霧に浮かぶ影 20

〜はじめのひとこと〜
こちらの黒い制服は恰好いいと思いますよ。

BGM:帝国の逆襲のテーマ
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

「その子、騙してたの」

腰から下は崩さずに上半身だけどひねった姿勢で、構えを崩さない藤堂が、ちらりと男の後ろにくっついて離れないしのぶを見る。もし、この男が騙してしのぶに言うことを聞かせていたならますます許しがたい。
だが、二人の様子を見ているとそうは思えなかった。

「違うよ!違うの!俺が、手伝うって言ったんだ。お仲間の中での立場とかもあるし、俺、少しでも役に立ちたくて!」
「うるさい!余計なことを言うな」
「いいんだよ!俺が勝手に手伝ったんだ。俺のせいにしていいんだよ!」

しのぶはそれまで男の背に隠れるようにしていたにもかかわらず、藤堂の前に飛び出した。今にも泣き出しそうなセイに似た、ひどい顔をしている。

「藤堂さん。俺……、ひどいことしたのはわかってんだ。でも、どうしても……、どうしてもこの人助けたかったんだ!」
「うん。わかった。でも、駄目なものは駄目なんだよね」

―― 大人しく捕まってくれる?

あらかた周囲は取り押さえられて、手が空いた隊士達がその周りを取り囲んでいる。もし手をとって逃げたとしても、とても逃げおおせはしないだろう。藤堂も、しのぶに無用な怪我はさせたくなかった。

「くそっ!!」

しのぶに庇われた男は覆面をかなぐり捨てると、しのぶを藤堂に向かって思い切り突き飛ばした。たたらを踏んで、転びそうになったしのぶを受け止めた藤堂の前で、男はざざっと両膝をついた。

「わっ!」
「もはやこれまで!」

突き飛ばされたしのぶが後ろを振り返ると、男はあっという間に着物の前を押し開いて、袖口でぐるぐる巻きにした刀をその腹に突きたてた。

「いやぁぁぁ!!」

しのぶが甲高い悲鳴を上げて駆け寄ろうとするのを、藤堂は力づくで止めた。すぐに八番隊の隊士が駆け寄ってきて、しのぶを押さえこむ。

ぐ、ぐぐっ、と全身から脂汗を吹き出して、男がじりじりと腹を切った。作法通りなどとても言えないが、真横に押し切った後、ぐっと引き上げた刀がその手から落ちて、横向きに倒れ込む。

「すま……な」
「やぁぁぁ!やっ、なんでぇぇぇ?!」

両目を見開いてぼろぼろと泣きながら駆け寄ろうとするしのぶを、止めていた隊士の肩にセイが手を置いた。

―― 待って。置いていかないで

セイには、しのぶの声にならない叫びが聞こえていた。
しのぶを押さえていた隊士が、首を振ったセイをみて、顔を見合わせた後、両脇にいたそれぞれが手を離す。解き放たれたしのぶは男に駆け寄った。

「し……のぶ」
「なんで?いやや……。いややぁぁあ!!」

男にすがりついたしのぶは喉も切れんばかりに泣き叫んだ。微かに息の残った男はしのぶに構わずに、藤堂に向かって片手の指を動かす。

「これは……、俺が、だま……ていうことを……かせた。しの……は、踊ら、されてただけ……」

最後の力を振り絞って、男はそこまで言って事切れた。人の生き死にに立ち会うことの多い隊にいて、それでも見ていた者達にはひどく辛い現実を一つまた重ねていく。

男の体に泣きすがったしのぶを、隊士達がゆっくりと抱き起して血まみれになったその手を、手拭いで拭いてやりながら連れて行った。

「……なんでだよ」

ぽつりとひどく不愉快なものをみたという風情で呟くと、藤堂はやりきれない思いとともに刀を一振りして鞘に納めると、くるっと背を向けて歩き出した。
当然と言えば当然のことだが、これだけ日の高いうちの派手な斬り合いに、遠巻きに多くの人々が恐ろしいものを見た、という顔でひそひそと囁き合っている。その人垣を睨みつけるようにして、藤堂は伍長に後を任せて一足先に屯所に戻っていった。

「藤堂先生……」
「さ。皆さん、後始末、よろしくお願いします」

藤堂の後姿をじっと見ていたセイの傍で、総司が隊士達を取りまとめて捕縛したものたちと、はむかった者達の後を始末する。しのぶがとりすがっていた男も、戸板に乗せられて運ばれていった。

あらかた現場の片づけが済むと、残っていた隊士達に労いの言葉をかけながら、総司はセイを伴って屯所に向かった。たくさんではないが、セイは着物のあちこちに、黒い小さな染みが転々と飛んでいた。

現場を離れる前にセイは近くの井戸で手拭いを濡らさせてもらい、総司の頬に飛んだ血を拭き清めてある。

「神谷さん」
「……先生も、副長もわかってらしたんですか?」

しょんぼりと肩を落として歩くセイは、自分もまさか、もしや、と思っていたのに、止めることもできなかった自分自身を責めていた。

「ええ、まあ」
「そうですか。……そうですよね」

自分がもしやと思うくらいなのだから、土方や総司にはもっとたくさんの事が見えていたに違いない。そう思うとやり切れなくなる。

「余計なことはおやめなさいよ」
「えっ?!」

驚いたセイにまっすぐ前を見据えて歩く総司は、先ほどセイが隠していたものをちゃんと見ている。左手を伸ばすと、セイの右手を強く引いた。

「先ほど、あの人の髪を戸板に乗せるときに切り取っていたでしょう。余計なことはおやめなさい」
「だって!しのぶさんは、あんなに……。せめて、形見があったらっ!」
「それを余計なことだと言ってるんです」

立ち止まったセイにつられて立ち止まった総司は、深いため息をつくと、ぐっとセイの懐に手を差し伸べて、そこから懐紙に挟まれた一房の髪を取り出した。慌ててセイが手を伸ばすよりも先に、総司は懐紙の端をつまんではらりと開く。
はらはらと零れ落ちた髪が、あっという間に風にさらわれた。

「沖田先生!!」
「こんなもの、いったいなんになるというのです」
「救いになります!!せめて、しのぶさんが立ち直るまでの慰めになったのに!!」

ぱん。

乾いた音がして、セイは反射的に頬を押さえた。
総司が軽くセイの頬を張ったのだ。

「神谷清三郎。それがほんとうにしのぶさんのためになりますか。あの子は、これから不逞浪士に加担した者として、厳しい取調べと、仕置きが待ってるんですよ」
「でも、でも!騙されて言うことを聞かされてたって、あの人が!」
「頭を冷やしなさい。神谷清三郎。それまでは戻らなくて結構です」

ぴしゃりとそういうと、総司はくるりと踵を返してセイを置いたまま歩き出した。はっと、傷ついた顔をしたセイは、とぼとぼと総司の後について屯所に戻るだけは戻ったが、着替えを済ませると隊部屋を出て行った。

 

– 続く –