逢魔が時 10

〜はじめの一言〜
切ないな。感情の伴わない記憶ってどうなんだろう。

BGM:My Little Lover Hello,Again〜昔からある場所〜
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『センセ、お着替えされますか?』

久しぶりに気分よく目覚めていた日。自分の手伝いに時折訪れてくれる、お里に言われるまま、寝付いていた床から身をおこした。

『今日は気分がいいんですよ』

そう言ったのを覚えている。そっと手渡された着替えは、見覚えのないもので新しいものだった。
私のために、新しいものなど、用意しなくてもいいのだと告げたら、お里さんが首を振った。

『いいえ。これはウチじゃありません。センセの行李の中にあったものどす』
『私の……?』

記憶にないものだ。着替えを済ませると、自分の行李の中を初めてあけた。セイが整えた荷物がきちんと収まっている。近藤先生の手紙や土方さんたちの手紙もきちんと文箱に収められて、しまいこまれている。

『………?』

中ほどから底にかけて、幾枚か新しい着物や着替えがあり、もっとも奥に一振りの刀があった。
小さいあの人のために、脇差くらいに短いものを探し求めて初めてあの人に渡したもの。普通の大刀より短いために行李の奥底にしまいこまれていたもの。

もう一振り、和泉守殿に打っていただいた刀を、このところは身近に置いていたにしても、この大刀をどうして行李の中に……?
幾枚かの真新しい着物とともに。

『お里さん?あの……』
『ウチは何もしりまへん。その行李を開けるのがウチやってこともおセイちゃんはわかってはったみたいどす。ウチ宛の手紙がありました。ウチがおセイちゃんのことでセンセにお話できることは何もありません』

静かに、だがきっぱりとお里が言った。

『それはどういう……』
『センセ、もうお休みにならはったらいかがですか』

その後は、また床に押し込められて何も聞くことができなかった。
それから又、しばらく微熱が続いて、食べることも飲むこともできなくなって、ゆるゆると眠る日が多くなった。
夢の中では、好きなだけあの人と一緒にいて、自分も元気で楽しく笑っていられたから。

目が覚めた日、ふと静かな家が騒がしくなって、遠くの方で誰かが、手紙が来たのだと言っているのが聞こえた。届くはずのない人から、手紙が届いた と。何事かと、起き上がるのも億劫で、誰かが知らせてくれるのを待つだけだった。しばらくすると、何事もなかったように静かになって、誰からの手紙だった のかもわからなくなった。

近藤先生かな。
あの人から来るはずがないし。

あの人は、無事に土方さんのところに着くことができたかな。

暗い夜の中で、誰かに呼ばれたような気がして、目が覚めた。
静かな夜だったのに、何か音がした気がして暗闇の中で目を凝らすと、枕もとに置かれたセイの刀が鳴っていた。
そっとその刀を鞘から抜こうとした瞬間、目釘が折れたのか、柄が、鍔が、外れて抜きかけた刀身が滑るように床の上に落ちた。

全身から急に熱が奪われた気がした。あの人に、何かあった。根拠もなくそう感じた。震える指先で、刀を拾い上げようとして、こみ上げるものをこらえきれずに、噴き出すように血を吐いた。

翌日なのか、数日後なのかそれさえわからないまま、目が覚めた時に斎藤さんの顔を見た気がした。

『先生はいかがされたでしょうか。便りはきませんか』

うわ言の様にそうつぶやいたのが最後だと思う。

「アンタは、なにも知らずに逝ったのか」

話し終えた総司が人の気配を感じて、振り返るとそこには見知らぬ男がいた。いや、知らなくはない。

「……斎藤さん?」
「何の因果か今生でも斎藤だ。以前は藤田と名乗ったりもしたんだがな」
「どうして……」

総司が歳也を振り返ると、歳也がにやりと口元を歪めた。

「お前がこの前倒れた後、斎藤から連絡を貰ってたんだ。お前のことだから、必ず会いに来るはずだと。その時、自分も呼んでくれと言われたんだ。だからお前より30分ほど早くきてもらってた」
「な、んだ……。斎藤さんもですか」

斎藤さんも覚えているんですか。

その問いに、相も変らぬ仏頂面で斎藤が頷いた。そして、自分用のグラスを片手に歳也の隣に腰をおろした。

「副長が、いや、沖田さんが話をする前に俺からも話をすべきだろう。アンタ達が知らない話を」
「あれから、すぐに聞かせろというのに、お前と一緒に話をしないと二度手間だって言いやがったんだぞ」

今度は、ボトルごと目の前にもってきて、水と氷も用意した上で、歳也は自分のグラスに新たに酒を注いだ。

「俺も、後悔はアンタ達と同じくらいしたが、文句を言おうにも皆墓の下ではな。だから、今度こそ文句を言うために覚えていたのかも知れん」

そういうと、斎藤は自身が覚えていることを話し始めた。

 

沖田さんが神谷を置いて、家を移動するというので、貸家を見つけたのは俺だ。そして、沖田さんが移動した次の日に様子を見に、俺も行ったんだ。そこには、真っ青に明らかに一睡もしていない神谷がいた。

『神谷、沖田さんは』
『これを』

誰かが口を開いたそれを遮るように行李を一つ、押し出した。指先まで血の気が引いた、まっ白な指先が、震えるように押し出したのは、沖田さんの荷物だという。

『置いて行かれた荷物を詰めておきました。お渡しください』

続きなど、聞かぬとばかりに、早口で神谷が言った。俺達の心配そうなそぶりも、神谷にわからないはずがない。そして、初めに話しかけた誰かが、居場所は知らないのだと言いながらも行李を受取ってしまったことで、俺達が沖田さんの居場所を知っていることを悟ったに違いない。

俺は、神谷に泣かれて、居場所を問い詰められると思った。しかし、予想は外れた。

『私は、今日中に旅に出ます』
『神谷……?』

後ろから、沖田さんの刀と手紙を差し出して、これを転戦する副長に届けるように残されていますので、と。

一度も、顔をあげることなく、そう言うとまるで俺達などそこにいないかのように、荷造りをしていた途中だったのか、再び何やら小さな荷物にまとめ始めた。

顔を見合せて、呆気にとられたものの、予想外に落ち着いていたので、皆がその場から去ろうとした時、神谷が静かに顔を上げた。

『あの、私が今日、ここを出ましたら、残った荷物はすべて処分してください。もう、私はここには戻りませんので、すべて捨ててしまってください。お手数おかけしますが、よろしくお願いします』

それだけを言うために神谷が見せた顔には、何もなかった。悲しみも、怒りも、諦めも。

俺の勘はそれを不吉だと思った。俺も愚かだったのだ。山南さんの時に、もう後悔しないように己の勘をそのままにはしないと誓っていたのに、あの時、俺も行かねばならぬ事態になっていたから、まさかと、そのままにしてしまったのだ。

預かった行李を届けるのは、他の者に任せて、夕刻再び訪ねた家には、ほとんどのものが残されていた。おそらく、わずかな着替えと、道々にかかる金も僅かばかりを手に、残りは全く手をつけずに残されていた。それを見て、俺ははっきりと後悔した。

もし、副長に刀と手紙を届けた後、女一人で生きていくなら最低限もっと着替えと金を持ったはずだ。なのに、それらが不要だとすれば、“不要”な場所を行くからではないか。

しかし、その時の俺には後を追うこともできず、かろうじて副長宛に手紙を送るのが精一杯だった。女が戦場を目指すのに、どのくらいかかるかもわからず、自分自身も戦地に移動する身の上で、それが唯一できることだったのだ。

その後、しばらくして、神谷の消息を聞き、沖田さんの元へ向かった。アンタの言う、俺の顔を見た気がするというのは本当だ。

「あの時、俺はあんたを殴りたくて行ったんだからな」

じろり、と総司を睨みつけて、短い話の終りにグラスを手にした。どうやら、総司だけでなく歳也にも辛い話だったらしく、二人とも顔をゆがめて、己の記憶と、その境を埋めているようだった。

斎藤自身も、沖田や土方がその時どう思ってどうしていたのかなど、あの混乱のなかではもはやわかりはしない。それを今やっと聞くことができたのだ。これだけの時間を経て、本当に自分は文句を言うために覚えていたのかもしれないと、本心から思った。

「じゃあ、俺が最後だな」