夜天光 18

〜はじめのお詫び〜
混乱と、希望と、愛と。
BGM:Celine Dion BECAUSE YOU LOVED ME
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理子を斎藤の病院に連れて行った後、再び理子の家に戻った恭子は理子をなだめてベッドに横にならせた。泣いて、泣き疲れた瞳には何も映っていない。

枕元に座って、恭子は理子の髪を撫でた。その仕草はかつて総司がセイにしたのと似ていて、ひどく懐かしい気持ちになる。

「理子さん。貴女の心にある本当は何?」

心の奥深くに逃げ込んだ理子に恭子は呼びかける。
過去の関わりを持たないからこそ、恭子は客観的で冷静に女性ならではの感性で理子の心に近づくことができた。

恭子からみると、理子は深い悲しみを抱えていても、その奥深くには温かい愛情が広がっている気がした。それでなければあんな歌は歌えない。

「貴女は、その人を本当は想ってるんじゃないかしら」

静かに理子が首を横に振った。

「……違う。私が好きだったのは昔のあの人で、あの人が探しているのも昔の私なの」
「……それ、本当かしら」

優しく理子を撫でていた恭子が頬に手を添えた。

「私には、よくわからないけど……。理子さんは、その人のこと、好きなんじゃないの?だから…その人が昔の理子さんを探していると思って悲しいんじゃない?」
「……私……違う。違うわ、だって」

横になっていた理子が起き上がった。

「だって、あの人は、私を置き去りにしたの。今になって、愛してるって、傍にいてって私が頼んだ時は聞いてくれなかったのに」
「じゃあ、もう手遅れってこと?もう、理子さんはその人のことを好きじゃないの?」

恭子の問いかけに、理子の瞳が揺れた。

今の総司を。
過去の総司を。

「いいえ……昔も今も……大好き…」
「好きだから、今の理子さんを見てくれないことが悲しかった?」

ぱた。枯れたと思った涙が再び溢れる。
理子は眼を見開いたまま、涙がこぼれるに任せた。

「……違う。今でも大好きだから、また嫌われたら……置いて行かれることが怖くて……」

だから逃げた。思いだした記憶ののままに、なんて女だと思われたら怖くて、嫌われたら生きていけないから。
思い出だけを連れて行けば、苦しまなくていいから。

そして、愛しているといわれて、理子の中のセイは喜んでも、今の理子は求められていないと思った。総司が愛しているのはセイで。今の理子はセイであってセイではないから。

「大好きで……だから、悲しくて……私は私なのに……」

ようやく、自分の心の内にたどりついた理子を、恭子は抱き締めた。

「理子さん。貴女は人一倍寂しがりで、愛情が深い人よ。いつまでも悲しんでいたら苦しみからは解放されないわ。逃げないで。貴女の中で泣いている想いを大事にしてあげて」

―― もう、この苦しみから解放されよう

理子が、自分の中のセイと清三郎に呼びかける。素直に認めよう。

愛していると。

 

 

 

ぴんぽーん。

エントランスの呼び出しがなって、総司はすぐにオートロックを開けた。

「斎藤さん、うちの住所、歳也さんに聞いたんですね?」
「ああ。引っ越したここは知らなかったからな」

からん。グラスを傾けながら斎藤が答えると、総司が困った顔をした。

「しょうがないですけど」
「なんだ?」

斎藤が顔を上げるのと同時にもう一度ベルが鳴る。今度は玄関なのだろう。鍵のかかっていない玄関から歳也が現れた。

「ご本人の登場です」
「なんだ?殴り合いでもしてるのかと思ってきたんだが?」

落ちついてはいるものの、何事かとそれなりに心配してきたらしい。二人が一緒に酒を飲んでいるのを見て、歳也は二人の顔をかわるがわる眺めた。

「一発殴るんじゃなかったのか?」

斎藤にそう尋ねると、斎藤がそう言えば、と言った。

「殴られてはいませんよ。思いきり蹴られましたけど」
「当り前だろう。あんたを殴って大事な手を怪我したら敵わん」
「なんですか、それ。ひどいなぁ」

総司が歳也の分のグラスを持ってきながら説明すると、斎藤が横からそのグラスに氷を入れた。歳也が話が見えないとばかりに、説明しろ、と言った。

「説明してもいいのか?一橋さん」
「だ、駄目です」
「何が駄目なんだ、総司」

歳也にも斎藤が総司を殴るといえば一つのことだけだと思い当たる。白状しない総司に歳也が斎藤をぎろりと睨んだ。

「斎藤?」
「神谷を泣かせた」

 

ばぐっ。

 

それを聞いた瞬間、歳也が見事なクリーンヒットで総司を殴った。きれいに吹っ飛んだ総司は床に沈み込んで、口元を押さえた。

「いっ……つぅ……ちょっと手加減なしですか」

口の端を切ったのか、少し血が滲んでいる。
歳也は職業柄襲われる可能性もないわけではないので、日頃からジムに通ってそこそこ鍛えているだけに、堂に入った一発だったらしい。

「このくらい当然か?」

何をもって泣かせたのかは聞かないまでも、程度を訪ねた歳也に斎藤が首を傾げた。

「そうだな、後は藤堂からも1、2発殴られるくらいでしょうな」

それだけ殴られても当然だと言われると、いったい何をしたんだといいたくなる。
総司が急いで歳也の分の酒をグラスに注いだ。

「殴ったんだからもう気が済んだでしょう?」
「こんな一発じゃ済まなくて、斎藤がケリ入れるくらいならよほどのことやらかしたな?」

睨みつけられてもさすがに何をしたかまでは言うわけにいかない。曖昧に頷いて総司は自分も酒を口にした。切れた口の端に酒が沁みた。

 

 

– 続く –