桜の木の下で 5

〜はじめのつぶやき〜
桜の回想は、鮮明に思い出させます。
BGM:松 たか子 桜の雨、いつか
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「というのは?」

総司の問いかけと同じくらい曖昧な斎藤の返事に、総司がまっすぐに向き直った。自分の知らない理子の事を少しでもきちんと聞くために。

藤堂が、微妙な顔をしているのを無視して、総司は続きを促した。斎藤は、グラスをあげて藤堂に酒を要求しながら口を開いた。

「この時期はいつもあいつは不安定になるんだ。あれでも大分ましになった方だ」
「そんなこと、誰も……。理子だってそんなことは言ってなかったし」
「そうだろうな。あんたには言わんだろう」
「どういうことです」

口調は変わらないものの、すうっと鋭くなった顔に藤堂が苦笑いを浮かべて割って入った。

「まあ、落ち着いてよ。何も今の総司が悪いとかそういう話じゃないから」

『今の』

藤堂の一言がすべてを物語っているのと同じだった。

理子が小さな頃から知っていた斎藤は、理子が思い出して、苦しんで、なんとか普通の生活ができるように折り合いが付けられるようになるまでを知っていた。
藤堂は、ようやく現実と折り合いをつけながらも、歳也や総司と出会えるなら、暗い闇に引きずり込もうとそれだけを支えに生きていた頃を知っている。

「神谷が、本当はどうしたかったのかはわかんない。でも、俺が出会ったころは間違いなく二人を恨んで、それだけが神谷を支える全てだったんだよね」
「両親が存命であれば少しは違ったのだろうが、知ってのとおりだからな。俺ではあまり役には立たなかったかもしれん。あの頃は俺よりも藤堂さんや山南さんの方が支えになっていたしな」

二人がかわるがわる総司に説明するのは、高校から大学、そして総司達と出会うまでの頃の話だった。

「俺や、山南先生と出会って、神谷はいつか歳也さんや総司とも出会えるかもしれないって思ったんだと思う。その頃からかな。春になると神谷が少しだけ、うーん……、不安定になる、があってのかなぁ?」

うまい表現が見つからなくて、斎藤に向かって藤堂が話を振った。斎藤が後を引き取ると、しばらく考え込んでから、結局藤堂と同じ言い方で説明し出した。

「俺の仲間内で診断するなら何とか障害とか、たくさんの病名がつくのかもしれん。ただ、春になると不安定になるというより、春になって、温かくなると桜の話題が多くなるだろう?そしてあちこちで見かけるようになる。アイツを不安定にさせるのはまさにそれだ」

眉間にしわを刻んだ総司が、二人の顔をかわるがわる見ながらカウンターに片肘をついた。
総司と一緒にいるようになったのは、春を過ぎてからの帰国の後で、その前に理子と出会ったのも春ではなかった。

「そんなこと……知りませんでしたよ」

難しい顔で呟いた総司に、慌てて藤堂が言った。
決して、わざと黙っていたわけではないのだと。ただ、今の理子があまりに幸せそうで、斎藤も藤堂も忘れていたのだ。

風に舞う桜が理子に何を想わせ、不安定にさせるのか、本当のところは二人にさえ分からないからなおさら、総司と一緒にいて、理子が幸せならば、今年は大丈夫だろうと、思っていたのもある。

「いつも春先の、桜が満開になる辺りの半月から一カ月くらいは仕事しないんだよ。あんまり外にも出ないし、家に閉じこもったっきり。それなら桜も見なくて済むしね」
「それが一番、あいつが落ち着いていられたからな。他に方法が思いつかなかったんだ。元々歌うことが好きで、音大に行ったのもあったが、普通のサラリーマンのような仕事にはつけなかったのもあるな。毎年、桜が嫌いだから仕事に行きません、ではすまんだろう?」

黙って総司は頷いた。そんなに以前から、理子が苦しんでいたことも知らずにいた自分が情けない。
まだ決定的に時間が足りないのだから仕方がないと思っても、二人が知っている事実を自分が知らなかったことが痛かった。

「俺の式も桜が終わってからだろう?本当に、今年は大丈夫だと思ったんだ。だが、わざわざ、あいつの嫌いな時期にやることもないと恭子と決めたんだ」

すっかり泡の消えたグラスを手にすると、一息に総司はビールをあけた。つまみに手を伸ばすと、ほっとした藤堂が総司のグラスにビールを注いだ。

「不安定ってどんな風になるんですか?」

自分の情けなさをとりあえずは棚上げにして、総司は本当に心配で二人に問いかけた。困惑から心配に変わった藤堂の表情に、総司は無意識に胸ポケットの携帯に触れた。

「とにかく、一人になりたがるかな。あと、急に泣き出したり……。自分でもどうしていいか分からなくなるみたい」

藤堂の言葉に、先日の散歩といい、急に泣き出したところといい、思い当たる節がある。

「心当たりがあるなら、なるべく一人になりたがったらつかず、離れず、傍にいてやってくれ。たとえば、部屋にこもるなら他の部屋にいるとか、外を歩 いているなら後ろから離れずについて行くとかだな。本人に会ってないから何とも言えんが、とりあえずはそうしてやってくれ。あとは、本人が話をするような ら話を聞いてやってくれないか」

後半はどちらかというと、斎藤の頼みに近い。斎藤や藤堂、山南達が、数年理子の傍にいた間に、編み出した対処で、春が過ぎれば理子も元に戻るらしい。
話を聞きながら不安に駆られた総司は携帯を取り出した。時刻は、なかなかいい時間になっていて、大阪から戻るなら飛行機か新幹線だろうに、いずれにしてももうそろそろ戻ってきてもいい時間だ。

「今日、神谷は?」
「打ち合わせと、次のコンサートの下見で大阪へ」

総司の様子に、藤堂と斎藤は再び顔を見合わせた。
大阪ならまだ大丈夫だろうとは思いながらも、僅かに不安が混じる。

「あのさ、総司。もうひとつ、約束してくれるかな」
「なんです?」
「昔の、俺達とかの関係する場所には、神谷を連れて行かないでね」

頷いた斎藤が自分からも頼む、と頭を下げたのには総司の方が驚いた。総司自身は、多少感慨深いだけで、修学旅行で京都にも行ったし、無意識に通りかかってから後になってそれが板橋や千駄ヶ谷だったことに気づくこともあるくらいだ。
斎藤や藤堂も同様で、それほど場所へのこだわりは持ってはいない。まさに、感慨深い程度で、それ以上でもそれ以下でもないが、理子はそうではない。

「無理して連れて行くと、本当に倒れちゃうから。あるんだ、学生の頃に」

藤堂の真剣な顔に、気押されて総司が頷きかけた時、携帯が鳴った。理子からのメールで、今日は長引いて帰りに間に合わなかったので、泊りにして明日帰るという連絡だった。
すぐにどこに泊るのかと、返信すると、今度は携帯が直接鳴った。

藤堂がくいっと、入口の方の電話コーナーを示すと総司がカウンターから立ち上がった。

「もしもし?」
『ごめんなさい、遅くなってしまって。こちらの事務所の方がホテルを手配してくださったの。空港の傍のビジネスだけどいい景色ですよ』

いつもの理子の明るい声が聞こえてきて、今はもうホテルにチェックインしているという。ほっとした総司は少しだけわざと理子が悔しがるように言った。

「そうなんですね。一人で夜景を一人占めとはずるいな。こちらは斎藤さんと恭子さんと食事してから、斎藤さんと一緒に藤堂さんのお店で飲んでるところです。楽しかったんですよ。理子もいっしょだったらよかったですねぇ」
『えぇ~!総司さんこそずるい。私がいないとき、狙いましたね?!』

明るく響く電話の声に、総司は少しだけからかいを乗せながら、気をつけて、また明日と言って通話を切った。カウンターに戻ると、斎藤と藤堂に心配しないように言った。

「仕事で終わらなかったので、大阪に泊るそうです。事務所のはからいですって」

総司の言葉に、斎藤と藤堂もほっと肩から力を抜いた。心配した分、何かたべてよ、と言って、藤堂が奥へと再び向かうと、斎藤は出されていたキャベツをばらっと砕いて欠片を口にした。

「何にせよ、しばらくは様子を見てくれ。何かあればいつでも電話してこい」
「ええ。そうします。何と言っても斎藤さんは私と理子のホームドクターですもんね」

おどけて見せた総司も、さらりと受け流した斎藤も、若干の不安を抱えたままグラスに手を伸ばした。

 

 

 

– 続く –