風のように 花のように 17

〜はじめのつぶやき〜
初めに。そして終わりに。
BGM:清木場俊介  愛してる
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「まあ、あれよ。がんばって治して彼女のところに戻ってあげて」
「もちろん」

―― もちろんそうだ

これから先の未来をすべて彼女のためにと誓ったのだから。
すべての贖罪とすべての敬意と、すべての思慕が向かう相手なのだから。

すべての薬を飲み終わったところで今日の提出分を差し出す。
いずれにしても1か月はここに拘束される。初めの培養が完了するのに1か月かかるからだ。提出したものから菌の排出が止まれば退院できる。
ほかには時折微熱が続くくらいですることといえば、持ち込んだノートPCであちこちからくるメールに返事をしたり、サイトをめぐるくらいしかない。これでも昔よりはましなのだろう。

あの頃は、何もわからないまま、何もできないまま、ただ病み衰えていく体を抱えて無為に過ごすことしかできなかった。

「今は未来のために使える時間ってことだと思えばちょうどいいですね」

独り言をつぶやいて、キーを叩く。
考えをまとめて、調べているうちに、自然と笑みが浮かぶ。

―― 想うだけで幸せになれる相手がいるなんて

この幸福感をかつての自分にも伝えてやりたいと思う。よかったなとどこかでもう一人の総司が微笑んでいる気がした。

 

 

1か月半が過ぎて、結核の確定もした。毎日、痰を提出して培養し、その結果を待つ。
菌の数なのか、プラスいくつ、マイナスいくつというのがあるらしい。それが何回かマイナスになれば退院のOKが出る。

出される薬は毎度、看護婦の前で飲んだことまでチェックされる。
面会時間になっても、総司のところには未だに誰も来ていなかった。

斉藤は、事前に見舞いにはいけないと言われている。藤堂にも歳也にも客商売で普通よりも人に接する機会が多いのだから皆、見舞いになど来なくていいと言ってある。

昼過ぎの面会時間はざわざわと訪問客が増えて賑やかになる。
いつものように、誰がくるわけでもないと、気楽にPCに向かっていた総司は人影を感じて顔を上げた。

「何してるのよ、総ちゃん」
「母さん。見舞いには来なくていいって言ったじゃないですか」
「馬鹿ねぇ。息子が入院してて、来なくていいって言われたからって来ないような親、どこにいますか」

手にしてきた紙バックの中からは着替えがいくつかと、果物が入っていた。自分で洗濯などはしていたが、ベッド脇のキャビネットに新しい着替えを重ねられて、困惑顔ながら礼を言う。

「ありがとう。でも本当に大丈夫ですから」
「あのねぇ」

ため息をついて美津はベッドの脇に立ったまま腰に手を当てた。気にするポイントが違うというのだ。

「総ちゃんが大丈夫かどうかじゃないの。全く、だからお父さんが心配するのよ?総ちゃんは家族にも一歩も二歩も引いてるような子だったから、神谷さんと一緒になるってこと、わかってないんじゃないかって」
「父さんが?」
「そうよ。夫婦になるっていうことは、ただ一緒にいたいからじゃすまないのよ。きれいごとじゃすまないこともたくさんあるし、それを二人で乗り越えていく のよ?こんな入院している時に、心配させるからとか何とか言って、理子さんに来るなっていうようじゃ本当に、母さんも心配よ」
「理子に会ったんですか?!」
「当たり前でしょ。おうちに電話して寄ってきましたよ。着替えだって理子さんが用意してくれてたのよ。私はあなたのお家のなかなんてわかりませんからね」
「元気に、してましたか?」

追い詰められたような声に美津が驚く。それと同時に、心配をかけたくなかったというのは本当だろうが、それ以上に総司の方が不安だったのだとわかった。
理子にうつさないか、過去を思い出して離れて行ってしまうのではないか。
理子と同様に、総司も一番それを恐れていた。

だから歳也に預け、そして一切面会もしないといった。
それでも待っていてくれるはずと思いながらも、不安で。

事情を知りはしない美津にも、総司がおびえていることはわかった。

「総ちゃん、あなた、理子さんが病気になったから離れていくとでも思ってるの?」
「そんなことは……ないですよ」
「思ってるのね?しょうがない子ねぇ……」

不器用なんだから、と最後に付け加えた美津は苦笑いを浮かべた。

「理子さんが言ってたわよ。約束があるからお見舞いにはいかずにあなたが戻ってくるのを待ってるんですって。そう。それから沖田さんという方が、心配しすぎて胃潰瘍になったから、退院したら一発殴らせろ、ですってよ。大変ね、あなたも」
「約束……?」
「覚えてないの?」
「いや、確かにいくつか約束事はしてるんですけど、どれかなと思って」
「いやあねぇ。そんなこと言ってると理子さんに振られちゃうわよ?」

美津の何気ない一言は今の総司にはぐっさりと突き刺さった。う、と胸のあたりを押さえて、恨めし気な顔をしたが、母親というものは強くて敵う相手ではないらしい。
顔を見たら安心したわ、と言って持ってきた紙袋をたたむと、それもベッド脇のキャビネにしまった。

「どのくらいかかりそうなの?」
「順調に減ってきてはいるんですけどね。なにせ、培養に1か月かかるので、今日よくなっていても結果が分かるのは1か月先なんですよ」
「あら。じゃあ、クリスマスまでに帰れるのかしら?」
「こればっかりは……」
「じゃあ、お正月も難しいかしら」
「母さん」

こればかりは総司に聞かれてもどうにかできることとできないことがある。時間を進めることなどはできない。
総司と理子を呼んでと思っていた美津は残念そうにしていたが、仕方がない。

「わかったわ。まあ、ひとまず顔を見たから安心したわ」
「心配かけてすみませんね」
「いう相手が違うでしょ」

美津はばしっと総司の頭をひっぱたいた。

「ちゃんと理子さんに電話しなさいよ」

言うだけ言うと、さっさと美津は引き揚げて行った。
総司はため息をついて目の前のPCを眺めながらも考えに落ちていく。

確かに不安だった。
恨まれて、それでも一緒にいると言ってくれた。
だが、今度こそ。もう辛い思い出に浸りたくはないと、離れて行ってしまうのではないかと。

すべては、この病気に打ち勝った後に。

 

– 続く –