風のように 花のように 6

〜はじめのつぶやき〜
結婚するってどういうことなんでしょうね。
BGM:Metis  ずっとそばに
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「一橋先生、神谷先生と結婚するって本当?!」
「普通は結婚する相手と婚約ってするものでしょう?」
「きゃー!!嘘~」

当然だが圧倒的に女子が多い総司のクラスで、レッスンが終わって部屋を出ようとする総司に幾人かの女子が傍に寄って来た。彼女達は、賑やかに噂の真相について話しかけ始めた。
もともと隠すつもりなど一切ない総司は、初めから理子と付き合っていて婚約しているのだと宣言している。

それでも人気が高くて、メールや手紙、プレゼントなど途切れずに続いている。メールには本人に直接返事を、手紙は受け取らず、プレゼントは極力遠慮する。
受け取る場合は、理子にそのままスライドする徹底ぶりで今まできていた。
逆もまたしかりで、理子の授業は男女比が半々。どちらかといえば、スタッフ陣の同世代からも人気が高い。

「確かに神谷先生きれいだし、かわいいけど!」

どこか悔しさを滲ませた女子達に笑みを浮かべると、こほっと喉の奥に絡まった痰をきるように口元に手を当てて一つ咳をする。思ったよりも風邪の名残が後を引いていて、たまに喉がいがらっぽいことが増えた。
彼女達にもうつさないように少し離れてからポケットから取り出したマスクをつけた。

「先生、まだ風邪?」
「うん。時々ね、喉が気になって。みんなに移したら大変ですからね」
「えー。先生の風邪なら移されたい~!」
「そんなことをいうもんじゃありませんよ」

いがらっぽい喉に少しだけ苛立ちながら、荷物を持ってスタッフルームへ戻る。鞄から喉飴を取り出して、マスクの間から口に放り込んだ。
手帳を開くと、週末に回るはずの式場の候補がいくつかメモしてある。互いに調べていくつかよさげな場所を書き出していた。まだ下見の下見だから、近くまで行って、入れる場所があれば入ってみて、それからきちんとした下見をするつもりなのだ。

そんなに多くは招かず、ひっそりと知人と身内のごく少数でのつもりだが、セイに着せてやれなかった花嫁衣裳ということには総司のほうが拘っていた。
このままでもいい、という理子に結婚という形にこだわったことも同じである。今は価値観も変わり、家や結婚にも考えが様々にはなってきていたが、それだけは総司が譲らなかった。

「一緒にいられるなら私は構わないんです」
「駄目です」

何度も同じ話を繰り返して、理子が苦笑いと共に折れていく。

「男性なのに式にそんなにこだわるなんて、先生くらいですよ」

笑いながらいう理子に、総司はその理由を言わずに頑なに粘り勝ちした。

 

総司と理子が、総司の家に行ってから一月余りたった後、総司と理子の元へそれぞれ歳也と藤堂から心臓に悪い知らせが入った。大したことはないという前置きがついていても、総司も理子も心配で、結局仕事が終わってすぐに病院に駆け付けた。

「歳也さん!」

病院の時間外受付からロビーに入った総司は歳也の姿を見つけて、駆け寄った。来る途中のメールでは、理子はもう少し遅くなるという。
青い顔をした総司に、歳也が苦虫を噛み潰した顔を向けた。

「慌てるな。大丈夫だから」
「いくら大丈夫って言われても慌てますよ!一体、どうしたっていうんです?!」
「近藤さんらしい話だぜ。通りすがりに飛び出した子供をかばってはねられたらしい」

『近藤さんが事故にあった』
『近藤さんが病院に運ばれたんだけど』

そんな知らせに血の気が引くほど驚いて駆け付けたわけで、事の次第を問いただす。
立場を利用して、警察からも話を聞くことができた歳也が言うには、仕事が終わって、家に戻る途中の近藤はこのところ運動不足を気にして、一駅手前から歩いていたらしい。途中、大通りに抜ける道はいつも狭いのに、車が飛ばしてくる。
その道と交差する道を歩いていた近藤は、はしゃぎながら傍を歩いていく小学生の集団から一人が駆け出したのを見た。ふざけて、仲間から逃げようとしたのか、車が来るかどうかも見ずに飛び出した子供と、アクセルを踏み込んで走ってくるトラックに頭より体が動いた。

ランドセルを掴んで思い切り近藤が側道へ引っ張るのと、驚いた運転手が鳴らしたクラクションがほぼ同時だった。一歩遅れた近藤の半身がトラックに掠めて、勢いで近藤の体は跳ね飛ばされた。

「……!!」

青い顔で脂汗を流した総司が息を飲む。

「そ、それで……?」
「普通なら死んでてもおかしくねぇよ。ったく」

呆れた口調で歳也が続きを話し始めた。

歩道脇に弾き飛ばされた近藤は、たまたま回収車が来るのが遅れていたごみ収集所の中へとすっぽりと収まっていたのだ。悪運なのか、幸運なのか、その あたりのごみ集積所は、移動や収集日以外に撤去しやすいよう、簡単な枠組みにネットで囲われただけのもので、しかも回収車が遅れたのをいいことに、ごみは ほぼ満杯に詰め込まれていた。
簡易な枠ははじけ飛んだが、ネットと、大量のごみがクッション代わりに近藤の体を受け止めたために、その衝撃と状況からすれば恐ろしいほどに無傷だった。

「はぁ……」

前半の心臓を掴まれたような緊張からどっと力が抜けて、総司は足元にしゃがみ込んだ。近藤の強運には感謝するが、心臓には悪い。

「怪我らしい怪我といえば、そのごみ集積所の枠にぶつけた右足のひざ下を単純骨折しただけだと。ごみ集積所に頭っから突っ込んだだろ?しかも、それ が燃えるゴミの日だったらしくて、生ごみだか、なんだかしらねぇが、赤いのだの妙に茶色の汁を頭っからかぶってだらだらと垂れ流したんだよ。それを見た小 学生も運転手も、こりゃ大変だってんで、警察と救急車呼んで、今すぐ死ぬ!とばかりに大騒ぎになったわけだ。だのに、本人はアレだ」

くいっと声のする方向を向いた歳也がますます呆れた顔になった。救急外来から病室に移動させられたらしい近藤の声がする。

「いやー、こんなかわいい看護婦さんに診てもらえるなら悪くないなぁ」
「やだぁ、近藤さん。このくらいの怪我で済んだのは奇跡みたいなものなんですよ?」
「もっとひどかったら、つきっきりで看護してもらえるのかな?」

状況を考えればひどく呑気な会話にしゃがみ込んだ総司と歳也はがっくりと脱力した。足元の総司にむかって、手を差し出した歳也は、ロビーの椅子へと総司を促す。

連絡をしてきた斉藤は、もし目の前にいたらこめかみをひくつかせていただろう。状況を聞いて気が向いたら見舞いに行く、と言ってさっさと電話を切ってしまった。
駆け付けた藤堂は同じく呆れたものの、その人の良さから歳也にも労りの言葉をかけて仕事があるからと夕方帰って行った。

「勘弁してください……」
「俺も、そう思う」

また自分達は近藤において行かれるのかとおかしな考えまで浮かんできてしまった。昔と今とは違うというのに。

ただ、この思いだけは歳也と総司にしかわからないだろう。
藤堂はもっと早くに離れていたし、原田には知らせていない。斉藤はあの通りだが、近藤にだけ特に心を残していたわけではない。

総司と歳也がため息をついて座り込んでいると、タクシーが病院の目の前に滑り込んできて、わたわたと支払いを済ませた理子が駆け込んでくるのが見えた。膝の上に手をついて頭を抱えていた総司が気づくより先に、歳也が立ち上がった。見慣れた姿に理子が駆け寄る。

「沖田さん!」
「落ち着け。大丈夫だから。総司もここにいる」

立ち上がった歳也と理子の声に顔を上げた総司が片手をあげた。
理子にも、大丈夫だとは歳也からも藤堂からもメールは届いていたが、やはり誰かの顔を直接見て大丈夫なのだと聞くまでは落ち着かなかった。

がっと、歳也の腕をつかんだ理子が、そのまま口元を押さえて下を向いた。

 

– 続く –