再会~喜怒哀「楽」 8

〜はじめのつぶやき〜

BGM:Superfly 輝く月のように
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町のどの店も神谷診療所のことは知っている者たちが多くて、宗次郎はさすがに、と思った。

猫の路地を曲がって大きな通りに出て、洋品店の一つに入ると、セイは店の主人からお嬢さん、こんにちは、と声をかけられた。

「すみません、あの、こちらの沖田先生に、シャツを見立てていただきたいんですが」

いいのに、という宗次郎を引きずってきたセイは、玄馬にもちゃんと言ってきたといって、店の主人と話をしていた。
いくつか白いシャツを並べられて、見比べる。襟の形や、袖口の動きやすさなど、試したうちで、気に入った二枚を買い求めることにした。

「じゃあ、これと、これを」
「はい。かしこまりました」
「お代の方は」

頷いた主人が、セイを振り返ってうなずき合う。

「神谷先生から頂戴してますから」
「え?」
「父から言われてます。沖田先生に、就職祝いだって」

驚く宗次郎に、セイは、いつの間に用意したのか細長い包みを差し出した。

「これは私からです。生徒からじゃ、受け取れないかもしれませんけど……。これは、神谷診療所の娘からです。遅くなりましたけど、歓迎の気持ちです」

その後ろで笑いながら主人がシャツを包んでいた。手に受け取ってしまったがどうしていいかわからなくなる。

「そりゃあ、先生としては受け取れないけど、神谷先生のお嬢さんからじゃ受け取らないわけにはいきませんな」

はいどうぞ、と差し出された箱に宗次郎の手から細長い包みを奪って、ひとまとめにする。紙袋に納められたそれを差し出されると、ひくに引けなくなって苦笑いを浮かべた。

「困ったな……。そんなつもりじゃなかったんですが、ここはご厚意に甘えることにします」
「そうなさってください。神谷先生にはいつもお世話になってるんです。日野先生や藤堂先生にも。沖田先生もぜひ、当店をご贔屓に」
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」

丁寧に頭を下げた宗次郎と共に、店を出ると、入り口まで主人が見送ってくれた。

下げた紙袋を軽く持ち上げると、もう一度セイに向かって頭を下げる。

「ありがとうございます。帰ったら玄馬先生にもお礼をしなきゃいけませんね」
「お気になさらないでください。先生もたまには外に出るといいですよ」

宗次郎が学校との往復だけに日々を費やしていることを気にして、セイなりに精一杯の心配りで宗次郎を連れ出してくれたのだろう。
そう思うだけで今まで感じたことがない、胸の内が温かくなる。

「ありがとう」

つい、手を伸ばしかけて、その手を掴まれた。

「やめてください。沖田先生の、その頭を撫でるの!」
「あ、ごめんなさい。嫌でした?」
「だって、子供扱いされてるみたいで……」

自分はもう大人なのだといいたげな顔でむくれている姿がますます可愛くて、セイが離した手をその頭に置いてくしゃっと前髪をかき上げるように撫でた。

「沖田先生!」
「はいはい。拗ねない、拗ねない。可愛いことに変わりないですよ」
「またそうやって子ども扱いする~!」

ははっと笑った宗次郎は、一瞬、あの夢が頭をよぎって笑顔が凍り付く。こんな風に誰かに心を開いたら、あの夢のように自分が苦しむかもしれない。

「沖田先生!」
「あ、はい」
「あそこのお店でお茶をいただいて帰りませんか?生菓子がすごくおいしいんです!」

いつの間にか少しだけ先を歩いていたセイが振り返って宗次郎を呼ぶ。その笑顔に宗次郎は目を細めた。
夢の中で泣き叫んでいた自分は、きっとこんな笑顔が嬉しくて、大事で、無くしたくなった。何度も何度も夢に見る。悲しくて、悔しくて、辛くて、どうして傍にいないのかと腹が立ちさえした。

―― 私は……

胸の内で、自分が寂しがっていたのは、この笑顔が欲しかったのか。

「沖田先生?」

不思議そうな顔で宗次郎を見ているセイの向こうに、桜の花びらが舞う中でおさげ姿のセイがこちらを向いている。

「神谷さん」
「はい?」
「神谷さん」
「だからなんです?ってば」

どきん、と大きく心臓が鳴ってまさかと否定する宗次郎を動揺させた。

「いえ、なんでも。えと、なんでしたっけ」
「だから、お茶をいただいてから帰りませんかって……」
「ああ!はい、そうですね。じゃあ、今度は私が御馳走しますよ」

曖昧に視線を逸らした宗次郎は、急いでセイに追いつくと、先に立ってセイが言う店に入る。なんだか急に意識してしまって、セイの顔がまともに見られなくなった。

「沖田先生!待ってください」
「あ、ああ。すみません。おいしいんですよね。そう聞いたらつい……」
「沖田先生、せっかちですねぇ」

今度はセイの方がくすくすと笑いだす。

宗次郎は、その間もセイの顔をまともに見ることができなくて、視線を彷徨わせる。この、思いがけずに惹かれてしまった想いをセイに気づかれてはいけない。こんないくつも下の少女に心を許したなど、不審に思われるのが関の山だ。

まして、恩人の玄馬の娘である。

―― 私みたいなものが想いをかけていい相手じゃない

「沖田先生は何をいただきますか?私、ここでお抹茶に生菓子をいただくのが大好きなんです。こうして、通りを歩く人を見ながら大きなこの木の机の端に座って、静かに見ているのが」

セイの目が猫の目のようにくるりと動いて、表をじっと見つめる。ガラスのように透明に見える瞳が不思議なものも見ているような気がした。

意識してしまったからだろうか。胸の内で、何かがむくりと目を覚ます。必ず、この笑顔にもう一度会うのだと誓った自分が、この目に映りたいと思う。

並んで座っていた宗次郎は、無意識にセイの頬に手を伸ばした。

 

– 続く –