逢魔が時 4

〜はじめの一言〜
いよいよ、出てきました。あの人。

BGM:坂本冬美 また君に恋してる
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週に2度は少なくとも会っている歳也から、珍しく1週間も連絡がない。仕事で忙しくても、プライベートはきっちり分けるあの人は、食事や酒に頻繁に誘ってくれていた。面倒見がいいが、そこまで男である自分に声をかけなくても、とは思う。

現世での名は、一橋総司。ピアノ弾きで本職は調律師である。弁護士である歳也とは、仕事絡みで知り合った。たまたま、総司が関わっていたステージ で、興行主が支払もせずに逃げてしまったことがあった。そこに、弁護士として現れた歳也が、諸々を精算していったのだ。意地っ張りで面倒見がいいくせに格 好付けたがりであることがわかり、すっかり気に入ってしまったのだ。今で言うならハーフボイルドというところだろうか。

「こんちわー」

事務所に顔を出すと、とうに顔見知りになった美人秘書が迎えてくれる。

「先生は奥にいらっしゃいますよ。ちょっと、ご機嫌があんまりよくないので、気をつけてくださいね」
「そうなんですか?お仕事がお忙しいんですか?」
「いえ、逆にちょっとお断りしてるくらいなんです。理由はよくわからないんですけど」
「ふうん……わかりました。ありがとう」

奥にある歳也の部屋をノックする。返事を待たずにドアを開けると、予想外の有様に総司は驚いた。憔悴した顔に、いく日もろくに寝ていないのが見て取れる男が、客用のソファに横になっている。

「歳也さん?!いったいどうしたんですか」

普段なら自分のデスクの前に座り、バリバリと仕事をこなしているはずなのに、机の上は綺麗に片付いたままで、着ているスーツも何日か着続けているのだろう。だらしなく皺になったスーツが、よけいに疲れきった様子を漂わせる。

「総司か。久しぶりだな」

久しぶり……?
確かに1週間ほど会わなかったわけだが、久しぶりというほどだろうか。

「歳也さん?」
「……!!いや、スマン!……ちょっと寝ぼけてたんだ!!」

がばっと身を起こした歳也が叫んだ。
きょとん、とした総司が歳也を眺める。

「そんな大きな声で寝ぼけた宣言しなくても……」
「……夢かと思ったんだよ」

深い溜息と共に、歳也が呟く。

一橋総司という男は、おそらく前世では『沖田総司』と呼ばれていたはずだ。だが、俺が過去を識っているにもかかわらず、コイツには記憶がないらしい。
たまたま仕事で知り合って、俺の勘が間違いなく総司だと感じたにも関わらず、まったく覚えていなかった。いや、もしかするとまだ記憶が戻っていないだけなのかもしれないが。

それから、俺はコイツと親しくなり、今に至る。昔と歳の差が縮まっているのは、没年の影響だろう。

俺としては、コイツに思い出してほしくなかった。本当の最後を自分自身も知らないのに、それでも想像するに難くない、苦悩を思い出してほしくない。大事な弟分だったから。
現世で出合った、総司がやはりいい奴で大事だったから。

「1週間ぶりで久しぶりって言われちゃうくらい、愛されてるならそれはそれで嬉しいですけどね」
「バカやろう、気色悪ぃ事言うんじゃねぇ」

面白がった口ぶりと、何も気づいていない笑顔に、歳也はほっとする。そんな歳也に、テーブルの上に置きっぱなしになっているミネラルウォーターのボトルを取り上げて、総司がぐいっと差し出した。

「飲みすぎですか?あんまり得意じゃないんですから程々にしたほうがいいですよ」
「まったくだな。ちょっといい女がいたんでな、お前を連れて行く前に落とそうと思って、しばらく通ってたんだよ」
「えぇ〜?そうなんですか?なんだー、私も連れて行ってくださいよ」
「嫌だよ。落とす前にお前連れて行くとみんなお前に持っていかれる」

前世では非常に奥手で、愛した女一筋だったコイツも、今ではソコソコ遊ぶようだ。遊ぶ、というか、来るもの拒まず、が正しいだろう。優しいがどこまでいっても自分を委ねることはない。
間違いなく一線を引かれて、何かあればすっぱりと切り捨てられる。
そんなことが平気な女がいるだろうか。だから長続きせずにいつも離れていく。女が去っても、特に何も感じないのか、すぐに次の女が出来る。

俺は、逆に記憶が完全に戻った後は、ほとんど女とは関わらなくなった。遊びでも傍にいることが耐えられなくなった。あの日を思えば、こんなことで何かの償いになるわけでもないのに。

「そんな様子じゃまだまだ落とせないんじゃないですか?作戦を練りに、どこか行きましょうよ」
「そうだな。これじゃ仕事にもならん」

情けないほど、仕事が手に付かない。この1週間を思い出しても、延々と悩み倒して過ごしただけだ。
さすがに、今日こそちゃんと食事をして、家に帰って着替えないと。

温い水を飲み込んで、歳也は立ち上がった。

 

それからしばらくの間、歳也は余計なことを考えないように、仕事に没頭した。総司と会う時間も減らした。自分と会うことで、いつか思い出すのでは、と思うと恐ろしかったのだ。

幸い、仕事はサボっていた分も含めて、そこそこあったし、プライベートを無視すればやることはたくさんあった。いつまでもこうして、考えずにいられるのか、自分自身でもわからないままに。

ただ、こうして思い悩む時間の苦しみが、神谷の思いだったのかと思えなくもない。あの時、俺は間違いなく取り返しのつかない『時間』というものを奪い取ったのだから。

 

 

 

理子のその日の仕事はある音楽ホールの杮落しイベントに向けた練習日だった。理子が引き受ける仕事では、パイプオルガンやピアノなどの単楽器相手の ほうが多い。単なる好みの問題だが、思いがより伝わるような気がして、選曲もしやすい。バックが多いと、選曲の自由度が下がるのも一つの理由ではある。

どのみち、よほどクラシック色の強いイベントでなければ、観客の耳になじんだメジャーな曲が多くなり、クラシックだけを歌うわけにいかないのだ。

今回は、Without You、Amaging Grace、Time to Say Goodbyの3曲を歌うつもりだ。新しいホールには見事なパイプオルガンが合って、それとともに歌えるなんて、とても嬉しかった。
選曲も理子のリクエストを聞いてもらえた。有名な曲だということもあるけれど、どれも好きな曲である。どれも気持ちを乗せやすい歌だったから。

演奏してくれる吉村というオルガン奏者は、一緒に組むことが多い。ひょうきんで、軽口を叩き、理子を口説くような台詞も言うものの、彼の演奏は理子の歌には良くあった。

「神谷さん、今日の練習さぁ。録ってもいい?」

ホールで、スタンバイしていた理子に吉村が声をかける。たまに、練習用に吉村が録ったり、理子が録ったりは良くあることだ。まして、こういう大きなホールでは音の響きも違うし、きちんとした録音設備もあるだけに、ちょくちょく録音するのだ。

「いいですよー。あ〜、録られると思うといつも恥ずかしい。本番より緊張しちゃいます」
「うわっ、そういう台詞言う〜?男相手にそんなん言ったらだめなんちゃう〜?」

けらけらと笑いながら、軽口を叩く。スタッフがパタパタ走り、録音の準備をはじめた。
オルガンの前に座った吉村が振り返った。

「なあ、神谷さん。今日はなんだかこう……心ん中がざわざわすんの。ちょっと変な弾き方だったらゴメン」
「珍しい。吉村さん、いつも変ですから大丈夫ですよ。あわせますから任せて」

そういって、お互いブロックサインを送りあうと、客席の奥で録音準備をしているスタッフにも合図を送った。

 

確かにいつもと違う。いつもは軽やかで楽しそうな弾き方をする。どんな曲でも明るいハッピーな曲のように聞こえてくるのに、今日はまったくいつもとは違った。
冷たく、氷のような硬質の音の中に、揺るぎない何かを感じる。

理子は頭の中を空にして、その音に身を任せた。心から湧き上がってくる思いを乗せて。

 

 

 

デジタルデータに落とされたそれを、理子と吉村はそれぞれ受け取った。その日の練習も終わり、理子は藤堂の店に向った。

「神谷、デートする相手とまた別れたの?」

カウンターに座るや否や、藤堂が声をかける。まだ時間も早いだけに、店の中も客がほとんどいない。こんな軽口も今の時間なら平気なのだ。藤堂がわざわざ選んだ言い方をして、理子がうるさそうに言い返した。

「デートする相手って言い方やめて。うるさいなぁ。だって仕方ないじゃない。なんで男って縛りたがるの?普通の会社員じゃないんだから練習時間だって不規則なのは仕方ないのに」
「そりゃ、神谷のことが好きだから束縛したくなるんじゃん。ほっとくと神谷いつかいなくなりそうな気がするもん」
「そんなわけないでしょ。仕事だってあるし、消えなきゃいけないような悪いことしてません!」

バータイムには早いために、理子は紅茶を目の前にしている。藤堂はグラスを磨きながら、理子の話相手である。

「俺は神谷のほうがひどいと思うけどなー。男だったらさ、こんな綺麗な彼女がいてさぁ」
「はいはい、またいつもと一緒だっていうんでしょ。キスもさせないのに、適当にいちゃいちゃさせて蛇の生殺しだとか」
「男だったらそれが普通だってばー。もうさぁ、そんなのいじめだって」
「しらない。嫌なものは嫌なの。そんなに言うなら藤堂さん付き合う?今なら同い年の彼女ですよー」

ふふっと笑いながら理子は藤堂に手を差し出した。

―― 冗談じゃないよ!

答えるまでもなく、しかめっ面をしてみせる。再会して1年以上立つが、理子の男付き合いを見ていると、とても自分では耐えられないと思う。惹かれる し付き合いたいと思わないこともないが、理子の男に対しての態度はかなりなものがある。猫のように甘えてかかるかと思えば、仕事が忙しいときは一切シャッ トアウトされるし、先ほどの会話ではないが、適当にいちゃいちゃとさせておいてさっさと帰ってしまったり、男にとっては拷問に近い。

「なんで?ちゃんと付き合わないの?」

ずっと聞きたかった。
昔を引きずっているから無意識に総司を探しているのかなと思った。かなりの確立で理子の周りには、あの頃の仲間が引き寄せられている。特別、探そうとか何かをしているようには見えないけれど、理子は総司と出会うことを待っているのかと思っていたのだ。

「総司を待ってるの?」

カウンターにだらしなく張り付いて、ティーカップをくるくる回している指先が止まった。俯いたまま長い髪が顔を隠す。泣かせてしまったかと藤堂が焦ると、低い声が帰ってきた。

「待ってるんじゃないの。願い事が叶ったかどうかを知りたいの」
「願い事?」
「ヒミツ。いつかわかる日がくるかもしれないけど。」

そういうと、髪を掻き揚げて悪戯っぽく笑った。神谷は、泣かなくなったな、と思う。昔だったらすぐ泣いて、怒って、笑ってた。でも、今の神谷は泣かないし、怒らない。その分、深く深く想いが沈み込んでいるように見える。

藤堂の店には、付き合った男を連れてくることもあった。他の女の子と鉢合わせになり、修羅場のようになったこともあるし、男とこじれて頭から酒をかけられたり、藤堂が目撃しただけでも結構な目にあってるし、本人から聞いた話を加えれば相当なものだ。
でも、神谷はそのどれでも怒ったり、泣いたりしなかった。何事もなかったように笑って変わらずにいるから、この店でもそんなに悪くは思われない。そこだけは、昔と同じように好かれる要素があるんだろう。

「ね、今度の杮落しの。今日練習で録音したんだ」
「へぇ。またウチでかけてもいい?」
「あんまりおおっぴらな時間じゃなければね」
「承知!」

ふざけてそんな返事を返しながら、藤堂は理子のノーラベルのCDを受け取った。
こうして時々、早い時間だったり、遅い時間に理子の歌をかけることがある。たまに店で行うライブイベントに出たこともあるので、軽い宣伝をかねてのことだ。

「今日のは、すごくいいの。聞いてね」

そういうと、理子はバータイムを待たずに帰っていった。