〜はじめのお詫び〜
吉村よ、おまえもか～。
BGM：土屋アンナ　Believe in Love
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翌日、ひどい寝覚めの悪さに閉口しながら、理子は昼近くに起きだした。ゆっくりと風呂に浸かっても、昨日、藤堂に言われたことが耳から離れない。

身勝手と言われたこと。
確かに、藤堂の言うとおりだった。すべてを抱えたつもりでも、理子にとっては相手と対峙しなくていいだけ、ずっと身につけていた心の鎧をいつの間にか脱ぎ捨てていた。それだけに、無防備で、素のままだった。

だからN.Y, で総司に会った時に、どうしようもできなかった。心が震えて、まともに顔を見ることもできなかった。

触れられた場所が熱くて、その声を耳にするだけでどうしようもなくて。

日本にいたままの理子だったら、そもそも藤堂にあんなことは洩らさなかっただろう。そして、何を言われても当然だと思うだけだった。でも今はそれが堪える。

いつまで考えていても仕方がない。理子は着替えを済ませると、これからの部屋を探しに行くことにした。吉村へはメールをしていて、夕方逢うことになっている。

ホテルを出ると、いくつか最寄駅の近辺で不動産屋を回った。今泊まっているホテルの近隣の駅は、イベントやコンサートの多い都内の駅に出るにも便利な場所でもあり、以前もこのあたりに住んでいた。

昨今では、防音が整っていて、そこそこの部屋を探すこともそう難しくはない。いくつか気に入った部屋を見つけた後、翌日返事をすること にして、一度ホテルに戻った。今夜は吉村は他のステージのリハが入っていて、その場に理子を呼んでいた。リハさえ終わればいくらでも時間が空くからだ。

片時も頭を離れないことを無理に頭の隅に押しやって、歩きまわったために汗ばんだ服を着替えて、シャワーを浴びる。それからラウンジで一休みすると、吉村のいるスタジオに向かった。

幾度か一緒に仕事をすることが増えた吉村に、総司は引きとめられた。

「今日はもう終わりだろうけどさ。もう少し最後までいたらいい」

お互いの仕事ぶりには満足していたものの、あまり気が合うとは言い難い。吉村が珍しい、と思った総司は仕事道具をしまいながら問いかけた。

「なにかあるんですか？」
「いや？暇つぶしに弾いて行くかと思ってさ」
「家にだってありますよ、ピアノは」
「いや、一緒にさ」

そう言うと、なぜかもう一台置いてあったピアノを示した。

「連弾でもさせようっていうんですか？」
「そういうこと。たまには付き合えよ」

そういうと、自分は先ほどまで総司が調律していたピアノに座る。周りのスタッフが、終わったリハの余興に拍手を送った。早くしろよ、と意地の悪い笑みを浮かべた男に、仕方なく総司はもう一台のピアノの前に座った。

吉村の華やかなタッチと総司の滑らかで硬質な音が響きあう。

少し早めにスタジオについていた理子は、防音扉のすぐそばに体を滑り込ませて、その音と姿に、囚われていた。

吉村がわざと呼んだのか理子にはわからないが、そこにいる総司の姿に目を奪われる。

動いている。
笑っている。
話している。

それだけで、沖田総司という人と面影が重なって、理子の中のセイが揺り起こされる。

あの頃と同じような笑顔に、話し方。ピアノの弾き方は揮っていた剣の代わりに、今の総司を表すような音を出す。決して野暮ではなく、小 気味よい洒落っ気に富んでいる。いや、そう言えば昔もちょっとした悪戯を兄分達とやって、笑っていた。寂しがりで、甘えてくるくせに、冷たく突き離すとき もあれば、セイをからかって面白がっていた。

――　ああ。変わらない。沖田先生だ

そう思うと、涙が自然に零れそうになる。今の自分達は過去の自分たちよりも年を重ねている。あの頃の続きのような気がしてしまうのはどうしようもなかった。

ピアノが止まると、慌てて背を向けて涙を拭った。スタッフの拍手喝采をうけて、二人は面白がって話をしている。その隙に、理子は防音扉から外に出て深呼吸をした。

こんなにも容易く心が崩れてしまいそうになる。深く吸いこんだ息で、自分の中の神谷清三郎を思い出す。今は、神谷理子なのだと、自分自身を落ち着かせると、再びスタジオに戻った。

もう、ピアノの音は止まって、後片付けに追われるスタッフとその中で、あれがどうのと話している吉村と総司を見つけた。入ってきた理子に気がついた吉村が諸手をあげて理子を迎えた。

「理子ちゃーん！！三年ぶりっ！！もう俺のことなんか忘れたかと思ったよ～」

気軽にハグとばかりに理子に抱きつく吉村を周りのスタッフたちはいつものことだと笑ってみていた。

総司以外は。

「こんにちわ。神谷さん」

明らかに作った笑顔をその顔に張り付けて、総司が挨拶を口にした。理子は吉村を引き離して、軽く会釈する。

「こんにちわ、一橋さん。まさか吉村さんとお仕事されていると思ってませんでした」
「調律師ですからね。ピアノ弾きの所にはどこでも行きますよ。N.Y.でもね」
「なんだ、おたくらも知り合いかよ」

つまらなそうに吉村は理子から手を離した。荷物置きに置いていたカバンをとってくると、吉村は理子の腕をとった。

「さ、俺の仕事は終わったから、打ち合わせ行こうぜ。一橋サン。面白かったぜ。また今度な」

総司に向かって軽く手を挙げると、理子を引きずるようにしてスタッフに声をかけながら、吉村はスタジオから出て行く。
防音扉が閉まる直前に、理子が振り返ると、鋭い眼をした総司がそのまま佇んでいた。

–　続く　–