桜の木の下で 12

〜はじめのつぶやき〜
実は難産。難しいな。
BGM:FUNKY MONKEY BABYS 桜
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「……わかってます」

深く、息を吸い込んだ理子もはらはらと舞い落ちていく桜を見つめて応えた。
落ち着いて考えれば、いつも総司はセイを守って来た。

何も分からずにいたセイに刀を握らせまいとして、人を斬らせまいとして。闘い、身を守る術を教えて、武士としての生き方を教え、迷うことなく歩いていけるように。
自分がいなくなったとしても、その笑顔を曇らせることないように。

まっすぐに前を見て応えた理子をちょっとだけ振り返った総司は、律儀に礼を言った。

「そう?ありがとう」

しばらく、ただ二人でふわり、ふわりと舞う花びらを眺めて黙っていた。
わかっている、という理子に礼を言ったが、きっとそれは総司の思うこととは少しだけ違っていて。

「私は、過去の場所に思い入れなんかないんです。ただ、懐かしいと思ったり、昔はこうなってた、なんて面白く思ったりはしてもね」

目の前の明るい景色をみているようで、総司の頭の中には見てきた懐かしい場所が浮かんでいた。思い入れがないと言いながらもひどく優しい笑顔になる。

「貴女は、桜だけじゃない。本当は過去にかかわる場所すべてを避けていたんじゃないですか?知識としての歴史以上に調べてしまう、でも怖くて近づけなかった」

こくん、と頷いた理子は、大学時代、山南とともに、貪るように調べ、知らなければよかったと思う数々の真実と虚構の間で砂粒の中から砂金を探すように少ない痕跡を辿った。だが、いずれの史跡も場所も、行き方を調べるところまではできても、そこから先へは進めなかった。
調べて行く間に、誰の想いにさえ自分が残っていなかったとしたら悲しみだけが自分だけに残ってしまう。

「あのね。神谷さん。京都に行って来たんです」

最終の新幹線で京都に向かい、駅前のシティホテルに携帯から予約を入れた。夜遅くのチェックインの後、とりあえず泥のように眠りこんでから、驚くほ どすっきりと目覚めると、主にタクシーを使って、壬生からはじめて巡察路や、二条城、西本願寺、不動村。思いつく限り、歩いた記憶の端々を巡り歩いた。

その大半はセイを連れて歩いた場所だ。

もう桜の大半は終わっていたが、黒谷の山門前の階段は昔のように幅広く長いもので、かつてセイと見た若木の桜は見事な大ぶりになって今は見事な葉桜になっている。

階段の上を見上げた総司はそこにいないはずの姿を振り返った。
はにかむ様な、月代の少女が儚く散る桜に微笑んでいた。

「今はない道や、昔はない道があって。……それでも結構、辿れるもんなんですねぇ」

苦しむ顔も、泣き顔も見た。たくさんの仲間たちと、笑いさざめいた顔も、からかわれて真っ赤になって膨れた顔も。
いろんな顔を見たはずなのに、思い出すのはどの顔も笑顔で。

「どこに行っても、思い出すのは貴女の笑顔ばかりなんですよ」

何度も邪魔だと言われ、顔も見たくないと言われた。
理子は、 最後に顔を会わせた時も、使いを頼まれて、置いて行かれることを知っていたセイがどんな顔をしていたのかも覚えていない。なのに、総司の中のセイは笑顔だというのか。
胸が締め付けられるような気がして、膝の上に置いたバックを無意識に握り締める。

「そんなことないです。怒ったり、たくさん泣いたし」
「そうですねぇ。よく泣き虫の木まで迎えに行きましたもんね。でも、一番思い浮かぶのは笑顔ばっかりなんですよ」
「沖田先生は、どんなときでも泣いたりなさらなかったから……」

セイが知る限りでは、総司はいつも昼行燈と言われた笑顔がほとんどで、時折、怒った顔も見たが、笑顔だと言われれば総司の方こそ、ずっと笑顔だった気がする。

ふふっと、理子の隣から含み笑いが聞こえて、膝の上に肘をついた総司が両手を組んだ上に頭を乗せた。

「内緒ですよ。武士として生きると決めた後に、実はあるんですよね。一度目は貴女が三番隊に移動になっていなくなった後と、貴女が私を庇って怪我をした時」
「嘘、沖田先生が?泣いたんですか?」
「だから内緒です。桜の精に誓ったんですけどねぇ。大人になったら泣かずに公方さまのお役に立つんだって」

道場で戻って来たセイを見たとき、愛しさに泣けてくることを知った。
松本や斎藤に騙されて、セイが死んだと聞かされたとき、もうあの笑顔が見られないのかと思ったら、どうしようもなく泣けてきた。

「今の私は武士でもなんでもありませんからね。きれいな景色を見ていても泣けてくるし、映画を見ても泣けます」
「それ、威張るとこじゃないんじゃ……」

どこまで本気で聞いていいのか疑いそうになって、理子が口をはさむと前屈みで両手に頭を乗せたまま総司が振り返った。その顔からは笑顔が消えて、目尻から一筋の涙が流れていた。

「どういえば、うまく伝わるのかわかりませんが……。ありがとう、神谷さん。神谷清三郎として、富永セイとして、沖田総司という男と出会ってくれて。ありがとう。もう一度、私と出会ってくれて」

溢れるように、理子の中でセイの記憶と今生で生きてきた時間の全てが息を吹き返した。
鞄を握り締める理子の手にぱたぱたと涙がこぼれ落ちた。

「私こそ……」

涙が流れるままに顔をあげていた理子の頬に風が優しく触れて、髪を流したついでに涙の後に桜の花びらを残していった。頭を乗せていた手で、流れた涙を拭うと総司が手を伸ばして、理子の頬から花びらを取った。

指先に挟まれたほんのりと紅色に染まった花びらをそっと手を引いて理子の手の平の上に落とすと、もう一度、理子の頬に触れて涙の跡を拭った。
その頬に触れたまま、総司が目を伏せる。

「何度、考えても、同じ時に生きているのに、貴女と離れる自分の姿が思い浮かばないんです。貴女をずっと苦しめることになるのかも知れなくても」

ふるふると首を振って、理子は頬にあてられた総司の手の上に自分の手を重ねた。

「どんなことがあったとしても、沖田先生や副長を恨むなんて間違ってるってわかってたんです。私のためにたくさんのことをしてくださったこと、頭で はわかっていても、どうしても心が従えなかった。とうに、神谷清三郎ではなく、女子のセイだったんですね。お傍にいることが叶わなくなるなら恨んでも手に 入れたかったんです。生まれ変わった未来の沖田先生を」

―― こんなひどい、我儘な女なんです

最後まで武士として傍にいようと願ったのに、それさえできなくなったことを悔いるより恨んだ。
清三郎のように潔く生きられれば、こんな風に想い出に振り回されてしまうこともなかっただろうに。

まっすぐに伸びた理子の背に、セイの姿を見た総司は優しい顔で先程の理子と同じように首を振った。

「貴女は、神谷さんが私や土方さんを恨んで、ずっと忘れられないようにしたかったと言いましたけど、悪いのは貴女じゃない。すべては、私が……、貴女のためなんかじゃない。自分のためにしたことなんです」

いつ死んでもおかしくないとはいえ、本当だったら最後の最後まで武士として闘い続けて、最後まで近藤や土方やセイを守って戦い抜くつもりだった。
病を得て、それが叶わなくなった時、たった一つ、セイの事だけは諦めることができなかった。

連れて逝こうかと何度も思った。

病がうつるようにして、共に病んで逝くか、自らの手にかけてしまおうかと思ったことさえある。
眠るセイの枕元に座して、自分が買い与えた刀を抜いた。

総司の看病に疲れ切ったセイの寝顔に、鞘から抜きかけた刀がそれ以上抜けなかった。衰えた両腕に、セイのために軽い拵えと、樋をいれてさらに軽くしたはずの刀が、拒むようにずっしりと重く感じた。

武士として自分を慕ってくれるセイを、いっそ自分のものにしてしまおうかとも思った。その目に非難と侮蔑の色が浮かんだとしても、彼女は自分を忘れないだろう。

そんな甘美な誘惑に総司は負けそうになっていた。

 

– 続く –