再会~喜怒哀「楽」 10
〜はじめのつぶやき〜
BGM:Superfly 輝く月のように
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セイが夢の中を漂うより少し前。
手書きの教材を整えた宗次郎は、明日の支度を整えた。寝る前に水でもなんでもいい。一服したくて階下に降りた先で、暗闇の中を小さな灯りが動いている。
「?」
「沖田君?」
声を聞けば、どうやらそこにいるのは藤堂らしい。今更気づくのも遅いが、小さな灯りは煙草の火のようだ。
「藤堂さん。どうしたんですか?灯りもつけないで?」
言外に灯りをつけていいかと聞いた宗次郎が手を伸ばすよりも先に、ぱちんと音がして部屋が明るくなる。少しだけ目を細めると、ちらりと藤堂の顔を見てどうやら考え事をしていたらしいと察すると、台所に足を向けた。
コップに水を汲んでから藤堂の傍に近づく。
「座ってもいいですか?」
「もちろん。随分遅くまで起きてるんだね」
「藤堂さんこそ。もっと早くに休んでいるのかと思ってました」
くたくたになるまで日中働いて、夕食後に皆と騒いで、部屋に上がればばったりと倒れ込む様に眠る日が多い。
それでもたまには夜遅くまで起きている日もある。
「そりゃ僕だって起きてる時もあるよ。たまにはね」
ふーっと長く息を吐くと、白い煙が遠くまで流れていく。小さな灰皿で火を消せば部屋の中に名残の匂いだけが残る。
「ほんとはさ。夢を見たんだよね」
「夢?ですか」
夢と言われれば、自分にも同じような覚えがある。夢で跳ね起きて、それから寝付けなくなったのだろう。
藤堂は頭の後ろで手を組むと、椅子に寄り掛かる様にして、天井を眺める。
「沖田君はそういう夢見たことある?」
「まあ、ないとは言いませんよ」
「そっか。俺のはさ……」
言いかけた藤堂がははっと笑うと、やっぱりいいや、といった。
「言いかけたなら言ってくださいよ。誓いましょうか?誰にもいいませんって」
「そんなんじゃないよ。ただ、笑われるんじゃないかってね」
笑うわけがない。藤堂は明るくて、人好きがして、いつもさりげなく気を配ってくれる。そんな藤堂の真面目さを宗次郎はよく思っていた。
「笑うなんてありませんよ。そうだな。夢の中で玄馬先生と日野先生と三人で女装してましたと言われたら、笑うかもしれませんけどね?」
宗次郎のたとえ話にぶうっと藤堂が吹き出した。それ、俺だったら吐くよ、というと、互いにひとしきり笑いあう。
「俺の夢はさ。きっと、きっとってだけで確かじゃないんだけど。俺が、武士なわけ。こう、腰に刀をさしてさ、すごい悲しい気持ちで走ってんの」
夢の中で、なんでこんなに走っているんだろう、と思うほど、必死に藤堂は走っていた。胸の内には、嘘だ、と何かを信じたい気持ちと、やはり、という気持ち、そして、どうしてこんなことになったんだという怒りでいっぱいだった。
どうして、なぜ、と何度も繰り返す自分に、もういいよと同じように何度も繰り返す。
「すごぉく、悔しいんだろうなって思うんだ。いっぱい、理不尽なことがあって、それでも自分の信じるものを守りたくても、守れなくて、目の前にあったはずなのにどんどん消えていくんだよね。大事な人も時間も、場所も」
優しい顔をした藤堂が何かを懐かしむような目で遠くを見つめる。
それが嘘か誠かはこの際どうでもよかった。藤堂がその夢を見ているのは本当なのだ。
「胸に痛い夢ですね」
夢だから、どうしようもない。どうにかしたくても、もう通り過ぎてしまった過去なら変えたくても変えようがないから。
「だからさ、俺、医者になったんだ。馬鹿で、何度も危なかったんだけど。刀とか振り回してた自分より、守れるようになりたくてさ」
「わかります……」
その口調にただ同意するだけではない何かを感じたらしい。少し驚いたように目を見開いた藤堂は、探る様に宗次郎の顔を覗き込んだ。
「もしかして、沖田君もそういう夢みるの?」
「……ええ。胸が痛くなるような夢を……。だから、同じ思いは繰り返したくないと思うんです」
―― 思うのに、どうして……
どうして心は揺らぐのだろう。思いがけない温かさと、お日様のような笑顔に凍っていた心が溶かされていくようだ。
「セイちゃん、いい子だろ」
「どうしたんです?急に」
「買い物、行ってきただろ?本当は、ずっと気にしてたんだよ。家と学校の往復で沖田君は時々、何もかも諦めたような顔するからさ」
「そんな顔……してましたか?」
自覚がないだけに、まさかと思ったが、苦笑いを浮かべた藤堂が指をさした。
「その顔。まさかっておもってるんだろうけどさ。結構、そんな顔してるよ。一線ひいて、楽しそうにしてにこにこしてるけど、絶対かかわらないだろ?」
関わるといっても、この家ではセイ以外は皆診療所の人間だ。宗次郎だけが、医者ではなく、教師である。そこは彼らに必要以上に踏み込まないのが礼儀だと思っていた。
「そう見えていたならすみません。決してそんなつもりは……」
「なかったけど、かかわる気もなかった。だろ?」
それ以上何を言っても言い訳にしか受け取ってもらえないだろうと思って、曖昧に頷く。決して関わりたくないわけではなかったのだが、そんな風に見えていただろうか。
「ずーっと気にしてたよ。どうしてだろうって。別に俺たちは構わなかったけど、セイちゃんは、沖田君が寂しいんじゃないかってさ」
「寂しいなんてそんなわけ……」
「別に俺達は構わないよ。でもあの子はそういうことに敏感だから」
―― それは、神谷さんが寂しいからじゃないでしょうか
自分が寂しいからこそ、人の寂しさに敏感で、少しでも助けたいと思ってしまうのではないだろうか。そう思うと、セイの優しさが少し切ない気がする。
「沖田君の夢は、そうやって誰にも関わらないようにしてきたかもしれないけど、少しでいいからさ。あの子のことは面倒見てあげてよ」
ね、先生、と言われると面映ゆい。手を伸ばして、一息に水を飲み下すと、コップを返すために立ち上がった。
「心します。お先に」
「うん。お休み」
「おやすみなさい。お邪魔しました」
ひらりと片手をあげた藤堂に見送られて、コップを置いた宗次郎は自分の部屋へと上がっていった。
– 続く –