする時にそっくりで、さすがに親子だと思う。以前、家を訪ねたときは、頑固な昌信と落ち着いて口数の少ない美津という印象だったので、総司の性格は二人とはあまり似ていないのかと思ったが、やはり何かしら受け継いでいるようだ。

「すみません。遅い時間からお邪魔させていただきます」

美津と総司の後に続いて家に上がった理子が奥のリビングへと入ると、ソファに昌信が座っていた。理子が笑みを噛み殺して頭を下げた。

「夜分お邪魔してすみません」
「いや。どうぞ」

ソファを示した昌信に総司の顔をみた理子はうなずいて腰を下ろした。テーブルの上には美津が心尽くしの料理を並べてある。

「さあ。座って、ほら総ちゃん」
「あ、はい」

理子の隣に腰を下ろした総司が理子にも箸と小皿を渡す。冷蔵庫からグラスを持ってきた美津がビールを持ってくる。ありがちな光景にぼんやりしていた理子がそれを受け取って、ひとつを開けて昌信に差し出した。

「よろしければ……」
「ああ……。どうも」

昌信のグラスに注いだ後、美津には総司が少しだけ注ぎ、残りは理子が総司に注いだ。少しだけ理子もグラスに注いで互いに手にする。美津がお父さん、と促すと渋々昌信が軽くグラスを上げた。

「じゃあ、改めて神谷さんをお連れしましたよ。父さん」
「わざわざ言わなくてもわかってる」

くすくすと笑いが広がって、それぞれが一口グラスに口をつけると、理子が総司の顔を見ながら口を開いた。

「先日はわざわざ、足を運んでくださってありがとうございました。今度はよろしければチケットをお送りしますので、お二人でいらしてください」
「ありがとう。楽しみにしてるわ。ねえ、お父さん」

黙ってうなずく昌信がよほど気まずいと見た総司と理子は、顔を見合わせると、それ以上は触れなかった。遠慮しないようにと言われて理子もありがたく箸を伸ばす。

少しずつ今の講師の仕事や、ほかの仕事について、また兄代わりの斉藤についてなどゆるゆると話は及んだ。

「あら、いくら明日お休みだとしてももう遅いわね」

部屋の時計を見た美津がお開きを口にする。空いた皿を重ねようとした理子に美津が手を振った。

「いいのよ。神谷さん、気にしないで」
「そんなわけには」
「いいの、本当よ。総ちゃん、上のお部屋にお布団を用意してあるから総ちゃんのベッドは神谷さんに使ってもらって」

女性ならではのやり取りを微笑ましく見ていると今度は総司にお鉢が回ってくる。手を振って上の部屋を指した美津がテキパキとテーブルの上を片付けていく。
総司が理子の荷物を取って立ち上がると、昌信が顔を上げた。

「総司」
「はい」
「今の仕事は年契約なのか？」
「？……ええ」
「なら、来年の仕事が決まったらもう一度、ちゃんと話をしにきなさい」

驚いた総司は理子の顔を見ると、よく話のわからない顔をしている。昌信は総司に向かって、一つ頷くと新しいグラスを手にすると自分の部屋へと引き上げて行ってしまった。
その後ろから美津がぽん、と総司の肩を叩いた。

「よかったわね。総ちゃん、神谷さん。お父さん、一年様子をみたら許してくれるということらしいわよ」
「あ……」

嬉しそうな顔は、ようやく聞き出せた言葉に総司も理子も驚きの方が先に立つ。差し出された総司の手に掴まりながら、立ち上がった理子は、美津に向かって頭を下げた。

「ありがとうございます……」
「いやね。そんな顔するもんじゃないわ。さ、総ちゃん。お部屋、あとお風呂も案内してあげて」
「わかりました。少し休んでからがいいかな」

嬉しくてどこかぼんやりしたまま、理子は美津に礼を言うと総司の後について二階へと上がる。総司の部屋へと連れられて入ると、部屋の中にはベッドの 上にタオルとパジャマ、そして部屋の端に畳んだ布団が一組置いてあった。客間がないわけではないが、これも美津が理子を迎えいれる心尽くしなのだろう。

有無を言わさず、昌信に自分は総司と理子を認めていると知らしめるつもりもあったのかもしれない。

部屋に入った総司が部屋の端に理子の荷物を置いて、片手を広げた。

「私の昔の部屋なんですけど？」
「あ……先生の？」

総司の以前の部屋ということは子供の頃の総司が家を出るまで過ごしていた部屋だ。部屋を見回す理子の目には、今はもう大した荷物など置いてはいないのに、そこここに総司が過ごした日々があるような気がする。

日に焼けた壁に手を触れると総司が説明し始めた。

「この部屋は中学に上がるころでしょうかねぇ。この箪笥はずっと同じものを使ってますね。ベッドは昔、パイプの下にデスクがあるようなやつでした。で、こっちにアップライトをおいていて、姉と一緒に練習はこっちだったんですよ」

部屋の中の場所を手で示し、今の部屋のこのへんに、と次々語る。

「このベッドは高校の終わり頃なので、あまり使ってませんよ。家を出てからは、戻ってきたときくらいですからね」

壁にかかったカレンダーはどこかの貰い物を毎年美津がかけているらしい。今は海外のきれいな風景になっている。ぼんやりと説明を聞きながら、理子はその向こうに、小さな総司や、高校生の総司の姿を垣間見た気がする。

「先生……」
「理子。春になったらもう一度一緒に来てくれますか？」

―― 一緒に、結婚の話をするために。

言い置いてから、慌てて総司がそれまで二度と来ないってわけじゃないですよ、と付け足した。ぷっと吹き出した理子がベッドの端にそっと座った。

「先生。楽しみにしてます」
「長く待たせてしまってすみません」
「そんなことないです！だって、もう随分かかりましたから、それに比べたら……」

理子の言うことに気が付いた総司がぽり、と額の端を掻いた。理子の隣にどす、と腰を下ろした総司は横から理子を抱きしめた。

「ちょ、先生っ！」
「だって嬉しいんです」
「そりゃ……私だって、夢を見てるんじゃないかと思うくらい嬉しいです。こんなに幸せでいいのかと思うくらい」
「まだこれからですよ」

―― ずっと、これからも幸せになりましょう

隣り合って、寄り添った総司と理子には夢を見ているような幸せな時間だった。

–　続く　–