逢魔が時 5

〜はじめの一言〜
脳内で勝手に話が進んでいく〜(号泣)。

BGM:Time to Say Goodby

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歳也はその日、いつも以上に働き、そのまま家に帰る気もせずに飲みに出た。
軽く飲みながら少し食べられればいい。

たまたま、初見の店に立ち寄った。
しゃれた音楽のかかったバーで、雰囲気も悪くない。男一人だ。
店員に案内されるまでもなく、カウンターの中央に陣取った。

「水割りと、何か軽くつまめるか?」
「ええ、お嫌いなものはあります?」

まだ若い、20台半ばのスタッフが爽やかに応えてくれる。すぐに差し出された水割りに、小さな小皿。細い串に何かが刺さってる。串を持ち上げてみると、貝の佃煮風のものだった。

「うまいな」

小さいものだけに、ほんの一口で終わってしまったが、いい味をしている。酒がうまい。続いて、スティックサラダになにやら添えられた。ひょいとつけてみるとなかなかうまい。

「これもただのマヨネーズとかじゃねえな。うまい」
「それはよかったです。土方さん」
「!!!!!!」

はっと、驚いて歳也が顔を上げた。童顔で、人懐こい顔立ちのバーテンが笑っている。

「あれ?お名前違いました?だったら失礼しました」
「………お前、平助……か?」
「あたり、です。土方さん。今は藤堂司といいます。」

なんてことだ。

俺だけじゃなかったのか。

「土方さん?じゃないか……今は」
「沖田だ。沖田歳也。」

がぶりと、酒を含む。あまりのことに驚きが隠せない。
あまりの動揺っぷりに心配そうに藤堂が顔を覗き込む。

「ごめん。驚かせちゃったよね」
「いや。……ああ。……驚いた。俺だけじゃないんだな」

覚えているのは。

すっとカウンターから藤堂は奥に入った。その間に、歳也は必死で理解しようとしていた。記憶があるのは自分だけだと思い込んでいたのだ。これまでに出会ったのは総司くらいだ。
それすら記憶がない。なのに神谷に会い、こんなタイミングで藤堂にまで出会うとは。

「はい。お待たせしました」

ことりと、目の前に湯のみが置かれた。日本茶である。ふと可笑しくなった。まだ覚えていたのか。昔のことなのに。

「俺や沖田さんだけじゃないよ。じきに会えるんじゃないかな」
「そうなのか。……神谷には会ったぞ」
「知ってるよ。神谷から聞いたんだもん」
「神谷から?……聞いた?」

「沖田さんは、記憶が戻ってどのくらいたつの?」
「ずいぶん前だ。中学ぐらいからだったからな」

「そっか。俺はね、大学の時。神谷に会ったのも大学のときだよ。今は俺達は同い年なんだよ」

飲み干してしまった酒より、熱い日本茶がうまく感じる。飲んだ酒と共に動揺が流れていくようだ。藤堂の屈託ない話しぶりに、ようやく落ち着いてきた。

「本当に、驚いたな。今度、もっとじっくり話を聞かせてくれるか?」
「もちろん。俺、ここで働いてるから。沖田さんは弁護士さんなんだよね」

そういえば、と藤堂は夕方、理子に預かったCDを取り出した。もう閉店も近い時間で、常連客のほかは歳也だけである。ボリュームをあまりあげずに、CDをかけた。

流れ出す声に歳也が気がついた。

「あ……」
「神谷だよ。きれいでしょ」

―― ああ、この前聞いた声だ。いや、それ以上に語りかける何かが。

まるで祈りのようだ。

がた、と立ち上がった。自分にはこんな祈りを聞く資格などない。

「また来る。すまん」

財布から、一万円札を抜き出すと、カウンターの上において歳也は家に向かった。

 

 

タクシーを拾って、家に着くと、そのまま服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。まだ温度の上がらぬ蛇口から冷たい水が降り注ぐ。

歳也の耳からあの声が離れない。
あの時とは違う、清冽な声。自分に組み敷かれて、切ない声を上げたあの時とは――。

どく、と自身が熱くなっている。もう余計なことを考えたくなかった。片腕で壁に寄りかかり、片腕で熱くなった自身を握りしめた。

「……っう。く……」

きつく、きつく握り締めると、あの時の土方という男をだまして奪わせた白い体がまざまざとよみがえる。
太腿に流れた血も、痛みにこらえた涙も。
まるでたった今目の前にいるかのように。

「………うあ……」

脳裏に浮かぶ白い体と声にあっという間に自身を追い込んだ。

ようやくぬるくなったお湯に、自分から溢れた白いものが流されていく。

こんな自分が許されるはずなどないのだ。こんな、まるで子供のような在り様で。。
深い溜息を吐き出した。

 

 

自室で、明かりもつけずにグラスを片手に窓の外の明かりを眺める。
手の温度でグラスの中の氷がから、と音をたてた。

あの頃、お酒なんてすごく弱くて、よく怒られた。

ふふ、と軽い笑い声。今の自分もそんなに強くはないけれど、弱くもない。理子は、両手でグラスを包み込むようにして林檎の香りのお酒を口にした。

月を眺めようにも、今は外の明かりの方が強くて、月の明かりなんて目立たないものだ。

私は、あの人が知れば、おそらく最も苦しむであろう方法で命を絶った。かつて、あの人に想いを寄せた女子以上に非道な行いで。
もし、自害したとしても、武士として切腹したのなら追い腹としてみなされたかもしれない。そんな方法はとりたくなかった。女子である自分を滅するための最も効果的だと思える方法。

あの人に置き去りにされてから、できる限りの短い時間で、あの人を連れ去った人の元に辿り着いた。そして、あの人と共に私を阿修羅に変えた人の手で、自分を貶めた。

再び出会ったあの人の目に浮かんだ苦痛は、何と甘美なんだろう。あの苦しみ、痛みの浮かんだ目を見ただけでぞくぞくした。
最後の記憶を残さず、痛みとともに抱えた眼。 もっと、もっと苦しめて、悲痛な顔を見たい。
私が血に染まったあと、あの人はどうしただろうか。

うっとりするような想像だ。真実を聞くには、まだ現世であの人とまともな会話をしてはいない。これほど時間をかけているのだから、それが1日でも1週間でも1年でも焦りはしない。まだまだ、もっと苦痛に染まる様を楽しませて。

部屋の中には、テーブルの上に今度のイベントのチケットが乗っている。

 

 

 

同じ頃。
総司も同じように月を眺めていた。まとわり付くような女の腕を、面倒臭そうに押しやると、ベッドから抜け出してキッチンから冷たい水を持ってくる。

さっきまで隣で寝ていた女の暖かさなど、まるでそこにはいないかのように、総司は窓際から月を仰ぎ見る。

その眼が見ているのは、月ではなくて仲間達と笑い、竹刀を交え、自分に慕う眼を向けてくる隊士とともに過ごした自分。

歳也に会った後、こうして記憶が水面に浮かび上がるように蘇ってくることが多い。すべてを思い出してはいないことも十分解っているし、だからこそ不十分な状態で、歳也にこの記憶の話をする気になれなかった。

総司の記憶には、感情がない。あるのはフィルムを眺めるように出来事だけの記憶である。そこに、どう感じて、どう思ったのか、という肝心の部分がない。だからこそ、歳也に黙っている気になったのだ。
きっとこう思ったのだろう、と推測はつくし、それ故の行動の数々にも理解は出来る。でも感情は蘇っていない分、過去の自分の行動に疑問や違和感を持つこと も非常に多い。そんな状態で、何がわかるわけもない。歳也のように、過去の自分がそっくり蘇っているわけでもないのだから。

いっそ、そのほうが楽だったかもしれませんね。こんな中途半端な記憶なんていりませんよ。

かつての自分さえ疎ましく覚えてしまう。不機嫌そうに髪をかきあげる総司には、かつて鈍くなった感情が一層削り落とされて、不快感だけが残されているようだった。

 

 

理子は、次のイベントのチケットを持って、滅多に足を向けない病院に向っていた。

山南夫妻と藤堂、原田にはいつものように、チケットを送っている。初めは用意していなかったが、彼らは都合がつく限り、毎回お金を払って必ず聴きに来てくれた。それからは、必ず来れても来れなくてもいいようにチケットを送ることにしている。
もう一人、チケットを渡すために出向いているのは、大学病院で外科医をしている、斎藤だ。かつての名前は複数あって何度か改名しているが、現世では斎藤一心という。
堅物のドクターで通っているが、腕は確かだ。

今は亡き、 理子の父が面倒を見ていたので再会組の中では、古い方だ。理子が高校生の時に両親を亡くした際、後見に立ってくれて何くれとなく面倒を見てくれたのも斎藤だ。

「斎藤さん」
「神谷か。ちょっと待ってくれ5分したら戻ってくる」

外科の医局の中を覗き込んで声をかける。病院の中でも、斎藤が彼女の面倒を見ていることは知られているので、咎められることはない。

それでも、邪魔にならないように覗き込んだ医局から待合に移動する。
病院は嫌いだ。いやなことを次々思い出すから。自分が不調でも滅多なことでは病院には来ない。ここにも斎藤に用がある時以外は来るだけで、本来は近寄ることもあまりいい気分ではないのだ。

「すまん。待たせたな」
「あ、いえ。忙しいところにごめんなさい。次のチケットを渡したかっただけなので」
「そうか。忙しくて時間がなかなかとれなくて悪いな」

渡したチケットを眺めて、大事そうに胸にしまう。現世では斎藤に理子への想いはない。ただ、記憶があり、恩師の娘でもあり、ずっと見守るつもりだった。可愛い妹のように思っているといえばいいだろうか。

「斎藤さん、また会っちゃいましたよ」
「今度は誰だ?」
「ふふ、鬼の副長です」

斎藤の記憶もかなり早い頃にはあったので、葛藤から立ち直るのは早かった。おそらく、斎藤の前世にもよるのだろう。斎藤も道を分かたれた一人なのだ。

「あの人が覚えていたのか」
「そうみたいですよ。まだ出会ったばかりでろくに話はできてませんけど」
「……そうか。お前は大丈夫なのか?」

斎藤だけは、記憶がよみがえり、混乱する理子の姿を見ていたから、富永セイの最後を薄々知っている。理子が話した、というより混乱する言葉の端々か ら理解したと言える。何度も忘れるように言い聞かせた。そんなことはできるはずもないことは十分に解っていたが、男の自分でさえ、飲み込み、受け入れられ るまでに時間がかかった。それをまだ幼い理子に受け入れろというには酷な記憶だったから。

「大丈夫ですよ。今は今じゃないですか」

決して、そう思ってはいないのは一目瞭然だったが、斎藤はそれを追求しなかった。そうでもしないと、理子が心の安定を保っていられなくなると思って いたからだ。斉藤には、今の彼女を支えているのは、歌うことと過去の記憶から起こる感情なのだということが嫌というほどわかっていた。

「今度はいけると思う」
「ええ。無理はしないでくださいね」

その先に続く言葉を飲み込んで、短い挨拶を済ませた。
勤務表を見ながら、斎藤はスケジュールの変更を書き始めた。今度は、行かなければいけないだろう。土方の記憶を持つ人との出会いによって、当然、過去の神谷にとって最も大事な人物ともいずれ出会うのもそう遠くないのだろう。
その時、必要であれば理子を止めなければならない場合、助けなければならない場合に手を貸せるように。行かねばならないと思った。