逢魔が時 9

〜はじめの一言〜
記憶鮮明。あなたならどうする〜。

BGM:安全地帯 雨
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タクシーの中で斉藤の携帯を呼び出した。

斉藤は職業柄、例え家にいて寝ていても数コールですぐに起きる。

「どうした」
「あに、うえ……」

着信をみて開口一番に問いかけられると、先刻までの事態を引きずっているからか滅多に呼ばない呼び方で斉藤を呼んだ。斉藤にはそれだけで十分だった。
おそらく記憶を持つ誰かに会ったのか、何か言われたのか、それ絡みであることに間違いない。

「今は家だぞ」
「……タクシーです。今から行きます」
「わかった」

短い通話の間に病院の近くのマンションに近づいている。タクシーを降りると、エントランスの前に斉藤が立っていた。
何も言わずに駆け寄ると、斉藤にしがみついた。その肩を抱えて、自室に向った。

これまでにも何度も来ている斉藤の部屋には、客間が理子の部屋扱いになっているくらいだ。家族を亡くした時に、住まいを見つけるまでの間や、藤堂や近藤達に出会った時。
何度も理子はここに来ている。客間に理子を連れて行き、自分は台所からホットミルクを持ってきた。
サイドテーブルの上に置くと、膝を抱えていた理子が顔を上げた。

「この前会った副長の傍にいらっしゃった方は沖田先生です……」
「思い出していたのか?」
「いいえ、今さっき」

もはや昨日になってしまった日の夕方から藤堂の店で歳也に会ったこと、遅くなって家に呼ばれたこと、そこに総司が現れて怒り出したこと、その後の様子から歳也と理子がいたことで記憶が戻っただろうということまで、一息に話した。
しがみつく理子の話をさえぎらずに聞いた斉藤は、あやすように背中をとんとんと叩いた。

「神谷。昔は昔なんだ。たとえ記憶も想いも俺達はもっているとしても、今の自分を疎かにしてはいけない。わかるな?」

ぎゅっとしがみついたままの理子に静かに語り続ける。

「俺も昔はお前を女として大事に想っていた。だが、今は妹のように思っていても女としての思いはない。俺には今の俺の生き方があるんだ。それはお前も一緒だろう?歌うことに自分を見出したんじゃないのか?」
「……いいえ、私は昔も今もずるくて汚いんです。性別を偽って、武士だと言い張り、未練がましく取り縋り……。今だって、歌っていればいつか誰かの耳に届くかもしれないと浅ましく思っているだけなんです。あの頃の自分より歳を重ねていても、ずるくて汚い女なんです」

かつての自分はまだ年齢も若く、今の自分が記憶を取り戻した頃が、おそらく亡くなった頃なのだろう。その頃より歳を重ねていても、何も変わっていないと自分を責めている。

まっすぐで愚かで、不器用なところこそが、今も昔も変わらずにお前だというのにな。

もはや、何を言っても自分自身を責める言葉は尽きないだろう。斉藤は静かに、理子の背中を撫で続けた。

―― 沖田さん。

昔のかつての仲間に心で語りかける。

―― どのくらい離れても、この哀れな魂を救えるのはアンタだけなんだ。

記憶が戻ったらしいその男に願う。かつて自分の恋敵で、誰よりも愛した娘とともに在りたかったはずなのに、病を得て、いち早くこの世を去った男。
もし今生で出会ったら、殴ってやろうと思うくらい、この二人の最後に腹立たしかったことか。
せめて、今、この自由な世の中で巡り会ったのなら、今度こそ幸せになってほしいと思う。

―― アンタにはそのくらいの貸しがあると思うんだがな。

いつの間にか、眠ってしまったらしい理子を抱えあげて、客間のベッドにそのまま寝かせると、部屋を出た。

 

 

数日後、総司は歳也の元を訪れていた。。

「まずはお詫びしなくちゃいけませんね」
「侘びってナンだ」
「貴方に黙っていたんです。思い出していたのは、結構前からなんですよ。もちろん全部じゃないんですけどね。歳也さんを親しくさせてもらうようになってから土方さんを思い出して……」

驚いた歳也の顔を正面から受け止める。
この表向きは意地っ張りな兄分は、実は脆くて優しい兄であった。

 

自分は、一番隊組長、沖田総司。

ああ、そうだ。自分はそうだった。あの頃。仲間たちがいて。
毎日、近藤先生と土方さんと二人のために自分がいられることが楽しくて、嬉しくて過ごしていた日々。

そして、無二と心に決めていた道にどうしても手折れない花が咲いた。

神谷さん。

自分が病に倒れた後も、ずっと傍にいると言ってくれた。誰より愛しい女性。
もう自分が、敬愛する人たちのために役に立てなくなって、絶望に包まれようとも、貴女が傍にいてくれたから、自分は生きていられた。

でも、最後の最後で、そんな貴女の手を離した。
貴女がいなければ生きていけないと。そう思っていたのに、そう思っていたから。
貴女に私の病が移ることを恐れて、私の最後を貴女に見せたくなくて。

私に囚われることなく、私を憎んで忘れて、無事に生きてくれることを願って。
私を憎んでも、忘れないで。幸せになって。その時、思い出して。

最後の最後の瞬間まで、近藤さんと土方さんの心配しながらも、心は貴女を想っていた。

 

「……総司?」

心配そうにつぶやく声に、恐ろしいくらいの時間を旅した意識が浮上する。
つい先日までは、何があっても言うつもりがなかったのに、口をついて出てしまう。

「土方さん」
「ああ」

昔と変わらずに答える声に、自分がどこにいるのかを思い出す。

「思い出したのか」

その声に滲むのは、憐れみなのか。総司は自分の傍らに座って心配そうな目をした歳也に笑ってみせた。

「この状況じゃ誤魔化しようがありません。全部が全部かどうかわかりませんが、残りも思い出しましたよ」
「そうか」
「貴方はすべて思い出したんですか?」
「俺は中学の頃からだからな。大体全部思い出してると思うぞ」

普段はあまり家では飲まないが、どこからか琥珀色の液体をグラスに入れて、2つ持ってきた。記憶が戻りだしたなら、下手な嘘はきかない。

「じゃあ、私が何を聞きにきたかわかりますよね?“土方”さん?」

わざと、土方と呼んだ。
こんなに早く来るとは思っていなかった。いや、違う。
歳也はこの時が来るのを恐れていたのだ。

「……わからんな。俺は沖田歳也だからな」
「何をそんなに怯えてるんです?ずっと、“そう”でしたよね?いつ私が思い出すのかと、びくびくしていた。何を恐れているんです?」
「怯えてなどいない!!」

微かに震えながらグラスの酒を一息に飲み干す。その手を押えて、総司は歳也の眼を覗き込んだ。

「どんな話を聞いても、私は歳也さんを嫌いになったりしません」

その声にますます目の前が真っ暗になる気がした。今の自分がしたことではない。
だが、過去の自分のしたことを、この男が許すだろうか。

生まれ変わった歳也が選んだ仕事は、弁護士だった。

検事ではなく、弁護士であるところがやはり前世の影響があるのかもしれない。
正しいということだけではなく、踏みにじられる弱き者に対して、在るべき形にもどしてやる、力を貸してやる、また権力を持つものに正面から向うのではなく、時に利用し、ある形にそってより良い方向に向くように。

刀が、形を変えて今の歳也があるようなものだ。

今の近藤が、どんな仕事をしていようと、どんな風に過ごしていようと、歳也には歳也の生き方がある。昔のように武士としての矜持ではなく、己の法に従って生きればいい。

そうしていれば、いつか巡り会ったときに、胸を張って会えると思っていた。

かつての自分の罪も、償いも、すべて背負えばいい。
今は自由な時代に生きているのだから。

落ち着きを取り戻した歳也が口を開いた。

「俺が出来ることをするしかないんだよな」
「え?」

「何を聞きたい?」
「私があの人を、神谷さんを置いてあの家を出てからのことを」
「お前はその後のことまで思い出したのか?」
「もちろんです」

総司にとっても、思い出した過去と向き合うのは辛い作業だった。
特に、途中から想いを寄せる人への感情や、病に侵されて思うに任せなくなったこと、どうしようもなく追い込まれていく時代の流れ、何もかもが思い出すには辛い出来事が多かった。

正直に言えば、今でも消化しきれてなどいない。今の自分は儚くなったあの頃より歳を重ねているとしても、今の時代に生きてきた自分には重過ぎる出来事でもあるのだ。

どこかで焦燥感に常に苛まされて、何事にも執着できずに、ただ生きてきた自分。
何のために生きているのか、理由があるのがわかるのに、肝心なところに覆いをかけられているようで、何もかもが面倒で嫌だった。

それでもここに、歳也の元へ来たのは自分が死んだ後に何があったのかを知るためだ。近藤亡き後に、最後まで北へ向かって戦っていた大事な兄とも言える人に、大事な人を託したのだから。

「もう、家を移った後はほとんど朦朧として、夢の中にいましたけどね」

そういって、たった一人になってからを話し始めた。
セイを置き去りにした後、新しい隠れ家に落ち着いた日の翌日。
他の仲間達が、あの家に一人戻ったセイに説明するために 、あの家を訪ねてくれた。
皆が心配する中で、セイは驚くほど落ち着いていたという。

泣きわめいているのでは、と。土方に届けるよう残した刀と手紙があるから、自害はしないだろうと思ったけれど。

そして、自分の残した荷物を託されたといって、行李一つが届けられた。確かに、自分は身一つで去ったのだから。
中身は特に見なくても、自分の着替えや何かだろうと思った。そのまま部屋の隅においてもらう事にして、他には何か言っていなかったかと聞いた。

『……居場所は聞かれませんでした。ただ、残された刀と手紙を届けに旅にでるとだけ』

部下だった元隊士の言葉に、安堵を覚えた。きっとあの人は自分の言うことを聞いてくれるだろう。
礼を言って、帰ってもらおうとしたとき、心配そうな顔をしていた理由を告げられた。

『旅にでたら、この家には戻らないので、自分の荷物はすべて処分してほしいといわれました』

ああ、そうか。あの人は、あの家に戻ることなく新しい道を見つけるのだと。自分の最後の願いどおりになるのだと勝手に思い込んだ。そして、かの人の言うとおり、家を処分してもらうように頼んだ。

それからは、移動したことで疲労したのか、熱が続き、ほとんどはっきりと起きている日が少なかった。ただ、夢の中で戦乱の最中に向っているだろう、あの人が無事にたどり着けるように。
ただ、それだけを願っていた。