〜はじめのお詫び〜
野暮天だった人は覚醒も遅かったから、基本的に恋愛事は駄目なのかも？
BGM：Celine Dion　BECAUSE YOU LOVED ME
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「沖田先生、起きていて大丈夫なんですか？」
「ええ。このところ随分いいんです」

穏やかに総司が答えた。

セイが開け放った障子から外を眺めていた総司は、セイに笑顔を見せる。
逆に、セイはいてもたってもいられないような不安に駆られた。

幾度か起きた発作の後、いつもなら部屋から出て行けと言われるところで、総司はセイを引きとめた。

「神谷さん」
「はい」
「貴女、こんな私の傍にいていいんですか？」

いつもなら厳しい口調で、出て行けと言われる。湯呑みを投げられたこともある。それでも、頑なにセイは総司の傍にいた。時折、見舞いに現れる人たちにも何度も頼んだ。
だが、それは聞き入れられることなく、今もセイは総司の傍にいる。

「こんなもそんなもありません。今は病にかかっていらっしゃいますが、お元気なときでも変わりません。私は先生のお傍に居ります」

セイの変わらぬ姿に、折れたのは総司だった。横になったまま、ふわりと懐かしい、ここしばらく見せなかった笑顔が浮かんだ。

「貴女には負けましたよ。気が済むようになさい」
「……お傍にいてよろしいんですか？」
「駄目だと言っても聞かないんですから仕方ないでしょう？諦めて死に水でもとってもらうしかないでしょう」
「死に水だなんて！！」

ふざけたような一言に、ずっと言葉少なに総司の冷たい言葉に堪えていたセイが怒った。

「冗談でもそんなことおっしゃらないでください！必ずお元気になっていただきます」
「はは、神谷さんになら病も恐れをなして逃げ出しそうですね」

そういうと、いくつか総司はこれだけは守ってくれと、条件をだした。
なるべく同じ部屋にいないこと、ここから出て行かない代わりに、自分の頼みは聞くこと。

「それだけは聞いてください」
「分かりました。その代り、私からも一つお願いしていいでしょうか」
「なんです？」
「私を……置いて行かないでください」

横になっている総司の布団から少し離れたところにセイは手をついた。
総司の病が、どういう結果を導くのか知らないわけではない。奇跡など、どれほど願ってもかなわないことも分かっている。
けれど、総司が逝くならば自分はその後をついて行く。
セイの中では、かつて総司が近藤に対して心に決めていたように、同じ覚悟があった。

「追い腹は許しませんよ」
「どうして死ぬことだけをいわれるんですか。先生のお傍からは離れないと言ってるんです。どうか、私を置いて行かないでください」
「おかしなことを言いますねぇ。もし私が元気になったら、共に戦場に行くかもしれないじゃないですか。その時貴女の方が先に死ぬかもしれないんですよ？なのに、置いて行くなというんですか？」
「ええ、私なんかどうなってもいいんです。でも先生は…」

総司の前では、ずっと泣かないようにしていたセイの目から涙が落ちた。顔を上げられなくなって、セイはついた手のままに頭を下げた。
総司に出て行けと言われるようになってから、総司の目につくところでは一度もセイは泣かなかった。

それでも、夜中や総司が寝ている間に、洗濯をしながら落ちない血の跡に涙し、痩せていく総司の姿に泣いていたことを、総司も知っている。

「……治ったとおもったのに、まだ泣き虫なんですねぇ」
「……すみません」

しばらくして、セイが泣きやん頃、総司が口を開いた。

「わかりました。貴女を置いてどこにもいきません」
「本当ですか？！」
「ええ。ずっと呼んだら聞こえるところにいてください」
「沖田先生……」

セイは、再び大粒の涙をこぼした。苦笑いした総司が片手を上げた。

「もう、涙を拭いてあげることもできないんですから泣かないでくださいよ」

長い、長い時間、ずっと拒否され、セイが出て行かなければ食事をしないと言われたりもした。
それでも一度も泣くこともなく耐えてきた。いつ来るかわからないその日が怖くて。

でも、総司がやっと傍にいてもいいといってくれたことで、セイは涙した。絶対に離れはしないと何度も繰り返した。

この日を境に、総司は昔のような総司に戻った。
戻ったように見えた。だが、セイは何かが違うことを分かっていた。漠然とした不安に押しつぶされそうなくらい、総司は優しく、穏やかだったから。

調子がいいからと、土方や近藤にあてて、時折文を書きさえした。
無事を確かめる文を。

それを出す時も、セイは片時も同じ屋根の下から離れることが恐ろしかった。
その勘は間違いではなく、同じように総司は思っていた。離れろと言っても離れず、自分も傍にいる限りは求めてしまう。

ならば、自分が離れればいい。

自分がセイの前からいなくなれば、あとのことは兄分たちに頼めばいい。彼女をいかようにでもしてくれるだろう。
血の匂いのしない世界に追いやってくれるはずだ。そうすれば自分は幸福な思い出だけを抱いて逝ける。

幾度かの文のやりとりの後、土方が現れた。総司の元を訪れる者も減っていた中で突然現われた土方にセイは驚いていた。
セイとは逆に総司は無邪気に喜んでいたので、よけいにセイは不安で押しつぶされそうになる。
土方の見舞いの間、遠慮していたセイは、家の裏手で座り込んでいた。手を血がにじむほど握りしめて。

「来てくれたってことは、お願い、聞いてくれるんですね」
「…ああ。俺には、それがいいことだとは思えん。仮にお前が死んだあとの神谷を思えば余計にそう思う」
「いいんです。離れてしまえば、後のことは皆さんにお任せします」

嬉しそうに笑う総司をみて、土方も言うに言われぬ不安を感じた。
本当にこれでいいのか、後悔しないのか。
近藤にはこのことは話していなかった。総司も、近藤に頼むより、土方に頼んだ方が聞いてもらえると思ったのだろう。近藤には、あたり障りのない様子を聞く文を、土方には最後の願いだと書いた文を届けていた。

「お前、本当にそれでいいのか？」
「もちろんです」

総司の答えを聞いておいて、それでも土方は迷いを残した。そんな土方に総司は笑顔で告げた。

「土方さん。お願いします。あの人を幸せにしてあげてください」

その笑顔にすべてわかっていると言われた気がして、土方は顔を逸らした。

「新しい仮寓が見つかったら連絡する」
「なるべく早くお願いしますね。もうそんなに時間がないと思いますので」

土方は総司の顔を見ることなく、立ち上がった。次に来るときは、総司をこの家から連れ出す時だろう。
見送りに出たセイの顔を、土方は真っ直ぐに見られなかった。

「じゃあ、総司を頼む。また来る」
「承知いたしました」

土方を送り出したセイは、自分の掌に食い込んだ爪跡に眉をひそめた。

――　置き去りにされたら、生きてはいけない

セイは、この不安と自分の勘が外れてくれるように祈るしかなかった。

–　続く　–