ひとすじ 8

〜はじめのつぶやき〜
あぅあぅ。かいたの消えた~。

BGM:B’z    Don’t wanna lie
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慌てて斎藤の後を追いかければそこに何かがあると公言しているようなものだから、新之助は追いかけることもできなかった。

手が震える。

―― 父上、父上!!新之助は誠に父上の仇を見つけることができたのでしょうか?!父上の仇を討つことができるでしょうか。……こんな不甲斐ない私でも……

新之助は自分の手をもう片方の手でぎゅっと力いっぱい掴んだ。

「震えるな」

自分に言い聞かせるように呟くと、すいっと立ち上がって、幹部棟の小部屋へと着替えに戻っていった。

ざばざばと井戸端で汗を流している永倉の傍に腕を組んだ総司が立っている。とうに気がついていたくせに、永倉はさも今気がつきましたとばかりに大げさに驚いて見せた。

「なんだよ。神谷にフラれたのか?」
「神谷さんは居続けですよ。もう少ししたら迎えにいってきます。それより永倉さん、いいんですか?」

総司からの問いかけを見越していたのだろう。わざと大きく水音を立てて桶から水を浴びるとぶるっと水を払った。
手拭よりも目の前にぶら下がっていた稽古着の袖口で顔を拭う。

「なんのことだかわからんねぇ」
「真剣なんでしょ?」
「さあね。ただあれだ。総司。余計な口出しも報告も無用ってこった」

宜しく頼むぜ、と人差し指を立てた永倉に、ふう、とため息をついて総司は肩をすくめた。
そうは言われても新之助が何を思って真剣での立会いを求めてきたのかは総司にもわからない。腹に何かを抱えていそうな新之助だけに彼らとて目を光らせていたはずだ。

幹部棟へ一度足を向けかけたが総司はぴたりと足を止めて踵を返した。
永倉がああいうなら任せてみるのも一興だろう。

思いなおしてセイを迎えに屯所を後にした。
思ったより早い時間に屯所を出たので、総司は思い立って途中で菓子舗に立ち寄った。葛饅頭を自分のために五つ、お里達の手土産に五つ頼むと、ゆったりと歩いていく。

途中の小間物屋の店先でたまたま白い根付を目にした。吸い寄せられるように近づいた総司に店の女がするりと近づいてくる。白い指先が総司の視線の先にあった白い根付を取り上げた。

「小さな兎になってますんえ。ほら、ええ匂いしますやろ」
「ああ、本当ですね。この根付から?」
「えぇ。中は小さな土鈴の玉がはいっとるんどす。それに香油をしみこまして、こう……」

女が指先を振るうところころと控えめな音がして、同時にふわりとよい香りがする。
その可愛らしさに、セイを思い浮かべた総司はすぐにそれを一つ買い求めた。

「おおきに。またおこしやす」

店の者の送る声を背にして、お里の家に向かった総司は玄関先で少し早く八木家から戻っていた正坊に出会った。
総司には特に敵対心もなく、セイを連れて帰ってくれる相手でも在り、時折、菓子や小遣いをくれる相手だけに正坊も彼なりには歓迎の意志を見せた。

「沖田はんか。まだ兄ちゃん支度すんでへんで」
「やあ、正坊。そうなのかぃ?じゃあ、待たせてもらってもいいかな?」
「それ、饅頭?」

総司の抱える菓子箱に反応した正坊に総司が頷くと、ほならええよ、と答えが帰ってくる。
くすっと笑った総司が正坊の頭に手を置いて、ありがとうといった。

玄関先で大きな背中を丸めるようにして声をかけると慌しくお里が表れた。

「まあ、沖田先生。まだ清三郎はんはお支度がちょっと……」
「大丈夫ですよ。まだ時間も早いですし、ゆっくりでかまいません。これ」

そういっていつものように菓子折りをお里に渡すと心得たとばかりにお里が微笑んだ。

「どうぞおあがりやして。お茶をさしあげまひょ」

誘われて総司が部屋に上がると、まだ袴を着けていないセイが顔を覗かせた。その顔はひどく青白くて、寝ていたのかまだ、目も腫れぼったい。

「沖田先生、すみません。すぐに支度しますから」
「いいですよ、神谷さん。貴女もこちらにこれるなら一緒にお饅頭でも食べてゆっくりしましょう。門限までに戻ればいいんですから」

そういうと、総司は自分の隣をとんとん、と手で軽く叩いた。はぁ、とどんよりした顔で部屋に入ってきたセイは総司から少し離れたところに座った。
それが気に入らなかったのか、総司が座布団ごとセイの隣に移動してきて背中を向けた。

「ちょっ、沖田先生?!」
「寄りかかってもいいですよ。私は外を眺めているだけですから」

初めに総司が示した場所は背後が壁だったが今セイが座っているところはそうではない。心遣いが嬉しくてセイは小さくすみません、と言って形だけでも軽く寄りかかった。

「そうだ。神谷さん、これ」

懐から小さな根付を取り出した総司が半分だけ身を捻ってセイの手に握らせた。手の中にころりと小さな感触がある。開いてみると、白い兎がちょうどセイの方へ向いていた。

「可愛い。これ兎ですね。目が赤い」
「そうなんですよ。そこが泣き虫の人そっくりなんですよ。それに、中の玉が土鈴らしくて匂い袋のように香油をしみこませるんだそうです」

確かにこれならいつも隠し持つ匂い袋ではなくても、根付なら男が持っていてよい香りがしても気にならない。
手の上でころころと鳴る根付にセイは嬉しそうに目を細めた。

「ありがとうございます、沖田先生。でも泣き虫の人は余計ですよ?」

先程よりも少しだけ体を斜めにしてぴったりと寄り添うように総司の背にもたれかかったセイに総司がにっこりと笑う。
お茶を入れて表れたお里がその姿をみて微笑ましそうに口元に笑みを浮かべた。
傍からみればもうすっかりセイを女子扱いしているのに、本人達だけはまったくその自覚がないのが阿呆らしくなる。

お茶と、総司が買ってきた饅頭を食べながらあれこれと市中の話などであっという間に時間は過ぎた。早めに夕餉の支度をするというので、お里の手料理を味わってから屯所に戻ることにした。

セイを副長室まで送り届けた総司は、ちらりと土方の顔を見たが、いつもどおりの顔に総司も軽く挨拶をしただけで何も言わなかった。新之助の真剣での永倉との立会いは当然耳に入っているはずだがそこで反応を見せないということは、何か考えがあるのだろう。
副長室から総司が去ると、その日はセイも早めに休んでしまい、事態を知ったのは翌朝も過ぎてからだった。

 

「永倉先生と真剣で立ち会うんですか?!」
「立ち会うだなんておこがましいです。私の腕ではそこまでに至っておりませんから」
「でも笠井さん……」

セイとて、全体稽古のときに見ている限り、新之助の腕が年齢にしてはよい方だとしてもずば抜けているわけではないことは十分見知っている。
それが真剣で立ち会うとなれば穏やかではない。

「永倉先生が指南してくださるというので、これから参ります」

不安に思ったところで今更止めるにも止められない。しかし、新之助の姿がいつもの着物なので、セイはきっとこれが永倉を討つためのことではないと自分に言い聞かせた。
不逞浪士でもないものを永倉が手にかけることなど考えられないし、そうでなければ新之助の父親が不逞者だったことになる。
もし仮にそうであったなら、もちろん仇など討たないだろう、という思いもあった。

刀を手にした新之助は懐に真っ白い鉢巻きを入れていた。着物を白装束で揃えればどうみても疑念を呼ぶ。だからこそ稽古着ではなく、いつもの着物姿に襷がけ、股立ちを上げた格好にしたのだ。
おろおろと止めるに止められないセイを置いて、新之助は道場へと向かった。

 

– 続く –