心の真ん中へ 9

〜はじめのつぶやき〜
BGM:Ill DIVO Without you
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目が覚めて、少し落ち着きを取り戻した総司は、隣で眠る理子を起こさないようにベッドをでた。

久しぶりに昔のことを思い出したからか、どこか懐かしい気分が残っている。
ピアノの前まで移動すると、まだ眠い頭のままで鍵盤に指を乗せた。昨夜、理子が弾きかけていたので、蓋が開いたままになっている。

優しい音で弾きはじめた曲が、自分で楽しくて、繰り返す。その音に理子が目を覚ました。
JAZZテイストで弾く曲は、弾くたびにニュアンスが変わっていて、別な曲にも聞こえてくる。リビングに移動した理子は、洗面所に入って、軽くうがいをすると喉の具合を確かめるように歌い始めた。

 

Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That’s where you’ll find me

 

子供が悪戯をするような可愛らしい音に、まだ眠い目のまま歌う。途中でまたテイストを変えてくる総司に笑い出しながら部屋を移動する。

 

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can’t I?

 

歌い終わると、部屋着姿で総司の隣に腰掛ける。ピアノチェアは横長な分、並んで座りやすい。
高音のキーの場所を空けてきた総司に、右手を出した理子はまだ重い瞼を瞬かせると、違う曲を弾き始めた。

「EVERYTHING’S GONNA BE ALRIGHT?」

コードで後をついていく総司が、やられた、という顔で曲名を確認する。口ずさみながら右手で弾く理子に、テンポを変えたり、キーを変えてきて悪戯を仕掛けた。

「ん~!意地悪い」

ついていけなくなった理子が右手を挙げると、代わりに総司が両手で弾きだして、理子は息を吸い込んだ。

「意地悪くないですよ。ほら歌って?」
「寝起きでそんなには無理ですよ」

互いに笑い出しながらそれでも理子は、加減しつつ喉に負担のない程度に口ずさんだ。最後の音が消えると、互いに笑い出す。

「おはよう。よく眠れました?」
「先生こそ。いろいろ思い出したから昔の彼女の夢でもみていたんじゃないですか?」
「それはもちろん。いい夢でしたよ」

ふざけて言い出したのに、それに総司が乗ってきたので、つい本当に昔の彼女の夢を見たのかと焦る理子に、しれっと総司が言う。

「もう、その人ってばお転婆で、人の言うことは聞かないし、どこにでも首を突っ込んでいくし、大変だったんですよねぇ」

総司の場合は、複数の相手がいただろうからそういう人もいたのかと、ピアノの前から立ち上がった理子に総司が追い打ちをかける。

「女の子なのに、生意気だし、危なっかしいのにモテるし、ライバルは多いし大変な相手でしたよ」

ん?と立ち止まった理子が振り返った。視線の先でピアノに寄り掛かった総司がにやにやと理子を見ている。

「しかも、女の子なのに月代なんてあるし」
「先生っ!!」
「あはは、やっと気づいたんですか?」
「ほんっとに、意地が悪いですよね!そういうところ」

一気に眠気が吹き飛んでむくれ顔になった理子は朝食の支度に、ぷりぷりしながらキッチンへ向かった。総司のこういう悪戯も、むくれた顔も姿が違うだけで何も変わらない。

ただ、今は、怒らせたお詫びにと理子が好きな曲を続けて弾き続ける。しばらくして、いい匂いが漂ってきて、油がとばないようにと隙間を残して閉められていたドアから理子が顔を覗かせた。

「ご飯、食べます?」
「食べていいですか?」
「もうっ!それはおしまいです!冷めちゃうじゃないですか」

笑い出した総司は、蓋をすると理子に続いてリビングへと移動した。直角になるように座って、朝食と食べ終えると、今日はコーヒーではなくて紅茶が出てきた。いつもは総司が好きなためにコーヒーなのだが、ささやかな嫌がらせなのだろう。
香りだけはチョコレートの紅茶を飲んだところで、理子が総司の顔をみて少しだけ首を傾けた。

「先生?」
「はい」
「これだけは言っておきますね。たとえ、婚姻届を出してなくても、式を挙げなくても、私は先生から離れませんし、一緒にいられればそれでいいんですからね」
「いきなりなんです?」

驚く総司に、理子が真剣な目を向ける。もし、理子に気遣いをして昌信との仲がますます悪くなるなら理子はこのままで構わないと本当に思っていたからだ。

「先生が、ご家族の方と仲良くしてくださったらそれでいいんです。私は、先生の傍にいるんですから」
「そんなこと、貴女が気にすることじゃありませんよ」
「いいえ!これだけは私も譲れませんから」

曖昧に笑って話を逸らそうとする総司に理子はまっすぐに言った。とうにその覚悟はできている。
こんな時、すぐに理子だけは蚊帳の外に置こうとしたり、理子のためにはほかの要素を切り捨てようとするところは昔も今も変わらない総司の悪い癖だ。

大事にしてくれるのは嬉しい。わかってる。
でも、ほかの大事なものを切り捨てるのは間違っているのだとわかってほしい。

太陽に射抜かれた総司は、理子から視線を外した。

「今、すぐにはい、そうですか、とは言えないので、少し時間をください。私から言い出したのに、ごめんなさい」
「もちろんです。私はこのままでも構わないんですから」

ありがとう、と言って理子の頭をくしゃっと撫でた総司は、立ち上がってリビングをでる。
休みではあるが、着換えると、リビングで後片付けをしていた理子に、声をかけた。

「ちょっと出てきますね。貴女も出かけるならかまいませんから。後で連絡します」
「え?あ……。行ってらっしゃい」

どうして、という言葉を飲み込んで総司を送り出す。
気分を紛らわせようと掃除を始めた理子は、途中であっと声を上げた。

「思い出した……!」

喉の奥に引っかかった小骨が取れたような気がする。
どこで、総司の父を見かけたのか。

理子はようやく思い出した。

 

 

 

 

– 続く –