夜天光 12

〜はじめのお詫び〜
だ、だーーく。。。一直線。。。。
BGM:Celine Dion BECAUSE YOU LOVED ME
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準備ができるまで理子は控室に籠っていた。スタッフの一人が呼びに来て、理子はヘッドフォンを外した。
設営のスタッフが作業をする中、吉村がピアノの前に座っていた。

「じゃあ、弾き難かったら言ってくださいね」
「ああ。たぶん大丈夫だよ」

いつも吉村は軽めのタッチで甘い音色を好む。
だが、今日はあえて重いタッチに調整するように総司に頼んでいた。言う通りにセットしたものの、あまり吉村のテイストではないために、少し離れた壁際に邪魔にならないように総司は立った。いつでも調整できるように、その音の違いを聞き分けようとしていた。
音楽スタッフが理子の立ち位置を確認する。

理子は軽く会釈だけ送って、スタンドの前に立った。

吉村が、その場を見渡した。

 

―――― ………

 

そう狭くもなく、広くもないギャラリーの中にピアノの音が響いた。もともとはギャラリーのために音響もよくはないはずが、それまで調律のために鳴っていた音とはまったく違う音が響いた。
それまで騒がしく電気ドリルの音などが響いていたが、ぴたりと音が止まって、一斉に皆が振り向いた。

皆、こういうイベントに慣れた者が多いはずで、それこそロックのアンプを通したような音にさえ、そう驚くことは少ないだろうに。

響く音がびりびりと展示ケースに振動を伝える。その音を聞いて、理子はスタンドのマイクを切った。

息を吸い込んで歌い出した理子の声は、ピアノの音の作る海を渡る船になる。昔以上に、響く澄み切った声は、深みを増し、以前は祈りを捧げる巫女のようだった声が、今は深く包み込むような地に足をつけた力強い人としての声が響く。

その音と声が届く場所にいた者たちすべてが、手を止めて聞き入っていた。

 

まるで、たった一曲の間の嵐のような時間が去ると、皆が一斉に我に返って今自分たちが感じたものに、なんと表現していいかわからない感情をもって、そして、拍手が起こった。

吉村達の方のスタッフさえ、スタジオでのリハとはまったく違う二人に、それぞれが観客になって拍手を送った。

吉村を振り返った理子は、肩をすくめてマイクのスイッチを入れた。すうっと息を吸い込む音が聞こえて、アカペラで理子が先に歌い始めた。ピアノの音もないままに響く声が、心に突き刺さるような歌詞とともに広がるフレーズに、今度は静かに途中からピアノの音が重なる。

 

 

海をわたる船乗りは その空に何を思う
空をゆく鳥は 水の上をゆく船に何を思う

時を越えて 留まる事を知らなぬ旅人は
何を思い歩みを進めるのか
春の花の時も 梅雨の冷たい雨の時も
焼けつく日差しの下で

夢に見るのは 幸せだった時なのか

温もりを呼び起こす風の時も
すべてを覆い隠す白い時も

その目に浮かぶのは 辿りつくべき場所なのか

語り継がれる旅人は 人々の問いかけに答を持たず
ただ歩みゆくだけで いつかどこかへ辿りつける日まで

 

 

先ほどとは違う、その歌を聞いて、ゆっくりとその手を動かし始める者がちらほら見える。
けれど、先ほどの衝撃とは違って、その歌を聴きながらそれぞれの胸に思い出されるものに浸りながら聞き入っていた。

我を忘れるのではなく、自分に還るような、そんな気持ちを起こさせる。

 

壁際で佇んでいる総司は、吉村がなぜいつもと違うタッチの調整を依頼したのか、納得できた。これならば、普段の明るくて軽いタッチの吉村の弾き方ではそぐわないだろう。
心の底から重い荷物を引きずってくるようなそんな音が広がっていた。

 

歌い方が変わった理子に総司は、セイを見ていた。細められた目の先には、あの頃より大人びて美しくなったセイがいる。
あの髪に触れたことも、華奢な体を泣きやむまで抱き締めたことも、共に刀を振るったことも。

何一つ欠けることなく自分の中にも、理子の中にも存在しているというのに。

 

 

全曲は通さなくてもいいので、何曲かをその後も歌った後、時間の配分を決めてリハは終了になった。ピアノは一度撤収されるために、閉じられていく。

「あの調律で正解だったでしょう?一橋君」
「本当にそうですね。吉村さんがあんな弾き方をするのは初めて見ましたよ」
「俺、芸達者だからね。能ある鷹は隠してる爪が多いのさ」

吉村が壁際で調整のタイミングを待っていた総司に話しかけた。素直に感嘆の声を上げた総司に、吉村が自慢げに言う。
その間に、理子はミキサーと話をしながら、控室に戻って行った。
その姿を確認した吉村も他のスタッフに声をかけながら控室に戻って行った。

 

仕事を終えた理子は吉村に挨拶をして、通用口から表に出た。
その後を追って、総司が声をかけた。

「神谷さん」

決して逃げているわけではない。理子は立ち止まって振り返った。

「なんですか?」
「このあと、ちょっと時間ありませんか?藤堂の店にでも行きませんか?実は帰ってからまだ一度も顔を出してないんです」

確かに、理子も引っ越しを知らせた後、顔を出していなかった。理子は、肩から下げていたバックを両手で握りしめた。

「良いですよ。私も最近行ってなかったから、行きましょうか」

理子の言葉に総司が嬉しそうな顔で隣に立った。
あの頃の笑顔で、あの頃と同じ身長差で隣に並ばれた理子は、両手で握りしめたバックを胸の前で抱えるようにもった。

言い様のない想いが二人の胸の内を占めていた。

 

 

– 続く –