明日、空が晴れたら 1

〜はじめの一言〜
春先の拍手文から久しぶりに番外編として顔を出してみました
BGM:
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そっと薄暗い寝室の中を覗き込むと、律儀にベッドの半分を開けて眠っている姿がある。
本当はもっと早く帰って仲直りするつもりだったのに、なんだかんだと引き伸ばされて遅くなってしまった。

一度ドアを閉めてリビングに戻った総司は、ジャケットを椅子に掛けるとどさっと腰を下ろした。講師の仕事は結局のところ半分にして、元の調律と時々ピアノ弾きもやっている。

それは理子の仕事も同じで講師の仕事は半分程度に絞りながら歌もやめてはいない。

そんな理子が珍しく我儘を言いだした。

「春先も結局お花見いけなかったじゃないですか。だから一日だけお休みを合わせられませんか」

皆で行くと言っていた京都の花見だったが、急な仕事が入った者が増えて、結局流れてしまったのだ。それからもいつでも行けるという気持ちからか、どこかに行きたいですねぇという話だけで一度も実現していない。
日頃から世間の休みと合わない仕事のものばかりが身近にいるせいか、どこかで強引に休みを合わせないと、一緒に出掛けられる日はなかなかやってこないし、ある日突然では予定も立てられないのだ。

「お休みと言っても……。一体どこに行きたいんです?」
「言ったら絶対に、先生、笑うから嫌です」
「笑ったりしませんよ。大体どこに行くかも教えてもらえなかったら支度も何もできないでしょう?」

そういって理子から聞き出した行先を聞いて、不覚にも笑ってしまった。
つい、初めてというくらい可愛らしい話だったからだ。

「笑わないって言ったじゃないですか!」
「ご、ごめんなさい。でも、ね。決して馬鹿にして笑ったんじゃなくて」
「もういいです!」

そんなわけではなくて、ただ思いがけなく可愛らしい行先だったので、ついついくすっと笑ってしまったのだが、これですっかり機嫌を損ねてしまった。
リビングでのんびりと話をしていたはずの二人だったが、話の途中で拗ねてしまった理子は、立ち上がって自分の分のカップをキッチンに置くと、くるり背を向けた。

「あ、ちょっと待って」
「待ちません。もういいです」

慌てた総司が引き留めようと腕を伸ばしたが、むっとした顔でその手を払うと、玄関脇の部屋へと籠ってしまった。

一度、こうなってはもうお手上げた。理子もセイに似てひどく頑固というか、頑なだったことを今更思い出してももう遅い。
それから何度かその話をしようとしたのだが、もういいと言うだけで理子は話も聞かなくなってしまった。

「困りましたねぇ」

くしゃ、と髪をかき上げる。こればかりは、自分だけ休みをとっても理子が仕事を入れてしまえばどうしようもない。
これだけはしたくなかったと思いながら、携帯を手にした。

「もしもし」
『……用はない』

出た瞬間にこんな風に切り返されては二の句が継げなくなる。それでも、何とか持ちこたえて口を開いた。

「そこをなんとかお願いします」
『お前なぁ……。この時間だぞ。だいたい邪魔だってことくらい想像しろ』

そういわれてようやく、ああ、と思い至る。妙に電話の向こうが静かな気もする。

「すみません。お連れの方にもお詫びしましょうか」
『お前……。いい度胸だな。そこまで喧嘩売るなら買うぞ。今すぐうちに来い』
「はぁ?いくら、近いといっても女性を連れて帰ってる歳也さんのところにこれからお邪魔するのは無粋すぎるでしょう」

売り言葉に買い言葉でいつものように答えたのかと思って、しらじらと応じた総司に、電話の向こう側が心底あきれ返った声で繰り返した。

『馬鹿かお前は。いいからさっさと来い』
「あ」

いうだけいうと、総司の返事を待たずに聞こえる音が単調な電子音だけになる。耳元に当てていた携帯をしげしげとみると画面は終了の文字が出ていた。

「……邪魔だって言ったのは自分じゃないですか。もう」

携帯に表示されている時間はかろうじて日が変わっていない。戻ったばかりで着替えていないことを幸いに、もう一度寝室を覗いてから総司は家を出た。

理子と住むために越したマンションだが、相変わらず歳也の住むマンションには近くて、歩いても十分、十五分というところだろう。深夜とはいえ、利便性も悪くない場所だけに、まだまだ人通りもある。

通いなれたマンションの入り口で部屋番号を押すと、返事もせずに入口が開いた。

「……せめて返事くらいはしても罰が当たらないと思うんですけど」

ぶつぶつとこぼしながらエレベータを上がった総司は、部屋の前に来ると躊躇なくドアを開いた。これもかつてそうだったように、親しい相手の来客の場合は、歳也は玄関のロックを外しておく。
ゲストがいれば閉めていてもよさそうだが、そうでもないところは何か理由があるのだろう。

「あがりますよ」

一応、それでも玄関で声をかけるとスリッパも履かずに奥へと入った。

「こんばん……は?」
「は、じゃねぇ」

明かりのついたリビングのドアを開けた総司はそこに、意外なものを見てしまった。パジャマ姿の額に冷えぴたを張り付けて、赤い顔をしながらも背中を丸めて机に向かっている男に目を丸くする。

「えーと……、一応確認しますけど、女性が奥の部屋に隠れていたりはしませんよね?」
「するか!こんな状態で女を連れ込むほど溜まってねぇ!」
「そんなところを力説されても困るんですけど……」

とにかくジャケットを脱ぐと、カウンターの椅子に引っ掛けて部屋の様子を頭に入れてキッチンに立った。普段ならきっちりと片付けてあって、モデル ルームかと思うくらいのキッチンは、荒れ放題で、とにかく何かを食べるために粥らしきものや、インスタントの茶漬けの殻が流しに積まれていた。

「いつからそんななんです?」
「……昨日」
「嘘言わないでください。昨日今日でこれだけ荒れ果てますか」

どう見てもそれ以上はありそうな流しに袖をまくると、ごみと食器を分けていく。手際よく片付けながら一番先に洗った小鍋に湯を沸かし始める。

「一昨日の午後からだよ!……調子が悪いとは思ったんだが、外せない仕事があったんでな」
「それはわかりますけど。医者には?」

こんなことなら寝ていた理子を起こして連れてくればよかったかもしれない。世話を焼くのは昔から理子の仕事と決まっている。

はーっと深く息を吐きながら、頭を抱えて書類に何か書きこんでいる歳也は、区切りのいいところまで仕上げたのか、クリアファイルに書類を入れて、すぐそばの鞄にしまい込むとぐたっと机に倒れ込んだ。

「医者はなぁ。行ったんだが薬ってのはどうしてこう、飲んだらすぐに効かねえんだろうなぁ?」
「馬鹿なこと言わないでください。そんなこと当たり前でしょう?あと、いつから食べてないんです?」

これだけ山積みなら非常食として買い置きしているものはほとんど残っていないだろう。勝手知ったるキッチンのあちこちを探し回りながら問いかけた。

「相談があったんですけど、それどころじゃないですね。まずは何か食べて薬ですよ」

そういうと、総司は最後のご飯のレトルトパックを見つけ出した。

 

 

– 続く –

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