明日、空が晴れたら 4

〜はじめの一言〜
やきもち焼くなら連れて行かなきゃいいのにねぇ。
BGM:僕らの永遠~何度生まれ変わっても
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仕事に向かった理子は、心配とわけのわからなさとがまぜこぜになって、ため息をついていた。
丈夫なように見えて歳也は繊細だ。
季節の変わり目には体調を崩すことが多い。理子がそれを知っているのは、主に斉藤のもとに電話が来ていたからだ。
以前はさておき、斉藤と出会ってからは、気軽に休みが取れる仕事ではないだけに電話を寄越して、斉藤が足を運べるときはよかったが、どうにも身動きが取れないときは理子が代わりに足を運ぶ。
代わりに理子の面倒というわけではないが、何かあったらという話はついていた。

だからといって、今朝のようなことは今までにはなかった。二人きりになったとしても互いに妙な緊張感があったからこそそんなことにはならなかったのだろうが、本当に今朝は気を抜いていたのだろう。
そういえば理子を置いて行くように足早に総司が仕事に向かったことはそれが原因だったのかとようやく思いつく。

「まさか、あんなことで怒ったとか……」

まさかね、と呟いた理子はゆっくりと事務所に向かった。月に何度か顔を出す、そんな日にあたっていた。今月の後半のスケジュールは、ざっくりとこの打ち合わせできまる。

総司は笑ったことを詫びて休みを取ると言っているが、どうしても気にかかってそんな気になれない。

春先もこれまでのすべてを乗り越えたつもりで、皆と一緒に出掛けることを楽しみにしていた。
仕事が入ってしまえばどうしようもないことくらい理子も当然だということくらいわかっている。それでも、直前になって歳也だけでなく、斉藤まで仕事が入ってしまい、斉藤が駄目なら当然、恭子も行かなくなり。

仕方なく、藤堂と総司と三人かと思っていたら総司にも仕事が入ってしまった。
そんな京都には結局、意固地になってしまい、いまだに足を向けていない。仕事では大阪まで足を運んでも京都は通過するばかりである。

そんな理子でも世間が賑やかにしていれば、ささやかながら気持ちがうきうきとしてくることもある。

クリスマスもバレンタインも、それがどれほどの意味があるかはさておき、旅行や出かけることが少ない二人の小さな楽しみごとのきっかけになればと思っていた。
二人で旅をすることもなく穏やかに過ごす。そんな日々の間でふと思いついただけのことで。

『行ってみたい』

ただ、軽い気持ちで行ってみたい、と珍しく甘えてみた自分が余計に恥ずかしい。
そう思うと、今更気を取り直して、という気にもならず、その話題は避けてなかったことにしようとしていた。

「おはようございます」
「神谷さん」

雑然とした事務所の中で顔を上げた北沢が片手をあげて少しだけ待ってと合図を送ってくる。北沢の席に一番近い打ち合わせスペースに向かって、腰を下ろすとスケジュール帳を取り出して広げた。
今月は思ったほど忙しくもない。来月になればクリスマス時期のイベントのために、リハの予定が差し込まれてくるだろうが、ちょうど一息というところだ。

電話を一本かけて、キリのいいところで北沢が立ち上がって理子の元へとやってくる。連絡のほとんどメールか電話で顔を会せるのは毎月の打ち合わせくらいなのだが、互いに信用できる相手だと思っていた。

「すみません。ちょうどクリスマス時期のイベントの調整してまして。後程詳細はメールで送りますね」

そう言いながら書き出したスケジュールを差し出すと、てきぱきと話しを始める。

「今年もほとんどが吉村さんとペアでお仕事入れてます。一橋さんが何度かツインで入ってますけど、こちらはピアノがメインなので申し訳ありません」
「わかりました」

仕事上では馴れ合いになるのを避けたいと申し出ていて、総司と一緒になる仕事はあまり入れないようにしてもらっていた。やはり気の合う演奏家や呼吸を呼んでくれる相手と仕事をしたくなるがそこに甘えてしまいたくなかった。

「吉村さん、最近どうですか?」
「相変わらずですよ。一時期、無茶をしてお仕事を入れてらっしゃったこともありましたけど、そろそろ、ね」

ずっと一緒に暮らしていた彼女を亡くしてからしばらくは仕事にのめり込んでいた吉村も、最近ではたまに一緒に食事に行くこともある。秋のイベントではあまり重ならなかっただけに、様子伺いをしようと思っていた頃だ。

いくつかの予定と、打ち合わせの場所や講師の仕事の方も任せているために、向こう2週間の予定を一通り聞いた理子は、休みたいと思っていた日に打ち合わせの話を聞いて、苦笑いを浮かべた。

「ん?なにかまずい日とかありますか?」

一方的に決まった予定を聞くために来ているわけではない。
いい悪い、を話し調整するために来ているのだからと北沢が、すぐに反応すると理子は首を振った。

「いえ。大丈夫です。今月はまだ暇な方でしょう?」
「そうですね。だからこそ、何かあったら遠慮なく言ってくださいね。調整しますから」
「ええ」

―― ほら。こうして自分だって仕事が入ればそちらを優先するんだし

頷いた理子は、決まった楽曲のスコアを受け取り、打ち合わせを終えると事務所を後にした。
時間的にも早いので、学校の方へと顔をだしてそちらでも打ち合わせである。言いだしたはずの理子が一番呑気で、気づけば頭の中からもそんな話はすっかり忘れてしまった。

 

 

夕刻になっても、朝の不快感を引きずった総司は足早に駅へと向かっていた。。
朝、理子を置き去る様にして駅に向かったのは自分があまりに情けなさすぎると思ったからで、そんな子供じみた理由で理子から離れた後、その顔から笑みが消えていた。

正直、自分が仕事に行きがてら、と連れてきたのでなければ隙がある、と理子にさえ文句を言いそうなくらいで。
つまらないことで小さな諍いをしたところで、さらに八つ当たりなどした日には、本当にしばらく口もきいてくれなくなるかもしれない。
言いだした理子本人は、もうその話題に触れようともしないが、理子が望む限りは叶えてやりたいと思ってしまう総司にとって、どれもこれも些細な問題ではない。

そもそも、歳也に相談事を持ち込んだことを後悔し始めていた。今朝の様子を思い出すと、滅多に弱いところを見せない歳也だけに、自分も油断した気がする。
歳也を信用している、していないではなく、無意識に出た行動にむっとしたのだ。

藤堂の元に向かう気にもなれず、早々に家に戻った総司はぼんやりとベランダから外を眺めていた。
日が落ちるのも大分早くなって、もうすっかり暗くなった夜空の端の方は、夕日の名残と地上の明かりが混ざり合っている。

映画やライブも二人で出かけることは多い。だが、遠出はまず一緒にはしたことがない。一般的な旅行も、関わりのあった地を歩くのでもいい。仕事と趣味が同じ音楽ではあるが、それ以外にも二人で楽しむことができたらいいなと思う。
一度だけ、年末に温泉に行ったことをを思い出すと、現金なことにモチベーションが上がりだした。普段と違う顔がみられるならと俄然、気持ちを立て直した総司は、部屋に戻ると自分のパソコンを開いて目的のサイトを調べ始めた。

 

茶を飲んだ歳也がその後、ごねもせずにさっさと引き上げていくと、藤堂はいそいそと裏のスタッフルームに籠って手配を始めた。

「やっぱりさ。こういうのは俺じゃないとね」

賑やか好き。
段取りも好き。
マメで、一番皆と連絡を取るのが藤堂かもしれない。

「もしもし?どーもっ」

電話の向こうではものすごく意外そうな声が聞こえるが、それすらも楽しい。
にやにやと笑いながら、きっと誰もが思いがけない人物から初めに交渉を始めた。

 

– 続く –