逢魔が時 6

〜はじめの一言〜
憎しみが、だいぶ出てきました。やっぱり阿修羅なのだ。

BGM:安全地帯 あの頃へ

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「沖田先生、今日の分です」
「おう」

秘書から、郵便を受け取って中身を確認していく。あの後、何度か藤堂の店には行ったが、他の誰に会うこともなく、歳也も総司を連れて行くことはしな かった。相手が藤堂だったことも幸いして、少しずつ過去と今の話をする日々が続いていたが、初めほど動揺することはなくなった。
神谷と連絡を取ることもなく、考えなければ穏やかな日々だ。

郵便に目を通していく手が、ぴたっと止まった。印刷された宛名と、同じく印刷された差出人。薄い白い封筒の封を開けると中にはチケットが2枚入っていた。小さな付箋には、
『よろしければぜひお友達を誘っておいでください』

それだけが彼女の直筆らしかった。

 

かつての自分は、弟分がこよなく愛した彼女を、いつの間にか愛するようになっていたことを認めたくはなかった。一途に思い続ける健気な姿にほだされただけではない。女子の中にある、潔さや志を感じれば感じるほど、彼女に惹かれていったのは事実なのだけれど。

初めは、総司の溺愛ぶりから彼女を引き離すのが目的だった。ところが、病ゆえのこととわかっていても、華奢な体や立ち振る舞いに惑わされていった。
衆道嫌いの自分がこんなことはあり得ないと、わざと島原や祇園にも行った。それでも惹かれる自分に歯噛みするくらいだった。

総司のことを言えた義理じゃない。

己が惑わされてどうする。そうこうしているうちに、総司と彼女の会話を耳にして、彼女が女であることを知った。すでに、自分は彼女に魅かれていたか ら知ったからといって、何が出来るわけでもない。傍目にみて、総司と神谷がお互いを思いあっているのは歴然としていたからこそ、自分の思いには目を瞑っ た。最後まで彼らを思うままにいさせてやることが、自分に出来るすべてだと思っていた。

あの時、総司の願いを聞いたことが良かったのか、今でもわからないでいる。

男として、愛した女の幸せを最後まで願った、不器用な弟分の思いは痛いほどわかっていた。しかし、それが本当に彼女の幸せなのだろうかと、何度も 思った。結局、頑として譲らない総司に負けて、彼女から離れる手伝いをしたのだが、点々と居場所を変える自分を追ってきた彼女を見て、取り返しのつかない ことをしたのではないかと思えてならなかった。
なぜなら彼女からは、一言も総司のことは聞かれなかった。まるで、行方なら知っているという風情で、怒りも悲しみも何も感じさせない姿がおかしい、と思った。
これまでの彼女なら、泣き、わめき、なぜだと問い詰めたに違いない。なのに、何一つ聞かず、遺言だとばかりに総司が置いていった、刀と手紙を差し出した。手紙を読ませてくれと言われるかとも思った。
手紙には、書いた主も同意見だったのだろう。彼女に言われたら、見せてもよいと書かれてもいた。しかし、まったくそんな様子もなく夜が訪れた。

夜着を身に纏い、夜半に現れた彼女に、言いようのない感情がざわつくのはどうしようもなかった。静かに、神谷は抱いてくれと言った。
耳を疑う言葉に、明らかに動揺した。そんな心を見透かすように、大丈夫だと言った。初めてではないと。総司が一度だけ与えた想いを思い出すために抱いてくれと。
総司からは一言も聞いていなかったが、あの男がそんなことを言うとも思えなかったから、真実なのかと思った。いや、思いたかった。今の総司に女を抱くことが出来るとは到底思えない。
しかし、以前のことだと言われればどうしようもないし、そんな都合のいい言葉に、騙されたかった。

抱き寄せた細い体は、あまりに儚くてそっと触れる愛撫にも、堪えて表に出すまいとする姿が哀れで、愛しかった。結局俺は、自分の欲望に負けて神谷を抱いたようなものだ。
彼女を貫いた結果、散された赤い色に絶望的な思いを突きつけられた。やはり、そうだったのかと。今更でしかないが、引こうとした体を、細い腕が引き寄せた。

馬鹿だと、細い体を抱きしめながら何度も思った。自分に対しても、総司に対しても、彼女に対しても。

やがて、自分の腕の間から身を起こした彼女を、引き留められずにそのまま眺めていた。ひっそりと、ささやくように神谷が言った。

「私の幸せ……とはなんです?」

何度も読み返していた総司の手紙が、部屋の隅に投げ出されていた。

『どうか、お願いです。神谷さんを幸せにしてください。見守ってください。
神谷さん。どうか幸せになってください』

総司の願いが、神谷の声が、月明かりに照らされて、俺に突き刺さった。

その後は、正直あまり記憶が定かではない。
自分と、愛する男の刀を自分自身に突き立てた彼女を気が狂いそうな勢いで、抱きしめたことだけは覚えている。

目の前で、まさか自分の目の前で、しかも自分が肌にふれた直後に。

それから数日後、部下に彼女を沖田氏縁者として葬ることを指示した。せめてもの償いに。
二振りの刀は、拭っても拭っても、血の跡が浮かび上がってきた。決して忘れることなどさせないとばかりに。

総司に、彼女の最後を伝えることが出来ないまま、もう一つの別れの知らせを受け取ったのはそれからいくらもたたない後だった。

総司が、神谷の最後を知って逝ったのかどうか、俺に知る術はなかった。今のように、電話やメールがあったわけではない。
そんなに気軽に連絡などとることは叶わなかったのだから。

 

「なあ。お前今、彼女いるのか?」
「なんですよ、歳也さん。藪から棒に」

総司は、変な顔で聞き返した。
しばらくぶりに飲みの誘いを寄越した歳也に、にこにこと現れた男はきょとんとした顔をみせる。目の前のビールと、ナッツを口に入れながら、悪戯っぽく笑った。

「やだなぁ、ついに歳也さん、私に惚れましたね?」
「馬鹿言うんじゃねえ。冗談でも勘弁しろ」
「あはは、歳也さんらしいなあ。でもいきなりなんですか?今までそんなこと聞いたこともなかったじゃないですか」
ぼんやりとグラスの中の丸い氷を眺めながら、歳也は答えのない悩みを打ち消すように酒を流し込む。
「お前、女がきれたことないくせに、自分から本気になった相手はいないだろ」
「えぇ〜?なんですよー、本当に。お説教ですか?女性に関してだけは歳也さんに言われたくないな〜」
「うるせえ。俺はお前と違って、来るもの拒まずじゃねえ」
「そうかなぁ。だって、自分のことを好きになってくれたら嬉しいじゃないですか」

無邪気な笑顔をみて、この笑顔を見せられたら女達は堪らないだろう。
だからといって、来るもの拒まずで二股、三股も平気なのはどうかと思う。まして、本気で嬉しいとは思っていないことがアリアリとしているのだ。

「えーっと、今はいないですよ。多分。まあ相手がどう思っているかわかりませんから断言できませんけど」
「多分ってお前、いい年してどういうことだよ。いまどき、中坊でも彼女、とか付き合おう位言ってんじゃないのか?」
「そんなの言いませんよ。誘われれば一緒に寝るだけですもん」

まったく、昔の奥手な総司とは似ても似つかない男になったもんだと思う。
誰にでも一様に優しいのは、誰にでも冷たいのと同じじゃないか。

「いつか、お前刺されるぞ。そんなことしてると」
「そりゃー男冥利につきません?いいなあ、そういうの。それだけ好かれたらいいですよねぇ」

本気で言ってるのだろうか。
呑気な口ぶりはそのままに、ビールに手を伸ばす。
背も高く、男振りもいい、気が向いてたまに弾くピアノは軒並み女達を捕まえる。仕事にはまじめだが、どこかシニカルに構えていて決して懐まで立ち入らせることはない。
かろうじて、歳也には懐いているが、それもどこまでが本気なのか。それでも、人一倍の寂しがり屋なのは変わらないようだ。寂しがりで、一人にされることを極端に嫌がるくせに、一人でいたがる。

「お前は好かれたいのか?たまには自分から惚れてみるのはないのか?」
「なんですか、今日はやけに絡みますねぇ」

うるさげに目を細めると、くしゃっと髪を掻き面倒臭そうに口を開いた。

「惚れるだけの人に巡り合ってないんですよ、きっと」

さすがにそれ以上、続けるわけにもいかず話を変えた。

「そういえば、これ、行くか?」

件のチケットを取り出す。
「ああ、これ。よくまわってきましたね。」
「そうなのか?」
「結構人気なんですよ。このホールの音響は抜群だって話ですし、目玉のパイプオルガンらしいですけどね」
「行かないのか?」
「私、この弾いている人があんまり好きじゃないんですよねー。鼻につく弾き方って言うか。どうだ!って派手な見せびらかすような音があんまり好きじゃなくて」
「じゃあ、他にまわすか」

どこかでほっとしながら、チケットを取り返そうとすると、総司はそのままチケットをサイフにしまった。

「行きますよ。2枚あるんでしょ?たまには歳也さんも付き合ってくださいね」
「俺か?!」
「そりゃーそうですよ。こんな演目で女性を連れてなんかいけませんて」

確かに、デートで連れて行ったら女なら一発だろう。
そんなつもりではないのだ。

「わかった……」

自分の分を懐にしまいながら、隣にいる男の横顔を見る。この男は思い出すだろうか。思い出したとき、どうするんだろうか。

未だに話すこともできない自分が情けなかった。