ホワイト・デイ 1 ~現代拍手文

〜はじめの一言〜
ホワイトデイで拍手文に書きました。
BGM:My love
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いつもより、時間を気にして腕の時計を見ていた歳也が5時半と同時に椅子から立ち上がった。スーツ姿も、コート姿もいつもに増して、気にしているようで受付にいた女性がくすりと笑う。

「先生、今日は気合入ってますね」
「……いつも通りだが?」

しれっとした顔でコートに袖を通した歳也は、バックを手にするとその鞄の中から小さな包みを取り出して、かわいらしくセンスのいい小さなペーパーバックに入った菓子の上にそれを入れた。
人気のショップのマシュマロのような、ムースのような菓子は、一つ一つがフルーツやミントなどの味が異なるものだ。
ふと思い直して、その箱の下に小さな箱を滑り込ませる。
不安定だが、菓子の箱のほうが大きいので何とか収まりをつけた。

「よし」
「本命さんですか?」
「……何の話だ」

バックの内側に来るようにペーパーバックを手にした歳也は、からかいを無視して部屋を出た。受付の前を通りすがりに、戸締りを頼む。

「畏まりました。お電話があってももう今日は出られたとお伝えしますね」
「頼む」

いつも働きすぎくらいな歳也だが、プライベートの用事がある日は面白いくらいはっきりと切り分ける。一度、事務所を出そうになってから、立ち止まった歳也は振り返って戻った。

「いつもの礼だ」

そういって、内ポケットから猫の絵が描かれたミントチョコの小さな箱を受け付けのカウンターに置いた。

「ありがとうございます。いただきます」

目端が利きすぎず、ウィットに富んでいて、こういう時はちょうどいい距離感を持つ。歳也と事務兼受付の彼女は、いい関係性である。

お疲れ、と言って事務所を出た歳也は腕時計を見て、少しだけ足早になった。

 

バーのキッチンは何かを作るには狭くて、酒のつまみを提供するのに必要最低限しかない。
そんな狭いキッチンのカウンターを占拠していた藤堂は、綺麗な平皿の真ん中だけをあけて、その周囲にかわいらしい花模様をムースで描いた。

「できた!」
「店長~。これ、完成なんすか?」

面白がって覗き込んでいたバイトが横から指を指してくる。首元には黒の蝶タイをぶら下げて、仕込みの時間に必死な藤堂を皆が見ていた。

「完成なわけないだろ。これの真ん中をバニラとチョコを混ぜたマスカルポーネを乗せて、その周りにこれ!」

金バットをキッチン台の下から取り出すと、飴でできたドームがたくさん重なっていた。

「これをそれにふわっと覆うようにかけるんだよ」
「へー!!すげぇ。店長やる~」
「これ、特別メニューだよ。今日はホワイトデーじゃん?」

サンプルにと一つだけ中央にチョコとバニラできれいなマーブルを描いたものを盛り付けて、そっと飴のドームを上からかぶせる。
ベテランのバイトがすぐ、事務所からデジカメを持ってきて撮影すると、あとは印刷されてパウチされると今日の特別メニューとしてテーブルのメニューに差し込まれた。

「これは食べていいよ。あとムースの皿は大目に作って冷蔵庫で冷やしておいて」
「了解っす。店長のお気に入りの皿はよけておくんすよね?」
「そう!それは使わないでね。俺が使うから!」

今度は、特別な一皿のために、模様からもう一度描き始める。その顔は楽しそうで嬉しそうで、正面から聞いたわけではないが、薄々事情は皆知っている。そんな藤堂のために、バイトの一人が軽いシャンパンを冷蔵庫に入れた。

「うわ、ちょっと遅れる」

レッスンが長引いた総司は、あわてて地下鉄の駅に急いだ。

藤堂の店に。
それを言い出したのは総司自身なのに、遅刻するとは皆に責められてしまう。

バレンタインに義理とはいえ、皆、それぞれに違うチョコレートの菓子を理子は用意していた。歳也にはネクタイとコーヒーの風味が効いたものを、藤堂には酒の風味がするものを、総司にはケーキをと支度し、近藤や山南には宅配で送ることもやっていたのだ。

結局、贈り合うことになったとはいえ、ホワイトデーはホワイトデーで楽しませてやりたいとデートに誘った総司に、理子がやんわりと断ってきたのだ。

「一緒にいられるだけで十分ですから。そんなにたくさんしなくても……」

総司としては、無理をしているつもりはなくて、ただやりたいと思うことを片端からやるだけの事なのだが、理子には無理をしているように見えたらしい。

そこで、ホワイトデーのお返しをすると総司に断りを入れてきた歳也と藤堂と一緒に飲むことを提案したのだ。

「まあ、皆さん元気だってことで……」

本当は、心中穏やかではないのだが、自分が知らないよりはまだましである。それに、総司も二人と飲む機会は大分減っていたので、ちょうどよかったと言える。

慌てて駅に向かう総司が用意したのは小さなティディベアである。小さいといってもれっきとした耳にボタンのついているシュタイフである。
前に、理子がファンからのプレゼントで大分、ガッツの入ったうさぎをもらっていて、本当はこの熊のほうがほしいと言っていたのを覚えていたのだ。

鞄に入ったぬいぐるみのラッピングをつぶさないように、夕方のラッシュの中を総司は急いだ。

 

出先からまだ時間があると思った理子は、都内のある場所にいた。
後一か月もすれば、この辺りは桜で一杯になって、花見の客でにぎわうだろう。

―― 今年は、ちゃんと二人で桜を見に行きます

ゆっくりと公園を歩きながら、今は傍によることもできない墓石に向かって心の中で手を合わせた。

―― 今は、先生はそこにはいらっしゃいませんよね。私の傍にいてくださいますから

それが形骸化したものであるという認識はあっても、手を合わせるという意識は別物で。

今年は、京都の桜を見に行こうと総司と話していた。あのころの木が残っているはずはないけれど、ようやく一緒に行こうという話ができるようになったのだ。

『二人で行くのはなんだろう』

そういって、今年はわざわざ休みを取って斉藤も同行すると言い出していた。恭子を連れてなかなか旅行に行く機会を作るのに苦労するので、ちょうどいいということらしい。
それを聞いた歳也は、近藤を誘い、藤堂は山南一家を誘った。

結果として大人数の旅行になってしまいそうだったが、まるで修学旅行のようで楽しみでもあった。

「いけない。そろそろいかなきゃ」

理子は、どこかでなっている夕焼け小焼けのメロディーを聞いて、駅に向かって歩き出した。

 

– 続く –

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