桜の木の下で 9

〜はじめのつぶやき〜
時には勝手に思い込んじゃったりねー。
BGM:松 たか子 桜の雨、いつか
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「違いますっ!!」

総司の言葉に、凍りついてしまった理子が、今にもその瞳から涙をあふれさせんばかりに身を乗り出して叫んだ。
だが、総司にはそれもただ、総司への気遣いだけのように思えた。

「気にしなくていいんですよ。私は貴女を苦しめたいわけじゃない」
「そん……。違います、ただっ」
「すみません。ちょっと衝動的だったかな。帰ったらちゃんと話しましょう」

静かに微笑んだ総司は、理子から視線を外した。切り捨てるように打ち切られた話に、それ以上何か伝えられる言葉をもたずに、理子は俯いてしまった。 必死に違うのだと言いたかったが、総司が言うこともあながち間違っているわけでもないだけに、うまく説明することができなかった。

憎まなければ、あの時、土方の元まで行くことなど無理だった。
恨まなければ、揺れる心さえ罪と感じて自分を責め続けたセイが最後の願いをもつこともできなかった。

愛していたから。
誰よりも信じていたから。

今でも、沖田総司の魂を抱えるこの人を好きだと、認めて、生まれ変わってもやはり愛しているのだと、思い知って。

だから、最後にセイが願ったことは忘れようとした。
幸せで、嬉しくて、総司と誰も何も遠慮することのない生活が何より大事だったから。

 

『何度生まれ変わっても、忘れることがないように。何度、どんなふうに生まれ変わって、どんな時代に生きても忘れることができないように』

覚えていて、私を。
あの時を。
心の底からの深い慟哭を。

―― 忘れるなど許さない。

 

そんな自分自身さえ縛る深い呪縛を忘れようとしたのだ。

時計に視線を走らせた総司は、黙って立ち上がった。そっと理子の頬に触れて、その涙を拭うとテーブルの上のカードキーを手にした。

「……そろそろ行きましょう。斎藤さんへお土産を買うんでしょう?」

どういえばいいのか分からないまま、時間だけは流れていく。時間を忘れて我儘を通せるほど子供にはなれない。手の平で涙を押さえて理子は立ち上がった。

「少し、待ってください。顔を洗ってきます」

顔を伏せたまま、総司の隣をすり抜けて理子はバスルームに入った。ざばっと顔を洗った理子は、化粧を直して涙がにじむ目を強くタオルで押さえた。
深呼吸をしてからバスルームを出た理子を迎えた総司は、理子を促して部屋を出た。

先程、総司が一瞬見せた感情は深く覆い隠されていつものように穏やかな笑顔は、なにより冷ややかな拒絶でもあった。
総司は、とにかく家に戻ることを優先させて今は他の事は意識から追い出した。
そうしなければ、総司にとっても辛すぎて、斎藤の電話で釘を刺されていたのにどこまで何を言ってしまうかわからないとどこかで思っていた。深く考えることは苦手なのだ。

交わす言葉も少ないまま、二人は都内へと戻った。
空港から家に戻ろうとする理子を、総司は手を引いて斎藤の病院へと向かった。

「せっかくお土産も買ったなら、このまま届けましょう」
「……はい」

医局で斎藤を呼び出した総司は、理子を喫茶に待たせておいて先に斎藤のところへ向かった。
合間をぬって現れた斎藤は、総司の顔を見るなり人差し指で総司の額を思い切り弾いた。

「っつぅ……」
「馬鹿者。だから言っただろうが」

斎藤には総司が思うことが手にとるようにわかっていた。だから釘を刺したし、前もって総司に話して置かなかったことを悔いた。
弾かれた額を押さえた手が顔を覆い隠した。

「痛いですよ。斎藤さん」

本当に痛いのは弾かれた額ではないはずなのに、目を伏せて本音を覆い隠すところは全く変わっていない。壁に寄り掛かった総司がそのまま動かなくなったので、斎藤は一人、理子の待つ喫茶へと足を向けた。

「斎藤さん」
「帰ったか。自分でもわかってるんだろうに、何をやってる」
「心配かけてごめんなさい。全然大丈夫なの。ちょっと……、ちょっとだけ」

砂糖菓子が水に溶けるように、斎藤の顔をみて明るい笑顔を向けた顔が崩れて、理子はついさっきの総司のように額に手を当てて、零れた涙を隠した。
面会時間から外れた時間の喫茶は人気も少なくて、ため息をついた斎藤は理子の頭に手を置いて子供をあやすように叩いた。

―― 生まれ変わって多少は野暮天同士がましになったかと思ったが、不器用さは変わらん……か

「とにかく」

理子が泣きやむのを待って、斎藤は首から下げた携帯を指して言った。

「まずはうちの内科へいく。その体調の悪さを診てもらってこい。少しはましになるようにな」

理子の具合の悪さが心からきていることは斎藤にもわかっていたが、今すぐにどうにかなるくらいならとっくに、斎藤や藤堂達がなんとかしていた。それでも、気休めでも何とかこの時期を乗り切るために、斎藤は同僚の医師の元へ理子を連れて行った。

その間に、理子を斎藤に託して総司の姿は病院から消えていた。斎藤には何も言ってはいなかったが、斎藤ならそれも見越しているだろう。

それを知らない理子が内科医の診察を受けた後、斎藤はしばらく自分の家に来るように言った。

「もうすぐ恭子が迎えに来る」
「あ、でも着替えとかが。それに、そ……、一橋さんも」
「ヤツなら先に帰った」

理子が診てもらっている間に一応、確認にと斎藤が総司のいた場所に戻ると、すでにそこには姿がなかった。通りすがりの看護婦が、斎藤への伝言を預かっていた。

『神谷さんをお願いします』

その一言を残して。

「なんで……?」

話をしようと言ったのは総司なのに。

春先に不調になる事をちゃんと隠しておけなかったから、具合が悪くなったからだろうか。やはり駄目だと思われてしまったのだろうか。

取り返しがつかないことをしてしまったのかと思うと、足元から崩れていきそうな不安に襲われる。
見る見るうちに顔色が悪くなり、青ざめていく理子を待合の椅子に座らせると斎藤は自ら薬の手配をして、誰かに預けることなく、恭子が迎えに来るまで理子の傍についていた。

理子が、斎藤にとって妹同然で大事にしていることも病院では有名なだけに、それは誰も邪魔することなく理子の傍にいた。
不思議なことに、斎藤は理子を預けて行った総司に対して怒りを感じなかった。
それは、斎藤が沖田総司という男をよく知っていたからだろう。

―― まったく、あの男らしいというべきか

 

 

 

– 続く –