逢魔が時 8

〜はじめの一言〜
傷つけるから今度こそって。つらいよ。言っても聞きゃしないけど。

BGM:ホール&オーツ Wait for me
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しばらくの間、藤堂も理子もメールのことには触れなかった。触れないまま、ある日、藤堂の店で歳也と理子は偶然会った。

「こんにちわ。結構頻繁に来ているのになかなかココでは会えませんでしたね」

先にカウンターに座ってバータイムを待っていた理子が店に入ってきた歳也に声をかけた。カウンターにいる姿を見た瞬間、踵を返そうかと思ったものの、先に声をかけられてしまった歳也は仕方なく隣に座った。

「避けられててもおかしくないからな」
「やだ、なんでです?昔は昔、今は今じゃないですか。ね、副長」

カウンターに座った歳也のために、藤堂は日本茶を入れに奥に入った。

「ようやく言いやがったな。……しっかり覚えてるんじゃねぇか。そんな昔の呼び方はするな」
「じゃあ、命令口調もしないでくださいな?」

苦々しげに言い返す歳也に、面白そうに理子も言い返す。じろっと睨みつけるが、まったく気にする様子もない。

「そんなに怯えなくても。いじめませんよ」
「誰が、だ。お前にいじめられるほど落ちぶれてないぞ」
「そうですかぁ?でも、しっかり振り回されてますよね?き・お・く」

頬杖をついたまま、理子は歳也の肩に顔を寄せる。予想外の至近距離に理子の顔を見て、かっと頬が赤くなる。

くそっ、こんなことでからかわれて赤くなるなんざ、みっともない。

「ふふ、図星」

心中を見透かされて、その細い肩や白い頬から離れようとしたのに、くるっと椅子を回した理子がカウンターに背中を向けた格好で歳也の腕に絡みついた。
耳元で囁くように笑った声に、くらっとする。

「局長のことも沖田先生のことも、私のことも、全部覚えてらっしゃいますよね」

身動きすることも出来ず、耳元に息がかかる。

「神谷?なにやってんのさ」

そこに、熱い湯のみをもって藤堂が戻ってきた。怒った口調で咎めるような視線を向ける。
悪びれずに、理子はそのまま歳也の腕を抱え込んだ。思い切り片腕を引っ張られて、理子の方へ体勢を崩しそうになる。

「くくく……」

ぱっと手を離して、もう一度カウンターのほうへくるりと椅子を回すと面白くてたまらない、という風に笑い声が小さく聞こえる。

「てめぇ……」

憮然としたものの、振り回されたのは明らかなので、それ以上の言葉が続かない。藤堂からすると、理子がこうした悪ふざけをするのはこれまでの男達でも一緒なので、じろっと理子を睨むだけで十分伝わるはずだ。

「二人に怒られると立場ないじゃないですか」
「「当たり前だ!(だよ!)」」
「げ、二重音声……」

歳也と藤堂の二人に揃って言われて、理子が首をすくめた。

「ふーん。沖田さん、副長より優しいかも〜」
「ば、馬鹿野郎っ。俺は俺だっ」
「神谷、からかいすぎ!!」

藤堂が堪え切れずに吹き出しながら、止めに入る。憤然として、茶をすする姿が、かつての姿を思い出させる。
しばらくして、バータイムになって歳也と理子はアルコールに切り替えた。

「土方さ……じゃなくて、沖田さん、いつ頃から思いだしてたんですか?」
「俺か?俺は中学…くらいだな」

他の客の相手もしつつ、藤堂は二人の相手をしていた。

「へぇ〜。きっかけは何ですか?」
「……お前はどうなんだよ」

この前までのすました態度とは大違いで、くだけた口調で理子が加わる。
さすがに、事実を言うのは憚られるのか、歳也は切り返した。

「藤堂さんは、私と会ってからだもんね!」
「俺にふらないでよー」

思いのほか、ほのぼのと3人で話し続けられるのが不思議だった。これが、過去の記憶のおかげだろうか。

わざと。

いつもより強いお酒を選んでいるのは、理子も歳也も同じである。酔わなければ、この二人は話ができなかったんだろう、と藤堂は思う。この前の理子のメールを考えると、心配ではあったが自分ができることは、自分ができる範囲のことでしかないなのだ。

理子が傷つけようとしている相手が誰なのかもわからないし。

酔った歳也はそのまま、タクシーで帰るという理子を自宅に連れて帰った。別に他意があったわけではない。あえて言うならその場の流れと勢いである。

二人とも酔っているどこかで頭は全く酔っていない二人である。家につくと歳也は、理子をソファに座らせて、自分と理子の分のミネラルウォーターを持ってきた。自分は理子の前の床に直接座り込んだ。

「お前さ。聞いてもいいか?」
「なんですよぅ?」

決して甘い空気ではなく、お互いが緊張していた。触れてはいけないものが確かにそこにある。
それでも歳也は確認しないではいられなかった。

「昔な。あの時、もしかして知ってたのか?」
「……」

ペットボトルの冷たさだけを頬に押し当てて、理子は黙ったままだった。

「俺は、あの時迷っていた。総司にどれだけ頼まれても、お前と……神谷と総司の幸せは最後まで一緒にいることじゃないかと思っていたから」
「……知ってましたよ。置き去りにされること」

歳也の言葉が終わる前に、理子の声が低く、小さく聞こえた。はっとして歳也は理子の顔をみた。

「置き去りにされると思っていたから、何度も何度も、何度もお願いしました。他には望まないから傍にいさせてくださいって」
「憎んだか」

聞いておいて、歳也は間抜けな質問をした、と思った。誰を憎むというのだ。
恨まれるなら、憎まれるなら自分ではないか。

「……わかりません」

しばらく間をおいて、理子が答えた。その逡巡だけでは、窺い知れない何かがあった。
憎んだに決まっている。それだけのことをしたと、自分でも思っているのだ。

「総司に会いたいか?」

自分自身の決断をするためにも、初めて口にした言葉に、理子が歳也の眼をみた。

「一橋は、総司だぞ。おそらく。記憶が戻っている様子はまだないが、俺はあいつだと思う」
「そうかもしれないですね。でも、だからなんなんです?」

すっかり酔いの抜けた顔で理子は、歳也に向きなおった。

「記憶にもない私が、会いたかったです!とかいってすり寄っていけばよかったですか?」
「そうじゃなくて…………!!!」
「今でも……、土方さんはひどいですね」

苦い笑みを刷いた口元が、わかりきっていることを伝えてくる。自分たちがこうして出会っていることも奇跡のような出来事なのだ。下手をしたら一生会えなくてもおかしくはない。

「……そうだな。俺は今もひどくてずるいのかもしれん」

そして俺は今生でも神谷の心を踏みにじるのかと。
暗い闇が広がっていくのを感じた。

やりきれない気持ちを今でも続けるのかと我ながら呆れそうだった。
携帯を取り出すと、メールを打つ。終電も終わった時間だが、起きてるはずだ。近所に住んでいるあいつならすぐに現れるだろう。
こんなことをいつまでも続けているわけにはいかない。昔のケリをつけるならさっさとすればいいのだ。

特に興味も示さず、理子は目を閉じてたった今交わした会話の痛みに耐えているようだった。

どちらもそれ以上一言も交わすことなく、時間が流れていく。さすがに何かかけるものでも持ってきてやろうかと思った時に、チャイムが鳴った。

ぴんぽーん。

「歳也さん、この時間に呼び出すのは……!」

長身の男が、勝手知ったるとばかりに部屋に入ってきた。そしてそこにいる二人の姿をみて絶句して立ち止ったのだ。

「……何をしてるんです?!」

その声に予想外の怒りを感じて、歳也は慌てて立ち上がった。

「いや、たまたま飲み屋で一緒になって、終電がなくなったから」
「だったらタクシー代でも何でもだして送ってあげればいいでしょう。伊達に稼いでるわけじゃないでしょう?!」

「私がここにいたらいけませんか?」

二人の言い合いに理子の一言が投げ込まれた。てっきり眠ってしまったのかと思っていたら、ちゃんと起きていたらしい。
総司は怒りをそのまま理子にも向けた。

「少なくとも親しくない男性の部屋に酔っ払って連れてこられるというのは賢明なことではないでしょう。若い女性が」

怒りが込み上げてきたことに総司自身が少なからず驚いていた。何に自分は怒っているのだろう。歳也にだろうか。
それともこの、かつての自分が愛した人にだろうか。

―― 愛した人?

総司の記憶は、小柄な女の子が男と偽って自分の部下として加わった頃で止まっていた。それが、今まったく自然にその先の記憶をも引き出した。
幾度も、やめさせようとして、それでも傍にいたいといわれて許した自分。まっすぐな視線と健気な姿にいつの間にか惹かれた自分。

「………あ……?」
「おい、総司?」

突然、口元に手を当てて動きが止まった総司をみて歳也は、はっとした。
ふとした瞬間に蘇る記憶に、自分も、いや、自分達も十分翻弄されてきたからわかるのだ。

総司に今、何が起こったのかを。

これまでは、歳也に会った後に、少しずつ思い出していたから、蘇ってくる記憶に動揺することもなかったし、それを隠すことも簡単だった。感情を伴わないそれらは、記録フィルムを眺めるようなことだったのだ。
ところが今は、一気に蘇る記憶と、これまでは伴っていなかった感情の波に押し流されるばかりで。すでに思い出していた間の分の感情も、その後の自分の記憶と感情が一気に頭の中に溢れ返る。

がくがくと膝をついて床の上に沈みこむ。慌てて駆け寄る歳也とは逆に、恐ろしいものを見るように初めて理子は怯えた。
恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。

この場にいてはいけない!

強い力に引かれるように、理子は自分を守るように鞄を抱え込んで部屋を飛び出した。

「おい?!神谷っ!!!」
「うぁっ!!!」

思わず呼び止めようとして叫んだ歳也の声に、総司の記憶を封じていた最後の枷が外れた。

―― 神谷さん!!

頭を抱えてうずくまる総司をそのままには出来ず、歳也は理子の飛び出した後を追いかけることが出来なかった。
今は仕方がない。息も荒く苦しそうな総司を腕をつかんで揺さぶった。

「総司?!」
「………ひ、じかたさん」

荒い息がかろうじて応える。かつての名前を。
どこまで蘇っているのかはわからない。それでも、今は混沌の中に押し流された弟分に出来ることは、そのまま眠らせることしか出来ない。

「総司、俺はここにいる。だから眠れ。安心して眠れ。」

そうすることで、今の意識が抵抗することなく過去を受け入れるだろう。
自分の体験からして、それが最も最善だと思った歳也は、そのまま横たえた。

歳也の部屋を飛び出した理子は、闇雲にその場から離れるために、とにかく走った。感覚的に、大通りを目指してはいたものの方角など意識していられなかった。

――― 怖い。

あの人の目が自分を拒否したら。
覚えていなかったら。覚えていたら。そうだ。もしも覚えていたのなら。

恐ろしさに身が震える。
息が続かなくなって、ようやく道端に立ち止まった。

いつか会える日が来るかもしれないと思った時。
こんなことも考えなかったわけではない。でも、いくら頭で考えていても、現実に突きつけられるのとは違う。願っていたことが、叶わなかったのかと。
冷静に対応できるかしらと思っていたものの、こんなにも恐ろしいとは思わなかった。

理子の中で、すでに過去と現在の混ざった魂が悲痛な声を上げる。

会いたい。

今の人となりを知らないのに、おかしいことだと思う。ありえないと思う。
でも、あの魂を抱えた人を私が愛さないはずがない。
きっと、どんな人であっても、求めてしまう。傍にいたいと願ってしまう。

その果てに、何が待っているんだろうか。
かつての自分はこんなことを望んだのだろうか。

流れる車の灯りを見つめて、理子はタクシーを止めると一人でいることには耐えられずにある場所に向った。