心の真ん中へ 10

〜はじめのつぶやき〜
中途半端な感じですが、きっともうすぐ終わります。
BGM:Ill DIVO Without you
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大きなステージはなくても、JAZZバーでの仕事はちらほらと入っている。
その日は久しぶりに吉村と二人だった。

「いよぅ。理子ちゃん、久しぶり」
「しばらくです。ここ最近はなかなかご一緒できませんでしたね」
「そーなのよ。俺人気者だからさぁ」

朗らかに答えた吉村は、実はずっと休養に入っていた。大事な人を亡くしてから、ひっそりと姿を消した吉村は斉藤の式に姿を見せて、総司と共に演奏を披露していた。
久しぶりとはいえ、その腕は鈍ることなく、ますます磨きがかかった気がする。

深みの増したその音に合わせて、リクエストを弾いていく。
店員から次々と渡されるリクエストをみて弾きながら、1枚、理子はコースターに書かれたリクエストを見てどうしてもそれを最後に演りたくなった。

ピアノの上に、よけておいたコースターに吉村はあれこれ問いかけることなく応じてくれる。

『When You Believe』

Many nights we’ve prayed
With no proof anyone could hear
In our hearts a hopeful song

耳にすれば、誰もがああ、と頷けるはずだが、こんな歌詞だったかと思うに違いない。ホイットニーとマライアキャリーが共演しているものが有名だったはずだ。パワフルさよりも、聞かせるような歌い方でラストを迎える。
歌い終われば、今日は1回だけなので後は上がりだ。

「理子ちゃん、どうする?俺は今日は帰るけど駅まで送る?」
「私は、軽く飲んでから帰ります」
「そっか。じゃあ、またよろしく」

時計をみて残るといった理子に、また今度と言って帰り支度を済ませる。久々なので俺も年かな、とぼやきながら吉村が帰って行った。店に残った理子はカウンターの奥の方へと向かった。

「お隣、失礼してもいいですか?」
「……どうぞ」

一番奥に座って、本を片手に酒を飲んでいる客の隣に座った理子は、ノンアルコールのカクテルを頼む。特に話しかけることなく黙っていると、本を読んでいたはずの客が顔を上げた。

「先日は失礼しました」
「こちらこそ、先日は気付かなくて申し訳ありません、一橋さん。今日もいらしてくださっていたんですね」

にこっと笑って、先日のわだかまりを感じさせることなく、理子は会釈を送った。
時々、見かけていて最近では見かける回数が増えていた客。
いつもバーのカウンターの隅で、本を片手に酒を飲みながら聞いている。ほとんどの場合、ドリンクやフード込のチケットになっているから、たまたま立ち寄ったというわけではないだろう。

常連になりつつある客の顔は、回数を重ねれば重ねるほど見慣れてきて、名前はわからなくとも、あの人だ、くらいの認識はできてくる。緊張していたのと、昼間で間近の正面から顔を見たのは初めてということもあり、どこかでとは思ってもなかなか思い出せなかった。

「こんな隅っこに座っている客の顔まで見えていて、覚えていたらそれはそれで驚きますよ」

理子の目の前に運ばれてきたグラスを見て、昌信が軽くグラスを上げた。

「お疲れ様です。今日も良かったです」
「ありがとうございます。最後のWhen You Believeは一橋さんですね?」
「ええ」

先日の強い口調の面影は全くなくて、どことなく物静かで丁寧な話しぶりが総司に似ている。
理子がドリンクを飲んで、人心地つく様子を見てから、昌信がぽつりと話しだした。

「結婚に反対するなんて、ひどい親だと思っていらっしゃるでしょうね」
「……理由を伺う前に、ひどいも何もありません。ただ、どうしてなのか理由は気になります。……総司さんとこじれていらっしゃる理由も」

立ち入りすぎているかもとも思ったが、今ならば踏み込ませてもらえる気がして、思い切って口にしてみる。
グラスに添えられたストローをマドラー代わりにして、クラッシュされた氷をグラスに沿わせてくるりと回す。

「貴女にお話しするのがいいことなのかわかりませんが……。私は、この結婚は貴女が、ではなくて貴女に総司がふさわしくないと思っています」
「どうしてですか?」

予想外のことに驚いて理子は身を乗り出した。自分が不釣り合いといわれるのはわからなくもないがその逆を言われるとは思ってもいなかった。
苦い顔でグラスを傾けた昌信は舐めるように琥珀色の酒を口にする。かすかにため息をついて手にしていた本を閉じた。

「あれから聞いていらっしゃるかもしれませんが、私は長年歴史の教師をやっています。だからなんでしょうかねぇ。男の子とはこうだろうという理想があった」
「理想、ですか」
「ええ。私は次男なんですけどね。年の離れた兄がいて、運動もできて闊達な自慢の兄だったんですよ。ところが、まだ私が幼いころにこの兄を亡くしましてね。それからは、私は兄の代わりにまともな道を歩くことだけを頭においてきました」

総司の父は、姉の美貴がいるにしても、そこそこの年齢である。おそらく、定年の声も近いのだろう。見た目よりは年齢が上な気がして、理子はただ黙ってうなずく。

「学生の頃、私は洋楽に憧れましてね。ですが、洋楽なんて外国カブレで少しばかり不良の者が好むものという印象があって、私は両親に止められる前 に、止めてしまいました。それがずっと胸の中につかえているんでしょう。私にはあれが男らしいことを一つもやらずに音楽の道へ進むことが許せなかった」
「経緯はわからなくても、総司さんも一橋さんのお気持ちは伝わっている気がします」
「そうでしょうねえ。あれは本当に頑固で、私の言うことなど耳も貸さなかった。私はただ、家族を持った時に、安定して地に足を付けた暮らしができるようにと思っていただけなんですが……」

昌信の胸の内を聞きながら、総司から聞いたことを口に出そうとは思えなかった。
相槌だけで、特に反応を求めている風でもない昌信はそのまま話を続ける。

「ごく普通に、会社員のような暮らしで家族ができて、穏やかに暮らしてほしい。それには安定しない職業なんて家族になる人も、周りも不安じゃありませんか。ただ普通にと願うことがそんなに難しいことなんですかねぇ」
「私は、このような仕事をしていますから、不安に思うかといえば、不安なのは当たり前のことなんです。だから努力もしますし、自己管理にも気を付けます。不安の分だけ、感動や喜びもそういったお仕事の方よりも大きいと思いますよ」
「それはそうかもしれません。でも、私は許すことができないんです。そうでもしないと、あれはどこかに行ってしまいそうで……。昔からあれの居場所は、私達家族のところにはない気がしてたんですよ」

親だからなのか、期待していた分もあるのか、昌信は総司を見ているとわけもなく不安に駆られた。いつかこの子は自分の知らない誰かになってどこかへ行ってしまいそうな不安に襲われて、なんとか自分の引いたレールに乗せようと躍起なった。
ただ、親が子を思う以上に、男だとか女だとか関係なく、大事な子供を縛り付けることで自分たちから離れないようにと願った。

「貴女のことは、あちこちのJAZZバーで歌を聴くようになって、それなりには存じ上げています。素敵な方だということも十分に分かっている。でも、今は貴女と総司が一緒になることを手放しで賛成はできないんです」

不器用な父親のせめてもの告白と詫びに、理子は何も言えなくて首を振った。
もし、自分の両親も健在であればこんな風に反対しただろうか。ちらりと頭をよぎる考えが切なくて、グラスに手を伸ばす。

「今すぐ別れろとは言いません。でも……」

言外の意味をくみ取って、理子は顔を上げた。

「私は、総司さんが傍にいるなといったとしても、ずっと傍にいるつもりです。それがご迷惑出ない限り。仕事が仕事だからとは思いませんが、結婚とい う形がなくても構わないと思ってるんです。傍にさえいられれば。どんな女だと思われるかもしれませんが、一橋さんのお気持ちが納得されるまで、私は今のま までも構わないんです」
「……私の気が変わるのを待つといわれるんですか?」
「ええ」
「死ぬまで変わらないかもしれませんよ」
「じゃあ、死ぬまで今と変わりませんね」
「それじゃあ、まるで脅迫のようだ!貴女も総司も他の相手となら子供だって望めるかもしれないのに」

つい声が大きくなった昌信にカウンターにいた店員が近づいてくる。片手をあげて詫びると、再び理子は昌信に向き直った。

 

– 続く –