桜の木の下で 1

〜はじめのつぶやき〜
過去に揺れる理子ちゃんのお話です。
BGM:貴方のお好きなさくらの歌で。
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通常のサラリーマンよりはいくらか自由度の高い二人は、朝、普通のサラリーマン同様の時間帯に起きて、ゆったりと動くのが二人の好みに合っていた。朝のニュースとワイドショーを混ぜたような番組ではそろそろ南の方から桜前線の便りが届いていた。

「桜もそろそろですねぇ」
「……ええ」

普段、あまりテレビを見る方ではない二人だがそろってみるのは映画か、朝の番組くらいだ。

生返事を返した理子には気付かずに、総司はスケジュール手帳に目を落としていた。

「今日は先に私が出ますね」

ノートタイプの付せんに今日のスケジュールを書いて、総司はコルクボードに予定のメモを留めた。
仕事用のバックにいつも持って行くポールとは違う長さのポールを入れると、ジャケットを手にとった。振り返ると、理子がキッチンで流しに向かったままぼうっとしているように見えた。

「理子?聞いてます?」
「あっ、はいっ」

声をかけられて我に返った理子が、手を滑らせて流しの中に小皿を落とした。薄手な小皿だったために、甲高い音を立てて煎餅のように何枚かに砕けるように割れた。

「理子?大丈夫です?!」
「ごめんなさいっ!お皿っ」
「皿なんか構いませんよ、怪我しませんでした?どうしたんです、ぼうっとして」

シンクの中に散らばった破片に手を伸ばした理子に、鞄を置いた総司がすぐに脇から手を伸ばした。

「ちょ、駄目ですっ。ピアノ弾くかもしれないのに指先を怪我したら!」
「割れた破片を片付けたくらいで大げさな……。例え指先を切ってもそのくらいピアノ線いじってるときの方がよほどざっくり切りますって」
「止めてください、どっちにしても。大丈夫、片付けますからもう行ってください?」

慌てて総司を押し戻した理子が妙に慌てていたので、総司はちらっと壁の時計に目を走らせて余裕があることを確認すると、キッチンペーパーを何枚か手にとるとざっとシンクの中をさらって、ダストボックスに放り込んだ。

残りの細かい破片は目をつぶることにしてざーっと水で流してしまった。総司達の住んでいるマンションはディスポーザーがついている。生ごみを流し込んでおけば定期的に破砕して流して行き、マンションの地下タンクで処理してくれる。

手を洗った後で、隣りに立ったまま動揺している理子に総司が手を伸ばした。

「一体どうしたんです?珍しいですね」
「ちょっと……ぼうっとしてて。ごめんなさい、大丈夫だからもう行って?」
「気をつけてくださいね。じゃあ」

少しだけ元気のなさそうな理子が気になったものの、仕方なく総司はそのまま鞄を手にすると仕事に出て行った。理子は今日は打ち合わせが入っているだけで、仕事の予定はない。

片付けを終えた理子はキッチンを出ると、続いている朝の情報番組の前でただ立ち尽くした。賑やかに流れるテレビの中では、もうすぐ春だ、桜だと浮かれたレポーターが都内の桜の名所で開き始めた桜を伝えていた。

きゅっと唇をかみしめた理子は、打ち合わせに出る支度を始めた。

 

 

総司が仕事から帰ってくると、家の中は暗くて人気がなかった。そういえば今日の理子の予定を聞いてなかったかと思った総司は、明りをつけながら部屋の中に入ると、リビングのコルクボードを確かめた。
そこには朝に自分が張った付せんだけで特に遅くなるというメッセージもなかった。

携帯を開いて念のために確認するがメールもなかった。

「珍しいですね……」

二人で暮らすようになって、どちらかが予定外に遅くなるときは必ずメールなり電話なりで連絡を取り合うのが暗黙のうちのルールになっていた。二人とも大人だけにそんなことをとも思ったが、不規則な仕事だけになんとなく始まったルール。

開いた携帯から理子にあてて、メールを送った。

 

『今日は仕事ですか?まだ遅くなる?迎えに行きますよ』

 

携帯をカウンターの上に置くと、仕事道具を部屋に置きに向かった。基本的には、理子も総司の部屋で休むようになってきていたが、遅くなったり諸々都合に合わせて前のまま、玄関脇の部屋が理子の部屋にしていた。
だから、総司の部屋に理子の物はあまり置いてあるわけではない。

着替えを済ませてリビングへ戻ると、携帯が光っていた。

 

『ごめんなさい。気分転換に近くを散歩してました。すぐ戻ります』

メールを開くと、そんな返信が届いていたから、そのまま短縮で理子へと電話をつないだ。

『はい』
「どこです?迎えにいくから」

数コールで出た理子に、財布と鍵だけをポケットに入れた総司は、話しながら玄関へと向かった。電話の向こうは、外の気配がしていて、時折車が走る音が聞こえる。

『大丈夫です。すぐに戻るから』
「どうしたんです。気にしなくても大丈夫ですよ」
『……』
「理子?」

しばらくの無言に総司が呼びかけると、電話の向こうで理子が躊躇った後に近くのコンビニから歩いているところだと言った。

「わかりました。いつもの道ですよね」

すぐに玄関を出ると、一階まで下りて二人でよく歩く道順を歩き始めた。足早に進めば総司にとっては何分もかからない場所にある道をたどる途中で、小さな公園がある。

「理子?」

歩いているはずの理子が、薄暗い公園の中で携帯を持ったまま佇んでいた。繋がったままの電話とそこにいる相手へと両方へ総司が呼びかけた。

ふわりと、振り返った理子が一瞬、何かに怒ったような顔を見せた気がした。
すぐに、笑顔を向けた理子が歩み寄ってきて、耳元に寄せていた携帯を下した。

「ごめんなさい、わざわざ」
「構わないですけど、こんな遅くに一人で公園なんかにいたら駄目ですよ?」
「たまたま通りかかっただけですよ。この辺はまだ人通りもあるし」
「駄ー目。何かあったら私だけじゃなく、歳也さんや藤堂さんだけじゃなくて、近藤さんや山南先生まで泣いちゃいますよ」

おどけていう総司は、理子の肩に手を回しながら首をひねった。
理子が佇んでいたところで、彼女が何を見ていたのかと思ったが暗くてよくわからなかった。

 

 

– 続く –