逢魔が時 7

〜はじめの一言〜
総司くんは、今生きてたら相当たらしになってたかも?

BGM:My Little Lover Hello,Again〜昔からある場所〜
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「緊張してる?」

楽屋口からステージまでの暗い廊下に、ひっそりと佇んでいる理子に、吉村が声をかけた。白いドレスがいつも以上に儚いような、今にも消えてしまいそうなくらい頼りない後ろ姿に、思わず声をかけた。
まだ大学を出て、2年くらいなのに彼女の歌は、結構評判がいい。音楽イベントでは、結構一緒になるようになった。
何度目かの共演ではあるが、これまで一度も緊張した様子を見たことがなかったのに、こんな風情の彼女は初めてみた。

「そうみえます?」

口元だけが歪んで、小さな声が答えた。あの響き渡る歌声からは想像しにくい、小さな声。

「どうかした?」
「ううん。大したことじゃないですよー」

今度は、はっきりと振り返って、笑ってみせた。どこか諦めたような、寂しそうな笑顔。

「大丈夫ならいいけど。もうすぐだよ」

 

客席では、藤堂と一緒に山南と斎藤が、そして少し離れた席に、歳也と総司が座っていた。仕事柄、店でもいろんな曲をかけているのでそれなりに楽しん でいる藤堂と、趣味で色々な曲を聴く山南はいい。斎藤は日ごろの疲れもあって、途中から舟を漕ぎ始めていた。それでも理子の出番になれば、いつも自然に目 が覚めるから別に問題はない。

歳也も普段は聞きなれない曲ばかりで閉口していた。一応、TVCMなどで取り上げられるような曲が多いらしく、確かにどこかで聞いたことのある曲が多いのだが、総司のように聞きなれているわけではないのだ。欠伸を噛み殺しながら、隣に座る男に話しかける。

「お前的にはどうなんだ?」
「……なにがです?」

つまらなさそうに総司が答える。本職が調律師であり、自身もピアノ弾きであるだけに、こういう場に来てハズレの場合はひどく不機嫌になる。あまりにひどいと、貰いものを回した歳也に向かって『なんでこんなのくれたんです?!』と文句を言い始めるのだ。

「その、いつも下手だとかなんとか文句言うだろ」
「まー、こんなもんでしょう」

―― 別に。そんなに心配しなくても何もないですよ。

心の中で歳也に向って呼びかける。歳也が、ひどく神経質になっていることには、とうに気が付いていた。怯えた姿に、苦笑するしかない。

たかが過去ですよ、歳也さん。いえ、土方さん。

感情の伴わない記憶は、歳也と出会って加速するように自分に戻ってきている。驚きよりは、静かに自分が納得する部分もあるのだ。

だから、こんなにも懐かしいのかと。だからこんなにも人恋しいのかと。

ゆっくりと子供の自分から、鬼として恐れられながら皆とともにあった日々までが少しずつ覆いをはずすように、自分に還っていく。

優しくて不器用で、大好きだった、兄貴分のこの人と出会えただけでもよかった。歴史が語るなかではこの人が一番最後まで戦っていたのだから。

 

司会者の声に導かれて、演奏者と歌い手がステージに上がる。総司にはこのパイプオルガンの奏者は、まるでかつての“浮乃助”と呼ばれた人の姿を彷彿とさせていた。恐れ多い身でありながら、市中で会うことの多かった人。

この人はきっと覚えていないでしょうけど、弾いてる音は本当に代わらないんですよねぇ。

真新しいホールに、澄んだ音が響き始めた。

不思議な感覚だった。どこにいるのかはわからなくても、存在を感じる。どこかで出会うことがあるのだろうかと、思いながら誰を思い浮かべているのか。

 

 

理子は、響き渡る音を聞きながら、深く息を吸い込んだ。軽く目を閉じた後、見開いた先には暗い客席とライトが、暗い海に光る灯りのようだと思った。

……―― それは祈り。
あの頃の私は、我侭にただ貴方の傍にいることを願った。

愛しい人の傍にいられれば十分だと、身勝手な願い。
貴方が私をどう思っていようとも傍にいて、貴方を、見ていたかった。

……―― 聞こえていますか?元気でいますか?幸せですか。

今生の貴方が幸せであることを願います。私のことなど思い出さなくてもいいから。愛しい人に囲まれて幸せな生を辿ってください。

1曲目が終わり、2曲目に移る。

―― 選曲、誤ったかな。

ぺろりと口の端をなめる。この曲を歌うと、どうしてもいつも同じ想いをのせてしまう。
嘘つきだな、と自分を嗤いたくなる。本当に願っているなら、同時にこんな曲を歌いもしないし、あの人に出会うためだけの非道なことをすることはないのに。

……―― 思い出して。私のことを。憎んで。苦しめた私を。許さないで、私を。
貴方がいなければ、生きてはいられなかった。
触れなくても、叶わなくても、傍にいるだけでよかった。愛して。愛さないで。

心に思い浮かべないようにしているのに、歌うときはどうしても封じ込められない。

……―― 生まれ変わっても傍にいると言った言葉も裏切りの一つだとは知らずに。魂が求めるのは罪なのか。忘れ去られるくらいならどうか憎んで。我侭な私を罰して。許されない想いならどうか貴方の手で殺して。

 

歌いながら、自分の中の違う自分が首を傾げる。
結局、あの人に会ったらどうするんだろう。私はどうしてほしいんだろう。

 

ラストのアンコールには理子は応えずに、吉村のソロにステージを空け渡した。苦笑しながら、吉村はおどけたように、拍手に応え、アドリブで短いフレーズを弾いて、終演の幕を引いた。

 

スタッフや共演者に挨拶を交わして、理子は関係者出口に急ぐ。皆が来てくれた日は、ほとんど必ず終わった後に食事に行くとか飲みに行くのが、定番になっていたからだ。
携帯を取り出すと、藤堂を呼び出した。

「俺だよ。お疲れ!」
「ごめん。お待たせ。今でるところ」
「そっか。山南さんは、明里さんが心配だからって今日はやめとくって。斉藤さんは一緒に待ってるよ」
「わかった。今向うからどこに」

関係者で入り口を出たところで、笑顔が固まる。

「もしもし?神谷?」
「ごめん、ちょっと待って。今どこ?」
「ホールのロビーだよ。関係者の方まわる?」
「ううん。そのままそこで待ってて」

薄暗い通路に歳也と、もう一人長身の男が立っている。顔をそらさずに通話を切ると、気づかれないように息を吸い込んだ。一瞬で、嘘の仮面をかぶる。

「こんばんわ。いらしていただいていたんですね」

にっこりと笑顔を浮かべて、歳也の前に足を向けた。
ひどく緊張した歳也と、あくまで自分はついてきただけだという風情の男。

「あ、ああ。チケットをいただいたので、そのお礼に」

差し出されたのは、赤いバラの花一輪。真紅のバラの色が血の色のようだ。

「ありがとうございます。嬉しいです。これから、知人とちょっと飲みにでも行こうかと思ってるんですけど、よろしかったらご一緒にいかがですか?……連れの方も」

二人の会話の邪魔をしないように一歩離れてそっぽを向いていた男が初めて理子のほうをむいた。
歳也が、無言でどうする?とばかりに振り返る。

「俺はどちらでも。美女のお誘いは基本断らないから」
「……だ、そうです。」

承諾を伝えているくせに、どこか苦々しげな歳也と、飄々とした男がひどく対照的だ。
パン、と歳也の肩をたたきながら、男が名乗った。

「はじめまして。一橋総司といいます」
「こちらこそ、今日はありがとうございます。神谷理子です」

一見、何事もなく穏やかな会話なのに、触れれば切れそうな何かがありそうで、歳也はその場から逃げ出したいと思ってしまった。二人とも嘘の仮面をかぶっている。
それが痛いくらい伝わってきた瞬間だった。

「こちらへ。ロビーのほうで知人が待ってますので」

 

ロビーで藤堂たちに歳也たちを引き合わせると、少なくとも藤堂、斎藤、そして歳也は驚いていた。その後、近くの店で軽く飲んだ後、お互いの連絡先を交わして別れた。
あくまで、その場では総司は、皆が記憶を取り戻していることを面白そうに聞く第三者という立場を崩さなかった。
そしてその夜、理子はひどく静かだった。

 

一人になった理子は歳也から渡された赤いバラを生けることもせず、テーブルの上に投げ出していた。床の上に丸くなって、暗い部屋の中で窓越しの月を見ている。

『はじめまして。一橋総司といいます』

……声が。一緒だった。

横になったまま、見上げる月。

……背が高いのも変わらないな。

冷えた床に頬をつけたまま、いつの間にか床の上に頬から流れ落ちた水滴が落ちた。

……大きな手もかわらないけど、昔より繊細そう。

……いまでも、あの二人が一緒にいるなんて。

心の中がざわざわする。
あの人に会えた。あの人とあの人がやっぱり一緒にいる。

「生きて、会えた」

ぽつん、と静かな部屋の中で小さな声がつぶやいた。

しばらくして携帯を取り出すと、ぽつぽつとメールを打ち始めた。

【今日はありがとう、藤堂さん。

もし、私が誰かを傷つけたらどうする?】

ぴっと音がして、送信済みの画面が表示される。
パチン、と二つ折りの携帯をとじると、すぐに受信を知らせる灯りがついた。

【神谷がすることだから、理由があるよね。

俺は神谷が苦しむんだったら何があっても止めるよ】

「優し……」

受信したメールをみて、思わず笑みがこぼれる。この人は、いやあの時代、あそこに集った鬼達はいつでも優しかった。優しい鬼達だった。

でも、私はもう優しい鬼ではない。