桜の木の下で 6

〜はじめのつぶやき〜
人によって残る想い出がちがうんですねぇ。
BGM:松 たか子 桜の雨、いつか
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まだ起きるには早い時間に携帯の音で総司は目を覚ました。枕元の携帯を開くと自動的に通話状態になる。

「もしもし」
『俺だ。朝早くにスマン』
「斉藤さん」

日付が変わってから別れて帰って来たのは数時間前だ。それなのに、こんな時間に電話を寄越すのは珍しい。
総司はまだ、酒気の残るこめかみを空いた手の平で強く押して電話へと無理矢理意識を向けた。

「おはようございます。何かありましたか」
『ああ。寝ていたところにすまないな。今日、アンタは仕事なのか?』

こんな時間にかけてきた電話なのに、斎藤の話は何か持って回ったような話しぶりで余計に不安感を煽る。総司は妙な不安を感じて問いかけた。

「ええ、まあ。打ち合わせだけですけど……。何か?」
『……俺のところにあれの事務所から連絡がきた。むこうで具合が悪くなったらしい。迎えに来られないかと言ってるんだが、知ってのとおり俺は身動きがな』

半分眠ったままの頭に、てっぺんから冷水を浴びせられたように総司は目が覚めた。すぐにベッドから抜け出して携帯を持ったまま洗面所に向かう。

「具合が悪いって連れて戻れる状況なんですか?仕事の方は?」
『一人で戻るというのを不安に思った事務所からの連絡だから、連れて戻ることはなんとかできるだろう。無理なら連絡をくれれば病院を紹介するから連れて行ってくれ。向こうにも俺の知り合いがいる。仕事は……わからんな』
「わかりました」

また連絡するといって、一度通話を切ると総司はすぐ身支度を始めた。

―― 昨夜の電話ではそんなそぶりはまったくなかったのに

時計は始発がようやく動き出した頃で、朝一番で大阪へ飛ぶ飛行機を押さえればかなり早い時間に向こうにつけるはずだ。斉藤に教わったホテルは昨夜、理子が言っていたように空港の近くのホテルだったから、着いてからの移動はあまりないだろう。

今日の打ち合わせ相手には、詫びとスケジュール変更の依頼をメールしてすぐに家を後にした。
空港に着くと、カウンターで空きを確認して飛行機を押さえると、待ち時間の間に斉藤へメールを出した。到着予定と、再度の連絡を約束した総司が、待合の席で顔を上げた。

壁際の大きなポスターが視界に入る。
懐かしい風景に一瞬、周囲の音を忘れた。

黒谷の桜。

春の京都へと誘うポスターは、コピーも案内書きも大きなポスターの下側に小さめに配置されていて、その景色が大きく目に飛び込んできた。その瞬間、目の前で揺れる桜と、風と空気が記憶を掠める。

搭乗手続きのアナウンスが総司を過去から今へ連れ戻した。立ち上がって、並び始めたビジネスマンの後ろについた総司は、最後にちらりと後ろを振り返った。

 

 

 

隊服に身を包んだ総司とセイが黒谷へ向かって歩いていた。総司の懐には、土方から預かった文がある。定例の報告書なのだが、今日はたまたま土方の部屋で総司が暇を持て余していたために使いを頼まれた。
体よく追い払われたのかもしれないが、共にセイを連れて出た総司は、晴れた空にひどく機嫌がよかった。

「神谷さん、神谷さん。帰りに八橋をいただいて帰りませんか?」
「また!沖田先生、よろしいんですか?そんな寄り道」
「少しぐらい大丈夫ですよ。おやつがないと寂しいじゃないですか」

にこにこといくつ食べようかと勘定している総司に、セイは何を言っても無駄だと思ったのか、肩をすくめて後を着いて行った。長い階段を上がれば、本陣である。

明るい声で藩士に訪問を告げた総司が名乗ると、相手の藩士が怯んだ。しばらく待つように言い置いて奥へと急ぎ足で向かっていく藩士に、セイは軽く同情の視線を向けた。

確かに、帰り道のおやつを思い浮かべてにこにこしている相手が泣く子も黙る新撰組の一番隊組長だとは誰も思わないだろう。

「ん?どうかしましたか?」

セイの微妙な顔に気がついた総司が振り返ると、いいえ、と首を振ってセイは上がってきた階段の方へ目を向けた。
山門前にはまだ若木だが満開の桜が揺れていて、青空に映えている。

「きれいですねぇ」

思わずため息のように呟いたせいに総司が微笑んだ。振り返った総司から見ると、その桜を背にしたセイの姿が総司にとっては錦絵のように胸に焼きついた。
目で見たものをできるならポトガラにでも残しておきたくなる。

そこに藩士が急ぎ足でやってきて、総司達を取り次いだ。用を済ませると、総司とセイは参道にある茶店に向かった。

「思うんですけどね。あの八橋、うまくこうぱりっと食べられないかなぁって良く悩むんですよねぇ」
「……はぁ?」

うきうきと軽い足取りの総司が言いだしたことにセイは意味がわからずに口を開けた。総司が片手を使って八橋の形を作ると、身振りで語り始めた。

「ほら、こうなってるでしょう?これを端から食べようとすると、こう、変な形に割れちゃうじゃないですか!」
「……割れないと食べられません。沖田先生」
「いや!例えば真っ二つに割ってみるとかですね……」

延々と語り続ける総司に、呆れかえったセイはようやく話が途切れたところで口をはさんだ。

「沖田先生」
「はい?」
「沖田先生くらいです!そんなことで真剣に悩める方は!」
「そうですか?」

いやぁ、と頭を掻いた総司に誰も褒めてません!とセイが叫んだ。
茶店に入ると、総司は早速、茶と八橋を頼んだ。山積みになった八橋に満足そうな総司を見ながら、セイは黒谷を見上げた。

参道の両脇に植えられた桜の木が山門を彩っている。

「きれーい……」

柔らかな風と温かな光。
楽しげに行きかう人々。

穏やかな一日が嬉しくて、自然と口元に笑みが浮かぶ。

「久しぶりですねぇ」
「沖田先生?」
「だって、ずっと神谷さんってば、忙しい、忙しいってなかなか一緒に甘味巡りに来てくれなかったじゃないですか」

嬉しそうに頬張る総司がにこっとセイに向かって笑った。
本当に久しぶりにセイの笑顔を見られたことで自然に浮かんだ顔に、うっすらとセイが赤くなった。こんな間近で、全開に嬉しそうな総司の顔を見られるのが嬉 しくて、互いに、違うもので浮かんだ笑みだと思い込んでいたが、総司も、セイも、この空間を切り取って大事にしまっておきたいとどこかで思っていた。

次にまたいつ、こんな時間があるのかもわからないからこそ、刹那のひと時を消えない想い出にしておきたかったのだ。

 

 

 

– 続く –