薄明 5

〜はじめのお詫び〜
そーいうわけなんですよ!!皆様、ダークという言葉に惑わされましたね。
いや、デート相手の扱いが大概だと思いますけど!!
BGM:Chaka Khan Through the Fire
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

 

「……ただいま」

リビングについていた明りで理子が自室にはいないことが分かっていたものの、ピアノの音がする。
静かにドアを開けた部屋には、風呂に入った後なのか、まだ半分濡れたままの髪に部屋着姿の理子がピアノを弾いていた。

「お帰りなさい。ピアノ、お借りしてます」
「ええ。珍しいですね」

普段、理子は自室の電子ピアノを使っている。構わないといってもごくたまに、総司がいない時に借り受けるくらいで滅多にこちらのピアノを弾かないのだ。
急いで帰ってきたために、軽く息が上がっている総司は、静かに呼吸を整えながら自室のドアを開けた。一度荷物を置いて、すっかり汗臭くなった姿に着替えを持つと風呂に向かった。
理子が弾いているのを邪魔しないように、ゆっくりめに風呂に入った後、濡れた髪をざっと拭いてリビングに戻った。

総司が戻ったので、理子はピアノの前から離れてキッチンに入った。冷蔵庫からミネラルウォーターをボトルごと出してカウンターの端に置く。
総司が一度自室に着替えを置きに行って、チョコレートの包みを手に戻ると、置かれたペットボトルに嬉しそうな顔になる。

「これ、いいですか?」
「もちろん」

再びピアノの前に戻ろうとした理子の目の前にチョコレートの小さなペーパーバックがぶら下げられた。

「あ!これ!!どうしたんですか?」
「やっぱり知ってます?このお店」
「もちろんですよ」
「じゃあ、ちょっと休憩して食べながら話しませんか?」

嬉しそうにうなずいた理子を傍らのテーブルの前に座らせて、自分もその向いに座った。
理子は、可愛らしいパッケージからリボンと包み紙を丁寧に外すと、そっと箱を開けた。
あとで総司が聞いた話では、物によっては一粒で千円以上するものもあるらしい。

「すごーい。嬉しい」
「それはよかったです」

どれにしよう、と迷いながら一つ一つの説明が書かれた紙に理子は見入っている。チョコレートの力を借りて総司は口を開いた。

「あのね。神谷さん、ピアニストの彼女も、チェロの彼女も何もありませんから誤解しないでくださいね?」

ぴた。

理子の手が止まって、すうっと息を吸い込むのが聞こえた。

「あの、気にしなくても」
「だって、一緒に住んでる恋人がいてそんな真似するわけないじゃないですか。やっと一緒にいられるようになったのに」

理子が言いかけたのを遮るように総司が続けた。

「こ、恋人って」
「普通、愛してるって言った相手のことを言いません?」
「だっ……て」
「なんでそこだけは昔のままの野暮天さんなんでしょうねぇ?あんまりアンバランスすぎると思うんですけど、ちっとも貴女は気がついてくれないんですよね。どれだけ私が貴女を大事に想ってるかを」

次々と畳みかけるように言われて、動揺した理子が手をひいて総司の顔を見ないように横を向いてしまった。

「だって……そんな自信なんて、ないし」
「私が毎日貴女に愛してるって言っても分かってくれませんもんね」
「だって!ピアノの彼女ははっきりと今は自分が一橋さんの彼女だから手を出すなって言ってましたもん!!それに、リハの会場まで迎えに来てたじゃないですか!!」
「2,3度食事したくらいですよ。貴女に対抗心を燃やしてるみたいだったから、少しでもそれで機嫌が良くなれば貴女が仕事しやすいかなって思ったんですよ」

涙目で横を向いたままの理子の頬に、そっと手をあてて自分の方を向かせる。

「チェロの彼女は本命の彼氏さんがいますよ」
「嘘!だって、スタッフさんが見たって……」
「酔っ払った彼女を送るためにタクシーに乗せました。降りたところで部屋まで送る間に、具合が悪くなって戻した彼女を介抱しながら、汚れた服を洗わせてもらってシャワーを借りました」
「そんなのっ!出来過ぎです!信じない。一橋さんは、上手に嘘をつくから……」

困った顔で総司は端からチョコを一つ摘みあげて理子の口にひょいっと放り込んだ。

「あのね。このチョコレート、もらったんです。藤堂さんの店で飲んでいたら、見ず知らずの女性に」

そこまで聞いた理子の瞳が揺れた。わざと間をあけて理子の反応を楽しむように総司が続きを言った。

「彼女の誤解を解いて、告白するんだって言う話をしていたら聞こえてしまったみたいで、そんなに大事な彼女だったらきっとわかってくれるからって。職場の忘年会でもらったらしいですよ。彼女と食べてくださいっていただいたんです」

放り込まれたチョコレートの香りがすごくて、理子は口元を押さえた。チェロの彼女の話もチョコレートの話も、まるでドラマのような出来過ぎな気がするけれど、どこかで信じたいと思う自分がいる。

「美味しい?」

不意に問いかけられて、こくとうなずいた瞬間、口元を押さえていた手をひかれて唇が重なる。溶けたチョコレートの香りと、ほのかに残るアルコールの香りに酔いそうになる。

完全にチョコレートが溶けてしまうと唇が離れた。理子の間近で総司がくすっと笑った。

「本当に美味しいですね」

もう一つを自分で口にして、口移しに理子に分け与えると、今度は軽く合わせただけで離れた。本当ならそのまま離したくはないくらいだが、今まで我慢していたのだからと名残り惜しい気持ちで離れる。

「大好きですよ、神谷さん。何よりも大事な恋人です」

くしゃっと理子の顔が歪んで、その場から立ち上がる。口元を押さえたまま、部屋を出て行こうとする理子の腕を掴んで、総司が慌てて立ちあがった。

「神谷さん?!」
「……もうっ、知らないですっ」

ぱたりと理子の涙が落ちて、さらに慌てた総司の頭を何かが掠めた。

 

それは、ピアノの音。

 

あっ、と総司は声をあげそうになった。

―― これは……野暮天は私の方だったみたいですね

 

掴んでいた腕を離して、腕の中に理子を抱え込んだ。泣くまいと息を吸い込んだ理子の耳元に近づいて、総司が囁いた。

 

– 続く –