逢魔が時 13

〜はじめの一言〜
ベタベタもここまで来ると、○○級〜……さすがにこの状態なんで、他より長めにお送りしてみちゃったりして。
BGM:V.A. coro di dea 女神達の歌
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翌日、理子は病院から退院した。住んでいた家は引き払われ、わずかな荷物は斉藤が引き取った。斎藤以外の誰にも行き先は告げずに、旅立っていった。

仕事だといったのに、夕刻の早い時間から斎藤の姿は藤堂の店にあった。
歳也と総司を呼び出していたからでもある。見舞いを断られ、その後の様子は斉藤や藤堂からしか聞くことが出来なかった二人は素直に呼び出しに応じた。

その二人が来るまでの間に、藤堂に先日聞いた話や理子のことを話した。

「じゃあ、もう行っちゃったんだ?」
「ああ」

確信犯的に先に聞かされた藤堂は思いのほか素直に受け止めた。斉藤共々、メールとはいえ理子の連絡先を知っているというのが大きいのかもしれない。

「斉藤さんはいいの?神谷争奪戦に参戦しなくてさ」
「俺はいい。その代わり誰のところに嫁に行ったとしても、あいつは死ぬまで俺の妹だ」

特等席とばかりにいう。今の世では理子は一人っ子である。もしいたなら、祐馬がその立場にあっただろうが、今はいない。ならば、その立場に立たせてもらうことに何を引き換えようか。

「昔も俺は忍ぶ恋の達人だったからな」
「そんなの自慢気に言わないでよ」

くすくすと笑われながらも斉藤は本当に自慢気で、その様子が本当に藤堂にはおかしくて仕方がなかった。藤堂も名乗りを上げようと思えばあげられなくはないが、理子の気持ちを考えるならば、しばらくは成り行きを見守るほうが得策だろう。
もしあの二人のどちらとも上手くいかなかったら、自分が悠々と名乗りあげていけばいい。それまでは、せいぜい高みの見物としゃれ込むことにしよう。

 

「お二人で先に始めてたんですか?」

後ろから声をかけられて、グラスを手にしていた斉藤の口元から笑みが消えた。店に入ってきたこともわかってはいたが、わざと知らぬふりをしていたのだ。

話をするためにカウンター席からテーブル席に移動すると、それぞれの好みに合わせて、酒を運んできた藤堂も一緒に座った。

「休憩もらったからね。ちゃんと俺も聞きたいしさ」

無言で、頷いた斉藤が歳也と総司にそれぞれ1通ずつ手紙を差し出した。

「神谷からだ」
「どういうことです?神谷さんは退院されたんですか?」
「した」
「じゃあ、自宅に戻られたんですか?」

仮にも自分のせいで怪我をさせたのだ。気になって仕方がなかったのに、見舞いにもいけなかった。その思いからか、何かに急かされるように総司が問いかける。

不意に、納得したらしい歳也が口を開いた。

「あいつはいなくなったんだな」

その答えは、斉藤が黙っていることで肯定された。
歳也が先に白い封筒に手を伸ばして、封を開ける。
それを見ながらも、総司は自分だけが理解できずに、手を伸ばすことが出来なかった。

かさり。

歳也が一人先に白い封筒から、真っ白い便箋を取り出した。

『沖田さん。

いいえ、今だけは昔のように書かせてください。

 

 

副長。お元気ですか。

再びお目にかかる事が出来て嬉しかったです。

 

申し訳ありません。

 

副長には、ひどいことをしましたね、昔の私。

副長のお気持ち、知ってました。沖田先生の気持ちも知ってました。

だからこそ、あの家に置き去りにされて。
副長を追いかけながら私の心は鬼になっていました。

憎しみに染まり、絶望の淵に沈んでいました。そして、副長のお気持ちさえ利用しました。

 

でも、抱いていただいた後、思ったんです。

副長と沖田先生の心は、私が抱いて逝こうと。来世でも絶対お傍にいますと、沖田先生に何度も言いました。
それはあの時も変わらなかったけれど、来世で何のしがらみもない世界に生まれることができたなら。
お二人には過去など思い出さずに、来世こそ、好きな人とともに、好きな道を歩んで、幸せになって欲しい。

そう、思えました。

鬼だ、修羅の道だと、副長や先生方が言われていましたが、新撰組の皆の心は、こうして憎しみに染まった私がすべて抱いていくから、もし生まれ変わったら、皆幸せになって欲しい。

こんな風に思うのは、私がまぎれもなく女子だからかもしれません。こんな私が切腹など許されるはずもない。そう思いました。

 

だから、今生で皆が記憶を持っていることを知り、自分の力が足りなかったのかと嘆きました。私の周りで記憶を取り戻していくのを見ていて、私の業を深さを知りました。

私は、ここにはもういてはいけないのです。

副長。もう、過去の副長はゆっくりと休ませてあげてください。
そして、すべてを忘れて、今の“沖田さん”として、生きてください。

前世で私が言われた言葉をそのままお返しします。

生きて、幸せになってください。
いつまでも見守っています。

来世でも。きっと見守っていますから。幸せになってください。
どこにいても、祈っています。

神谷精三郎こと、富永セイこと             神谷 理子』

 

 

読み終えて、口元を覆うように手のひらが動いた。
なんてことだ。今でも武士の魂を持ちながら、輝くべき魂の元に女子として生きているお前こそが、見事じゃないか。

込み上げる何かを押さえ込むように眼を閉じた。

手紙をそのまま、総司に渡した。歳也に渡されて、自分の手紙を読む前に歳也宛ての手紙を手にして、総司は愕然とした。

自分だけが、過去のセイの最後を本当には知らないために飲み込むことが出来ないのだろうか。
自分の中で、いまだに混ざりあわない記憶と感情と今の自分とが受け入れることすべてを拒否しているかのようだ。

「斉藤さん、これは……」

白い便箋を差し出しながら、目が泳ぐ。斉藤だとて最後の最後まで知っていたわけではないことは、この前の話でわかっている。受け取った斉藤が、目を通しても驚きを見せないことにさらに困惑する。

「アンタはアンタのものを読め」

冷たく聞こえるが、優しい口調で斉藤に言われて、初めてその封筒に手を伸ばした。歳也のものよりだいぶ厚みがある。震える手が、封筒から引き出すのを拒むようだった。
引き出した厚い紙の重なり。

震える手で折りたたまれた紙を開こうとする。

開きかけた手がどうしても止まってしまう。

「アンタは、昔も今も惚れた女と向き合うこともできないのか」

びくっと体が震えた。冷ややかに、斉藤の鋭い一言が投げつけられた。
心に冷たい刃が突き刺さる。止まった手がゆっくりと動いた。

『 一橋 総司様

まだろくにお話したこともない私が、不躾にお手紙を差し上げることをお許しください。そして、今の貴方の名前ではない名前を呼ばせていただくことをお許しください。

 

沖田先生。

記憶を取り戻されたと聞きました。

きっと、ご存じないあの時お別れした後の、私のことをお知りになりたいと思われるのではないかと思います。

でも、それはもう貴方が知っても仕方のないことです。

よろしいですか。すべて、忘れてください。
過去など関係ないのです。

 

すべて、忘れて幸せになってください。記憶はすべて、私が貰って行きますから。

 

それでも、最後に。

届かなかった手紙を。同封します。

 

神谷 理子』

 

指先が冷たくなる。そのまま、間に挟まれていたのは和紙にかかれたもの。

『沖田先生

お元気ですか?
病の者にいう挨拶じゃないと叱られそうですね。

この手紙が先生の手に届くころには、私はもう先生より先に、永い旅に出ていることでしょう。

先生。

生まれかわることがことができたなら、きっときっと幸せに。
幸せになってください。
私のことなど思い出すことなく、どうか、すべて忘れて幸せになってください。

それが、私の最後のわがままなお願いです。

沖田総司様  』

……・読み終えて、きっと改めて、今生で書かれたであろう紙を指先がなぞる。

歳也が静かに手を伸ばして、その手紙の束を受け取った。あえて逆らわず歳也に預けたのは、その痛みが自分以上に、歳也にも感じられているであろうから。

回された歳也宛の手紙をよんで、痛ましい眼を向ける藤堂も、冷やかなままの斎藤も、どうでもよかった。

自身の中で荒れ狂う嵐のような感情に。

ずいっと目の前に、差し出された藤堂の手にはポケットティッシュが乗っている。それでも動くことができないでいると、今度はそこから何枚か取り出して目の前に置かれた。
自分が涙を流していることも分からずにいた。

どうして。
せっかく記憶を取り戻して、これからゆっくり自分の感情と向き合いながら、現世の神谷さんを知っていこうと思っていた矢先に、こうして前世の自分の罪を突き付けられるようにして、失わなければならないのか。

黙って、呆然と涙を流す総司のことも、俯いて総司宛の手紙を読み終えた歳也のことも、まるで傍には誰もいないかのように斎藤は黙ってグラスを傾けた。
同じく黙って成り行きを見ていた藤堂が、溜息をつくとカウンターの中に戻っていく。しばらくして、こんな時間には滅多にかけない録音データの音源が流れ始めた。

「―――」

席に戻ってきた藤堂が、静かに口を開いた。

「これ、今の神谷だよ。わかるかなぁ」

二人に。この祈りが。

「昔も優しい子だったよね。誰にでも好かれてさ。きっと、出会った人すべてのことをこうして願ってるんじゃないかな。幸せになってってさ。だから……」

この後、二人がどう生きて行っても。
きっとあの子はずっと祈ってる。
幸せになってと。