夜天光 19

〜はじめのお詫び〜
絶望と未来と感謝と。
BGM:Celine Dion My heart will go on
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「どーしちゃったのさ?その顔。男ぶり上げたねえ」

吉村が茶化す様に総司に言った。総司は都内での別な仕事の合間にようやく吉村を捕まえた。
あの後、歳也の呼び出しで現れた藤堂に2発左右殴られた総司は見事にその顔を腫らしていかにも殴られました、という顔をしている。それでも真剣な顔の総司に、面白がっている。

「どうでもいいじゃないですか。それより、吉村さんにお願いがあるんです」

そういうと、総司はイベントでの選曲を聞いて、もしもアンコールがかかったらやってほしい曲がある、と言った。

「アンタ、本気で言ってんのかい?」

吉村があきれた顔で総司を見た。イベントでの演奏は、理由はどうあれ理子にとっても吉村にとっても仕事である。
そこに私情をねじ込んでくるとはいくらなんでも呆れてしまう。
ふざけるなと、言いそうになって吉村はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「それは理子ちゃんに関係ある?ってことだよな?」
「貴方には関係ありません、と言いたいところですが、そうです」
「あっはっは。今のあんたはずいぶん正直者だな?昔は大事な清三郎を平気で差し出したこともあるくせにな」
「よっ、吉村さん?!」

ついでのように言われた一言に総司が目を丸くした。にやにやと意地の悪い目つきと笑みは昔のまま。

「へぇ。理子ちゃんはあんたには言ってないみたいだな。にしても分かってるんだろ?オキタサン?」
「!まさか………浮之助さんって……」
「そゆこと。理子ちゃんにはとっくに話したぜ?相変わらずあの子はいい子だねぇ」

あんぐりと口をあけたまま、総司は二の句が継げなかった。まさかこの人まで甦っていたとは!

あまりに総司が驚いていると、面白くないのか吉村が不機嫌そうな顔になった。

「俺が覚えてちゃいけないってのかい?未だに面倒くさいのは相変わらずかよ」
「そ、そんなんじゃないですけど……。まさか貴方が身近で甦っていらっしゃったとは思わなかっただけですよ」
「敬語はいらないよ?今は一般人だからさ。それより、アンタ、今生じゃ、理子ちゃんとうまくいってないのかい?」
「そ、そうじゃなくてですね」
「分かってるよ。ちょっとからかっただけさ」

相変わらずの底意地の悪さに、総司は恨めしそうな視線を向けた。そして咳払いをひとつすると、話を戻した。総司の頼みに、ひとしきりにやにやと笑いを浮かべた後、散々からかってようやく吉村が協力する、と言った。

 

 

前日にはすっかり準備が整って、最終リハを迎えた。理子はその場で総司に会う事に怯えていたが、搬入直後に調律は終えたらしく、総司の姿はそこにはなかった。

ほっとした理子に、吉村はアンコール曲の提案をした。理子は、迷ったものの頷いた。

「でさ、この歌詞なんだけどね。そのまま原曲歌ってもこういうイベントだし、面白くないじゃん?どうせなら理子ちゃん、意訳して日本語で歌わない?」
「う……ん。どうしてですか?」
「いいじゃん。沖田への恨み事でもなんでもいいからさ。どうせ知ってるやつしか分かんないし」
「でも、意訳して曲が変わるのは嫌なんです」

今回は山南や近藤へは知らせていない。来たとしても、藤堂と斎藤、恭子だろう。総司が来るかどうかは今の状態では分かりはしない。

その代りにとアレンジを変えてきた吉村に理子は合わせることにした。最終リハは結局アンコールのための1曲を合わせるために費やされた。

 

 

 

翌日、イベントの目玉の一つとして、ギャラリーでは展示されているものの説明やセミナーが行われた。
その後に出番を控えた理子達は裏で説明を聞いていた。

 

「なんだかおもしろくないねぇ。俺も新撰組は可愛がっていたのにさ。今じゃこういう説明にはちっとも出てきやしない」
「あたりまえじゃないですか。可愛がってくれたのは浮之助さんで、慶喜公じゃありませんもん」
「うわ、かわいくないこと言うねぇ。伽を申しつけたこともあるってのにさ」
「あれは未遂だったじゃないですか!やめてくださいよ」

いつになく緊張している理子を和ませようと、吉村は軽口をたたく。到底、そんなことでは理子の緊張はほぐれはしないのだけど。
泣き疲れて眠った後は、鈍い痛みが時々心を掠めたけれど、理子にとっては心の整理がついただけ本当の痛みからは逃げていられた。早々簡単に立ち直れるような出来事ではなかったものの、仕事は仕事だとどんなに辛くても割り切らなければならない。

顔さえ合わせなければ、なんとか乗り切れると理子は思っていた。それがどんなイベントだとか、どんな日なのかということより、とにかく仕事なの だと自分に言い聞かせる。そうして会場に入ったものの、いつ総司が現れてもおかしくはないだけにびくびくして際限なく緊張していた。

それになぜか、裏にもグランドピアノが置かれていて、驚いた理子に吉村は予備だよ、と笑った。

「ピアノに予備なんて……」
「あるわけよ。そうそう調律師なんて呼びたくないしさ。そう思わない?」

そんな言い方をされると反論もできなくて、理子は黙った。くすくすと意味ありげに笑う吉村はにやっと笑った。

「理子ちゃん。その白いドレス可愛いねぇ」
「吉村さん、いつか絶対後ろから蹴飛ばすから!」

我慢できずに理子が苛々と吉村を睨んだ。

 

セミナーが終わって、司会の案内とともに吉村が先にピアノの前に座った。ソデから覗くと総司の姿はどこにもなくて、客席には、藤堂と歳也、斎藤と恭子の姿が見えた。

ほ、と安心して、理子はピアノの前に立った。

 

リハの時と同じように、吉村のピアノが響いて、会場に座っていた者達も、会場の外でうろうろしていた者たちも一斉にこちらを剥向いた。理子の歌は、リハの時のようにピアノの音が作り出す海を渡る船のようだった。
海面を滑るように進んでいく。

 

あっという間のに全曲が終わって、ライトが切り替わった。吉村をピアノの前に残して、一度裏に戻った理子は、拍手の音に、再びピアノの前に進み出た。
そこで、理子や吉村を照らしていたライトが消えて、ギャラリーの中は展示物に向けられた間接照明だけになる。

 

– 続く –